第5話 儚き願い
「お父さん、お母さん、見て。綺麗なピンクのお花が咲いているよ」
「ああ。綺麗な桜だね」
「本当ね。お弁当を作って正解だったわね」
「私、お母さんのお弁当楽しみ」
「そうか、お父さんも楽しみだ」
「あらあら、ふふふ。それなら早く行かなくちゃね」
「うん」
少女は夢を見ていた。
それは少女が過ごした中で一番輝いていた記憶の一ページ。
澄み渡る空をバックにして、艶やかなピンク色の花が咲き誇り、役目を終えた花びらが風に乗って降り注ぐ。美しい花片たちが生み出す刹那の輝きを眺めながら、桜並木を家族と一緒に歩いている。
右隣りには父が水筒と荷物を右肩にかけ、左隣には母が朝早くに起きて作っていた弁当を左手に持つ。
少女の両手は二人の優しくも大きな手が優しく包み込んでくれている。
それがうれしくて、楽しくて、少女は笑いながらピンクのカーペットを進む。
もう、二度と戻ることのない儚い思い出の――。
「はぁー、夢か。いてて」
地べたで寝たせいで背中が痛む。
早く今までの日常に戻りたいと願いながらも、それは二度と戻ってこないことをこの二日間で思い知らされた。
どうしてこんなことになったのだろうか。
いつも通り朝起きて、学校へ行って、友達と他愛のない話をして、学校が終わるとそのままバイト先へ向かい、忙しいバイトをこなして帰路につく。帰宅したらご飯を食べ、宿題を終わらせ、お風呂に入って、のんびりとスマートフォンをいじって、就寝するだけ。
それで一日が終わるはずだったのに――そんな日常は簡単に崩れ去った。
普段は仕事でいないはずの父が帰ってきた彼女を見て、幽霊を見たような面持ちで狼狽し始める。いつもとは違う父の様子に困惑している彼女に、父は真剣な眼差しで机に置いていたUSBメモリを巾着袋に入れて押し付ける。
「これは?」
彼女がこのUSBメモリの事を訊こうとしたその時、家の外から車が止まる音が聞こえる。
間を開けずドアを叩く音。
何も分からない彼女を地下室へ連れて行き、壁の中に隠していた非常用通路から送り出す父。
「巾着袋の中に父さんが使っていた隠れ家がある。そこへ逃げなさい。あとは……頼んだ」
壁が閉じきる前にそれだけを告げた父は、優し気な笑みを浮かべていた。
その後、父の抵抗する声と複数人の怒声を背に、彼女は恐怖を抱きながら通路を走った。
USBメモリの入った巾着袋の中には、父の文字で書かれた紙と地図。その地図を頼りに隠れ家へ辿り着いた彼女は、わけも分からぬまま走った疲労から、そこで意識を失った。
意識を取り戻した彼女はスマホを手に取るが、バッテリー残量が赤になっていた。幸い、リュックの中に充電器があるから、コードがあればいいんだけど――。
彼女が隠れ家を散策してみると、埃をかぶったデスクトップを発見。
埃を払って祈るように電源を入れると無骨な音と共に起動。
コードを辿っていって、電気コードを見つけた彼女は、充電器をスマホに繋げて電気コードへさした。
これでスマホは使えるようになるだろう。
スマホから視線を外した彼女は、マウスを動かしてネット記事を確認していくと、家が全焼し父が殺されたことを知った。
いくら探しても、残念ながら父を殺した犯人については載っていなかったが、今回の事件にはDIFが関わっている可能性があると記事には書かれている。
十三年前に突如として現れた、人を超えた存在DIF。
人間では絶対に勝ち目がなく、DIFには同じDIFでないと勝負にならない。というのは一般常識であり学校でも習うこと。なにより、一ヵ月前に、DIFの圧倒的な強さを目の当たりにしたばかりだ。
そんな奴らが相手では、か弱い彼女に芽生えた復讐という思いは、一瞬で刈り取られてしまった。
「私がDIFだったら……」
彼女が絶望しかけた時、
ピリン
とスマホが鳴った。見てみると、普段滅多に使わないメールに新着ありのマークがあった。
彼女は何気なくそのメールを確認して驚いた。
『君を守れる人物を派遣したい。居場所を送ってくれ』
その一文と共に、最後に“青”とだけ書かれていた。
普段の彼女ならば、怪しいと思ったメールはすぐに消すが、このメールのタイミングを考えると、“青”を信じてもいい気がした。というのが建前で本音は、心が疲弊しており、藁にも縋る思いだった。
さっそく自分の現在地を送信すると、少し心に余裕が出た途端、目から涙が溢れてくる。
彼女は袋を抱いて静かに泣いた。
職業柄、家を空けることが多かったゆえ、父との思い出は数える程しかなかった。
それは小学四年の頃に母が亡くなってからは、一年でも数回会えるかどうかだった。
世間一般的に見れば、家族よりも仕事を優先していると思われるかもしれない。
それでも、母の命日や自分の誕生日には必ず帰って、一緒に過ごしてくれた。
それだけで彼女は嬉しかった。
やがて中学校になると、仕事が安定したのか二、三か月、家を空けては戻り、一か月ほど家で過ごした後、再び家を空けるような生活となった。
しかし、思春期だった彼女は、父親に甘えるのが恥ずかしくて、用事や悩み事は父方のおばさんに話をしていた。
「おはよう」
「ただいま」
「おやすみなさい」
「いただきます」
最低限の挨拶しかなかったけど、いつも笑顔で迎えてくれた父の姿は今でも忘れない。
ぐ~~
どれだけの時間泣いていただろう。
お腹の音で我に返った少女は、袋を学校で使っていたリュックの中へ大事に入れる。
「食べ物、買いに行かなくちゃ」
隠れ家にあった僅かな食糧は、すでに尽きてしまった。
本当ならば、外へ出たくない。
誰が敵で誰が味方か分からない状態だからだ。
だけど、水も食糧もなしでは、生きていくことはできない。
遅かれ早かれ、外へは出ていかないといけない。
それが今日になっただけだ。
彼女はデスクトップの電源を閉じようとしたが、“青”の『私を守れる人物を』の文字で、一体誰が派遣されるのだろうか、ちょっと気になった。
「……ないな。あの人が来るなんて」
ふと、頭に浮かんだのは、一ヵ月前に出会った面白い人。
出会いは最悪だったが、勉強したDIFの概念が変わるほど頼もしく、人間であっても見下さない人だった。
あれ以来会っていないけど、DIFの事件が起こるとたまにニュースの切れ目に映っているのを見かけ、部下らしき人に指示をしている様子で頑張っていた。
「ふふ。私も頑張らないと」
やる気が出てきた彼女はリュックを背負い、気合を入れて隠れ家のドアを開けようとした瞬間、
「えっ⁉」
なぜか、勝手にドアが開いた。
恐る恐る、顔を上げるとそこには、こちらを見下ろすスーツ姿の男性が立っていた。
その人物は敵か味方か、彼女――川本ももは怯えながらも瞳を光らせて、対峙するのであった。
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