第7話 茶屋にて

「いやー、本当に良い男だったね。焔は」

 食堂は、焔の話で持ちきりだった。椿も例にもれず、うっとりとした表情で口を開く。

「女の扱いが上手いっていうか優しいっていうか……また来てくれないかなぁ~」

 ずずっと茶を啜った椿は、紫陽を見て「あら?」と首を傾げた。そしてにやりと口元を歪める。

「ねぇ、首筋のこれ、雨月さんの?」

「ええ……」

 触れると微かにぷっくりと腫れている。

「意外と激しかったり……ってこっち、大丈夫?」

 深く噛まれた方は、少しえぐれたようになっていた。

「大丈夫よ」

「雨月さんって意外と変な趣向があったり……?」

「まあそうかも」

 苦笑しながら紫陽は答える。流石に吸血鬼だからとは言えない。

「顔は良いのにねぇ。残念」

「顔と性癖はまともなのがいいねぇ」と、椿は溜息を吐き出す。紫陽はそんな椿を見て微笑むと、箸を置き手を合わす。

「ごちそうさまです」

「じゃ、またね紫陽。今夜も頑張ろうね~」

 くわえ箸でひらひらと手を振る椿に軽く手を振り返し、紫陽は部屋へと戻った。




 昼までにはまだ時間がある。しかし眠りにつくには短い。さてどうしようかと紫陽は鏡台に向かう。鏡台の上には簪が転がっている。そのうちの一本、銀の簪を手に取り、胸元に忍ばせた。硬くて冷たい感触。それを着物の上から確かめ、紫陽は目を閉じる。

 雨月は何故罪を犯すに至ったのか。紫陽は、死体の首筋に噛みつく雨月を想像してみた。

 想像の雨月は泣いていた。




「待ってたよ、紫陽花ちゃん」

 茶屋の暖簾をくぐった紫陽を見つけ、焔が手を振る。普通の茶屋ならばこの時間帯は繁盛しているのだろうが、ここでは隅の方で間夫と逢引きしている遊女ぐらいしかおらず、閑散としている。

「約束よ。教えて」

 卓に着くなり、紫陽は身を乗り出した。

「分かった。でもその前に……」

 焔は手を上げ店員を呼ぶと、茶と団子、そして酒を注文する。

「昨夜もそうだけど、吸血鬼は血しか口にしないんじないの?」

「液体だったら飲めるよ。全く酔わないし、味もしないけど」

 卓の上に注文した品が並ぶ。焔は盃に酒を注ぐと一息に飲んで続ける。

「まあ片牙になったら飲めなくなる。血も飲めないのにねぇ」

「どうぞ」と焔は茶と団子をすすめるが、紫陽はどちらも手を付けずに口を開く。

「早く教えて」

「……どうしてそんなに知りたいの?」

「え? どうしてって……」

 だって雨月は吸血鬼なのに血が吸えなくて……嫌な客から助けてくれて……色々浮かぶが、どうしても確固とした理由とは思えなかった。そんな中で自然と口をついて出てきた言葉。

「寂しくて悲しそうだったから」

「雨月が?」

「ええ」と紫陽は首を振る。

「心から笑った顔が見たいわ」

 焔は紫陽の顔をじっと見つめた後、目を伏せて笑む。

「雨月の笑顔か……さて、牙の話に戻そうか」

 ぱっと顔を上げ、明るい声で焔は話を切り替えた。

「僕が実際に見たわけじゃないから真実かどうかは分からないけど……愛していた女の為らしいよ」

 焔は酒を一口飲み、唇を湿らせる。

「何年前だろう。雨月は腕を買われてとある商家の用心棒をしていた。で、どうやらそこの奥方と恋仲になったそうだよ」

「良くある話だよね」と焔は言う。しかし小さい時から遊郭にいる紫陽には分からない。ただ酷く胸が痛む。

「しかしある日、賊が侵入した。ちょうど雨月は旦那様の言いつけで屋敷から離れていた。用事を済ませ雨月が戻ると、屋敷は血の海だった」

 その中に奥方は横たわっていた。ばっさりと袈裟斬りにされ、息絶えている。しかし雨月は彼女を抱き上げ、その首筋に牙を立てた……

「きっとその奥方は『番い』だったんだろうね。だから血を吸い尽くせば生き返ると思ったのかもしれない」

 しかしすでに死んでいた彼女を吸血したことにより、雨月は片牙を失った……

 紫陽はぎゅっと胸を押さえる。それとともに、噛み跡もずくずくと疼き出す。

「あれ? 大丈夫?」

 紫陽の異変に気付いた焔が顔を寄せてきた。心配しているというよりは笑みを感じさせる表情。紫陽は顔を逸らす。

「もしかして胸が痛む?」

 焔の口角がにいっと上がる。

「遊女が恋するなんて不毛なんじゃなかったっけ? しかももう雨月は死を待つだけで、子すら持てない」

 焔の瞳が紅く輝く。

「だから僕にしなよ」

「いやっ……!」

 紫陽は胸元に忍ばせていた簪を取り出し、焔に突き付けた。しかし焔も団子の串で、器用に簪の先端を防いでいる。

「へぇ……銀の簪か。特注だね。これ、どうしたの?」

「どうでもいいでしょう」

「雨月から……って事は無いか。ねぇ、誰から貰ったの?」

 焔の顔から笑みが消えた。途端に、空気までも温度が下がったように感じられる。

「銀だったら何だっていうの? 遊女が誰から簪を貰おうがいいじゃないの」

 焔がくるりと串を回したかと思うと、銀の簪はあっけなく紫陽の手から離れた。音を立てて卓の上に転がる。紫陽は手を伸ばすが、だんっと団子串が突き刺さりそれを遮る。

「僕たちは銀を受け入れない。それを知っているのは限られた人だけだ」

「さあ言え」と焔が詰め寄る。

「先にちゃんとした理由を言ってくれたら答えるわ」

 ひるむ事無く、紫陽は焔を見つめた。これが焔を止める手立てになるかもしない。

 ふいに焔がくすりと笑んだ。

「紫陽ちゃんは少しの間に強くなったね」

「誤魔化さないで」

 きっと睨むと、焔は降参というように両手を上げ首を横に振る。

「分かったよ。これは輝夜から直々に注意を受けたからね」

 聴き慣れない名前が出てきた。しかし話の腰を折るまいと、紫陽はじっと耳を澄ます。

「吸血鬼は首を切り離される、片牙になる、心臓を一突きにされると死ぬ。決して不老不死というわけじゃない。まぁそれ以外の傷はすぐに治るけど……」

 焔は眉間に皺をよせ、銀の簪を見る。

「銀でつけられた傷は癒えない」

 とっさに紫陽の手が伸びる。それより一瞬早く焔が簪を掴んだ。

「さぁ、次は紫陽の番だよ。誰から?」

 簪を握る指の関節が白くなっている。表面上ではそう見えないが、内面は穏やかではないのだろう。それはそうだ。自らの生死がかかっているのだから。紫陽は逡巡する。明だと告げるべきかどうか。

「……その人を知ってどうするの?」

「殺すかな」

 少しの躊躇いも無く、焔は言い放つ。

「なら言えないわ」

「約束を破るの? 遊女なのに?」

「遊女だから、簡単に破るのです」

 返して下さいと差し出した掌に、簪を握る手が重ねられ……いきなり掴まれ、引っ張られた紫陽は、卓の上に倒れ込む。

 がちゃんと湯呑が倒れ、みたらしのたれが飛び散る。

「な、何を……!」

 紫陽が顔を上げた時だった。ちくりと手首に痛みが走る。そしてぢゅるりという音。

 白い手首に、焔の牙が食い込んでいた。啜れなかった血が、筋となって零れる。

「別に首だけってわけじゃないんだよ。無理やりは好みじゃないけど、このまま吸い尽くして吸血鬼にしてあげる」

 噛まれている箇所から熱が広がっていく。指先を動かそうとするが、痺れるような痛みがそれを阻む。

「ま、遊女だったら餌に困らないしね」

 くらりと紫陽の視界が歪む。貧血など起こして気を失えば、間違いなく吸い尽くされてしまう。

「雨月……っ」

「無駄だよ。こんな真昼間に外なんか出れない」

 段々と意識が白く塗りつぶされていき……

「そこまでです。この化け物が」

 聴き慣れた声が冷たく言い放つ。それとともに、紫陽の手首から牙が抜かれる。

「あんたは?」

 紫陽はぼんやりと霞む視界で彼の姿を認めると、掠れた声で名を呼んだ。

「明さん……」

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