15話 アイゼンハウアーは勇者である。

「すご……」


 ヴィンスは思わず声を漏らした。

 それは、目の前に広がる霧の晴れたボイル峡谷の絶景にたいしてだ。

 霧で全く見えなかった地面には、僅かながら緑があることが分かる。

 そして、ボイル峡谷を象徴するあの剣山のように尖った岩山には、まるで根本を支えるように多くの木が巻き付いていた。

 

 遠目で見ていた雰囲気とはまるで、真反対。

 想像していたよりも緑に覆われていたのだ。

 

 ヴィンスはふと思った。

 霧が晴れたボイル峡谷。

 それを見た者は、自分たちが初めてでは無いだろうか――?


 だとしたら、すごいことだぞ。


「言っておくけども、ボイル峡谷は元から霧が出ていた訳では無いわ。

 私の一族が根城にし始める五〇〇年ほど前には、霧なんて無かったと聞いている」


 声がする方を振り向く。

 そこにいたのは大きな帽子と青みがかった肌。

 背丈よりも高く、腕よりも太い杖を携えた女。


「そんな記録、王都には無いでしょ? だから杜撰だって言ってるの」


 女はそう続けた。

 ヴィンスは確信した。


「お前が――」

「ええ、あなた達がよく知ってる、嘘つきアシュリンよ」


 ついに目的の人物に出会えた。

 ヴィンスは少しばかり達成感に浸っていた。


 だが、なんというか……想像したよりも……


「ちっさいね、あんた」


 キーヴァのその言葉にドキッとした。

 なぜなら、ヴィンスも同じことを思っていたからだ。


「はぁ……ほんと差別的なお嬢ちゃんね。どういう教育を受けてきたのかしら」

「魔族に人間のことをとやかく言われたくないね」

「私があなたに何かしたかしら?

 何もしてないのに魔族だからって、そういう態度を取るのはどうかと思うわね」


 ごもっともである。


「それで」


 と、アシュリンは、その鋭くも冷たい眼光でヴィンスを睨んだ。


「私の仕事を増やしていたゴミクズさんはあなた?」


 初対面で、ゴミクズ。

 魔族の感性は、キーヴァと似ているのかもしれないと、ヴィンスは思った。


「文句の一つでも言ってやりたいところだけど、長く話したくないから手短に用件を教えてくれるかしら?」

「魔族領の正確な地理を教えてほしいんだ」

「地理?」

「細かく言うと、土地々々の距離を知りたい」

「知ってどうするの? 侵攻の計画でも立てるのかしら?」

「資料の精査に使うだけだ。それ以外には使わない」

「どうだか。人間は嘘つきだからねぇ」


 自らの異名『嘘つき』に掛けた皮肉。

 こういうところが魔族らしさを際立たせる。


「このルートの距離が正しいか教えてほしい」


 アシュリンは資料を受け取り問うた。


「この資料は何?」

「魔族領を旅した人間の旅程だ。記入は本人の自己申告。王都側の情報と齟齬はないが、そもそも王都は魔族領を測量したことはなく、仮定でしか距離を決めていない。だから今回、魔族領をよく知る人物で協力的……つまり、この資料の精査をお願いしたくて、君を訪ねて来たってわけだ」

「まぁ、理由は分かったけど……結構秘匿性が高い情報をべらべら喋っていたけど、大丈夫なの?」

「問題ないだろう。枢密院の情報共有規定には違反していない」

「でも、王都の法律には違反してるんじゃない? 魔族への情報提供で何人か処刑されたって話は聞いたことあるけど」

「露呈したやつはな。俺のは露呈しない」

「ずいぶんな自信ね」

「俺がもみ消すからな」


 その言葉を聞いて、アシュリンの顔は歪んだ。

 まるで、まずいものを見てしまったような反応。


「……この人って、目的のためなら規則を破るタイプ?」


 尋ねられたキーヴァは、呆れた様子で頷いた。


「まぁ、本人が問題ないと言うなら私は協力するだけだけど……」


 と、アシュリンは資料に目を通し始めた。

 一枚、また一枚と資料を捲る。

 そして、最後のページを上から下まで読み終えると、鼻で笑った。


「ちゃんとした数値ね。コロ平原からタウラ丘は三〇キロ、タウラ丘からスイゴまでは二七キロ。点と点で結んだ距離。数値に間違いはないわ」


 つまり、アイゼンハウアーが証言に間違いはない。

 それが意味することは、ただ一つ。


 アイゼンハウアーは勇者――ということ。

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