3
目が覚めると、見知った天井があった。寝ぼけた頭で枕元に置いていたスマホを見ると、時計は10時を回っていた。
寝起きの霞んだ目で周りをきょろきょろと見渡すと、まだ寝ている友梨佳がいた。僕は彼女に何をするでもなく、まぁなんかしとこうとスマホを開く。
「ん...」
そしたら隣の布団がもぞもぞと動いて、友梨佳が出てきた。彼女は布団から這いずるように上半身を出し、半目のまま僕に「おはよ」と言ってきた。
「ん、おはよ」
僕がぶっきらぼうに挨拶を返すと、彼女は目をこすり、あくびをする。寝起きの友梨佳はやっぱり、寝癖で髪がボサボサだった。
「シャワー浴びてくるかぁ」
と言って彼女は布団から出て風呂場へ姿を消した。彼女のこうやって起きてすぐに動けるところは、結構尊敬している。僕には到底できないことだ。
しばらくして、スマホに向けられていた僕の意識は、一瞬にして現実に引き戻されることになる。風呂場からの水音とともに聞こえてきた、彼女のくぐもった声によって。
「蓮ー!服忘れちゃったから取ってー!」
「え?わかったー!」
突然の事だったから、僕はとりあえず反射で返事をすると、何を頼まれたかを飲み込むためにそのまま一瞬止まった。
それから僕は布団から出て、タンスの一番上の段を開け、彼女の服やらズボンやらブラやらパンツやらを適当に取り出す。許可も得てるし、彼女は気にもしないだろうけど、やっぱり悪い事をしているような気分になる。ていうかちょっと恥ずかしい。
ん?いや、ていうかなんで僕が恥ずかしがってるんだ?
それからなんだかんだ着替えを持って洗面所の、風呂場の扉の前に着くと、すりガラスの向こうには、ちょこちょこと動いている肌色のシルエットがあった。
「持ってきたよ」
ばさっと、洗濯機の上にさっき取った着替えを置く。
「ありがとー、お礼に背中でも流そうか?」
「え?それなら遠慮なく」
「おっけー、じゃあ入ってきて」
「はいよ」
と、僕がわざとらしく風呂場の扉をコンと叩くと。
「いやちょっとやっぱやめて!恥ずかしい!シラフじゃ無理!」
すごい勢いで拒絶を食らった、冗談を冗談で返しただけなのに、ひどいや。
ていうかいくら彼女でも、さすがにこういうのは恥ずかしいらしい、自分の下着触らせるのは平気なくせに。
でもなんか、安心した。
「ま、着替え置いとくよ」
「ありがと、入っちゃだめだよ?」
「入らないよ」
僕は洗面所から出ると、昨日の彼女へのお礼的なものを込めて、布団を畳み、押し入れにしまう。
それからしばらく、手持無沙汰に座ってスマホをいじっていると、タオルを首にかけ、髪を湿らせた彼女が出てきたので、僕は入れ違いに洗面所に入って顔を洗ったり歯を磨いたりしていた。
そして僕が出てきた時には、彼女は寝っ転がり、スマホをいじりながらぐーたらとテレビを見ていた。
「朝にのんびりテレビ見るのもいいもんだねー」
「もう10時半だけど」
「まぁ、朝なことには変わりないじゃん...あっ見てここ、春休み行ったとこだ」
彼女はテレビの画面を指さす。見ると、映っていたのは僕らが大好きなアニメの聖地だった。懐かしい。
「ほんとだ...いい思い出がいっぱいできたよね」
僕は皮肉っぽく、彼女に語りかける。
あの旅行は、ある意味ではいい思い出だ。そのことには変わりない。
そう、ある意味で。
「そうそう、あれはひどかった...ウッ、思い出しただけで頭が...」
彼女は頭を抱えるしぐさをするが、そうなるのも無理はないくらい、あの旅行はひどかった。
「天気は死ぬほど荒れてて、まともに観光できなかったし」
「そうそう!あととにかくお金がなかった!コンビニが主食の旅行なんてそうそうないよ!普通はホテルの美味しいご飯とか食べるもんなのに!」
友梨佳は悔しそうに、恨めしそうにテレビの中の、楽しそうにご飯を食べているレポーターたちを見つめている。
僕としては、あの旅行は辛いこともあったけど、今思えばそれさえも楽しかったように思う。
友梨佳との初めての旅行で、それだけで嬉しかったのもあるし、何より家族以外とでは初めての遠出だったからかな。彼女にとっては、違うのかもだけど。
「あーー...そうだ、ねぇ蓮」
突然、彼女は僕に顔を向ける。
「あのさ、もっかいここに行かない?」
何も悪気のないさわやかな顔で、友梨佳はそう言った。
「えっ?あー...」
僕は答えあぐねた。
その様子を見て、彼女は思い出したように「あっ」と言い、そして申し訳なさそうに、言い訳をするように。言葉を並べる。
「あっ、いや...無理にとは言わないし、全然断ってもいいからさ...」
ぐっと、胸が締め付けられるような息苦しい感覚がして、昨日寝て忘れたはずの気持ちが、腹の底から出てくるように感じた。
そしてそれと同時に、少しだけ胸が高鳴った。
行きたい。行ってまた、思い出を作りたい。彼女との時間を、過ごしたい。
でも、本当にそれでいいのか?
行きたい、でも行って、万が一のことがあったら。それでも。
いくつもの矛盾した思いで頭の中がぐちゃぐちゃになって、何が正解なのかわからなくなる。
「...ごめん、ちょっと考えさせて」
何も分からない中、絞り出すようにそう呟くと、友梨佳は。
「うん、ゆっくり考えて」
『でもさ』と彼女は続けて。
「本当に、無理しなくていいからね」
ああ。
また僕は、彼女の優しさに、勝手に救われようとしてる。彼女に、逃げ道を用意してもらってる。
気まずい沈黙だけが流れる。誰も僕に、正解を教えてはくれなかった。
結局僕はその場で答えを出さず、昼食でも食べよう、と友梨佳に言うと、彼女は僕に何も言わず、『うん』とだけ答えてくれた。
「いただきます」
「いただきます」
僕と友梨佳はそれぞれそう言うと、焼きそばを啜る。せっかく彼女が作ってくれたというのに、あんまり味がしなかった。
それから結局食べ終わるまで、僕らは一言も喋ることはなかった。そして食べ終わった後も、僕は黙々と食器を洗っているだけで、何かを話すことはなかった。ずっと、本当に、彼女の誘いに乗っていいのかを考えていた。
――ふと、一つの疑問が頭をよぎった
あれ、そういえば彼女は、どうやって僕の家に来たんだ?いや、歩いたりしてきたのは多分間違いないんだけれど、それよりも今の友梨佳は、どうやって目覚めて、ここにやってきた?周りからは、どう見えている?
気になる、けれど。
もしこれを聞いてしまって、彼女に気づかれたら?それなら聞かない方がいいんじゃ?いや、でも。
「ねぇ、友梨佳」
「ん?どうしたの?」
彼女はいつもと変わらないような態度の彼女に、僕は思った疑問をぶつける。
「昨日君が僕の家に来たとき...てかそもそも、君はどうやってここまで来たの?」
考えてみれば、おかしなところは結構あった。いや、今のこの状況もおかしいはずなんだけども。
例えば事故にあって、壊れたはずのスマホが彼女の手元にあって使えてるし、昨日友梨佳が着ていた服は確かあの日、彼女が着ていたものと同じものだ。
「どうやって来たって...そりゃあ普通に歩いてきたけど...」
「えっと...昨日ここに来るまでの事を教えて欲しいんだ、あと、何か変わった事があればそれも」
「んーっと...昨日のことはあんまり覚えてないけど確か...」
友梨佳は頭を捻りながら、昨日のことを話し始める。
朝の事は本当に全く覚えてなくて、気が付いたら外にいた事。僕の家に来たのは、単なる思いつきだと言う事、特に変なことはなかった、という事。
「...そっか、ありがとう」
「別にいいんだけど...何の質問?」
「いや、ちょっと気になることがあって」
「なるほど」
彼女の話を聞いて、なんとなく分かったことがある。もちろん絶対に正解だとは言い切れないけれど。
まず友梨佳は、あの事に気づいていない。それと他人から見た友梨佳は、普通の人間と全く同じように見えること。
それならば、友梨佳の事を知ってる人がいない遠くなら、僕と彼女は、何の気兼ねもなく出かけられる。また一緒に過ごせる。
そう思うと、胸が高鳴ってきた。また、友梨佳と。
「友梨佳」
気づけば、僕は彼女に話しかけていた。
「何?」
「さっきの、旅行の話だけどさ...」
懸念するべきことは、もっと沢山あるだろう。考えるべきことも、色々あると思う。
それでも僕は彼女と一緒に居たくて、後先も考えずに、彼女に告げる。
「やっぱり、行こう」
僕がそう言うと、友梨佳の顔がぱっと明るくなった。笑顔が抑えきれないみたいな、自然で、嬉しそうな顔で、一言。
「うん」
僕も、つい顔がほころんでしまう。ずっとずっと重くのしかかっていたものが取れたような気分だ。
「それじゃあさ、いつ行く?」
彼女は笑顔を見せながら、僕に向かって話しかける。
「どうせ夏休みだし用事ないし、いつでもいいと思うよ、あ、後何泊する?」
「うーん、2泊3日とかでいいんじゃない?そんなに長くいてもあれだし」
それから僕らはスマホで旅行サイトを開き、ホテルの場所やら観光名所やらをあれこれ調べる。
「んー、とりあえず前回行けなかったとこと...あとせっかくだし海入りたいよね...あ、それじゃあここには絶対行きたい!蓮見て!」
友梨佳は僕の目の前にスマホを見せてくる。それは旅行サイトで、僕らが行く予定の県の海水浴場の一覧が載ってあった。
その中でも友梨佳が指さしていたのは、『日本の快水浴場100選』にも選ばれているというビーチだった。
「ここね、夜行ったら夜景もすごく綺麗なんだよね」
「ほー、いいね、ここにしよっか」
「やったぜ、じゃあまずはここで決まりね、次はどうしよっか」
その後も僕らは旅行の予定を立てていた。お互いの行きたいところを色々言い合って、行けそうなところは予定に組み込み、無理そうなところはやめたりして、1時間と少し経つ頃には予定は完成していた。
それから話題は、宿泊場所をどうするか、と言うものに移り変わった。
「あ、ホテルどこ泊まる?さすがにビーチと近いとこがいいよね、あ、でも駅から近い方がいいのかな...ていうか予算は?私色々買ったから金欠なんだよね...」
「僕はバイトして稼いだあぶく銭がいっぱいある」
「...もしかしてだけど、蓮は大学か私と一緒に居る時以外、ずっとバイトしてたってこと?」
彼女は信じられない、といった表情で僕を見てきたので、僕はふざけた感じで。
「よくわかってるね、おかげで毎月税金を沢山取られているよ」
「月収8万8千円を超えてる...だと...」
「それより、お金はいっぱいあるからどこのホテルでもいいよ、僕が奢るし」
「え!?いいの!?ありがとう、絶対返すね!」
お金を惜しんでも、仕方ないし。
そんなわけで、ホテルは民宿、ラ〇ホテル、格安ビジネスホテル、ラブホ〇ルを経由したのち、駅から近めのちょっとお高めの普通のホテルに泊まることになった。
「ふー疲れた、後は荷造りかな」
彼女はぐぐっと伸びをしがら、そう呟いた。話が長くなった原因は2回にも渡る彼女のラ〇ホテル発言によるものだったのだけど、黙っておく。
「そうだね、あ、それと新幹線も予約しとかないと」
「そーいえばそうだね...あ、そうだ」
彼女は何か、思い出したようで。
「水着買わないと、新しいやつ。それと日焼け止めとかも買わないとなぁ」
そのとき、痛いところを突かれた時みたいな、どきっとした感覚が起こった。
そうだ。他の人から見た友梨佳は、普通の人と変わりない。でももし、彼女の知り合いが見てしまったら...
「あのさ、友梨佳...」
僕はまた、我が儘を言おうとしてる。
「買い出しは全部、僕がしてくるよ」
僕がそう言うと、友梨佳は戸惑ったようにぎこちなく笑って。
「え?いや、でもそれだとさ、水着とか試着できないし」
「水着は向こうで買うし、服もそうするから...」
「だから、君は家に居てて欲しい」
これが僕のエゴなのは百も承知だ。だけど。
君にあの事が知られるのは、何よりも怖い。
「...わかった」
彼女は、さっきと同じようにぎこちない笑みを浮かべて、僕のその無理な申し出を了承してくれた。
「ありがとう、買い出ししてくるからさ、何か要るものある?」
「え?あー、じゃあ、日焼け止めとか...?」
「了解、買ってくる。他に欲しい物あったら連絡して」
僕はいそいそと、早すぎるくらいの速度で出かける準備を終えると、そのまま家を出ようと玄関で靴を履く。
そのままの勢いでドアノブに手をかけると、後ろから「行ってらっしゃい」と声がした。
友梨佳の方を見ると、彼女はどこか寂しそうな、心配そうな表情をしていた。僕はそれを見て、「行ってきます」と声をかけて、家を出る。
彼女があんな顔をしてしまった原因は、もう分かっている。
それでも僕には、「行ってきます」と言う事しかできなかった。
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