第5話 グウィオンという青年
私は
馬に乗ってやってきた私兵と思しき武装した屈強な男性たちと、私が載ってきたものより数倍大きい立派な馬車から出てきた、黒髪に灰色のメッシュが入った青年。不思議なことに、青年の着ている服は簡易礼服を着崩し、ライトベージュの長外套を肩に羽織って、見たことのない着方なのに何だかかっこいい。さらに、その周囲には青年の倍は年上の身なりのいい人々があれこれ青年から命令を受けている。
急にやってきた見知らぬ人々を、アレジア地区の農夫たちが出迎え、前庭の石畳の上で数本のワイン瓶とワイン樽一つを持ってきて見せていた。どうやらそれは商談らしい、と私の足元にしゃがんでいるおしゃまな小さな女の子二人がヒソヒソ教えてくれた。可愛らしい黒髪のツインテールを結ってあげた双子の女の子たちが私の足にそれぞれ掴まってくれているおかげで、私は震える足を何とか立たせている。
黒髪に灰色のメッシュが入った青年は、ワイン瓶の首を持って瓶底を日光に透かしたり、栓を開けてグラスに注いだりと、商品であるアレジアワインを見定めている。
頼りない私に代わり、双子の女の子たちが私に逐一情報を上げてくれてとても助かる。
「あれがグウィオンよ、フィーヌ」
「なかなかハンサムでしょう?」
「そ、そうですね、はい」
「ちなみに下戸だからいつもちょっとしか飲まないのよ」
「それでも強がっているのよ、きっとそう」
「大変ですね……」
双子の女の子たちによる解説でグウィオンの人物解像度が少し高まったところで、黒髪に灰色のメッシュが入った青年——グウィオンがグラスのワインを飲み干し、話しはじめた。
「ふむ、これならいいだろう」
満足そうに頷くグウィオン、グウィオンのグラスへとワインを注いだ一人の農夫——
「そうか、いつも助かるよ、グウィオン。商売のほうはどうだ?」
「ふん、上手く行く以外にあるとでも? いや、あるな! 俺が今、この国で一番稼いでいる人間だと胸を張れる状態か否かと問え!」
「じゃあそれだったらどうなんだ?」
「当然ッ! ……こないだ年末の長者番付見たら三番目だった!」
「あらら、一番と二番は誰なんだ?」
「リヴォリー商会の化け物爺とアスタシオン伯爵スワンだ! あいつら、株と武器で儲けてるんだ! ずるいだろそれは! 俺の担当外だ!」
「まあまあ」
何だかテンション高く叫んでいるが、全部が全部は聞こえない。グウィオンの身振りが大きすぎて、もう酔っているのだろうか、と心配になる。
雰囲気、言葉遣い、所作を見れば、グウィオンという青年が人目の厳しい貴族階級ではなく、さりとて貧しい家の出でもないことは一目瞭然だ。あらゆる階級の人々と交流がある大商人ならではの、コミュニケーション能力が発揮されているのだろう。
「で、アレジアワインの今年の出来はどうだ? ジェス、お前の舌がいいものだと保証するならそれで行く」
「もちろん、今年も厳選に厳選を重ねたブドウで作ったんだ。雨もなく、しっかりと干したブドウでできた最高級の
「よし、買った! 他には?」
「去年仕込んだ
「うむ、知っている。それは前の売れ行きが非常によかった、できるだけ多くほしい。言い値でかまわん!」
「そりゃよかった。他には」
ジェスおじさんが
「行かないの?」
「今よ、ほら!」
「い、行きますよ。ちょっと心の準備がですね」
双子の女の子たちが私の巻きスカート越しの両足から離れ、私は深呼吸をして、ブラウスの襟を整えたり、大きめのカーディガンの肩を直したりして、心臓が落ち着くまでの時間を稼ぐ。
大丈夫、どうせここで逃げても結局会わなきゃいけないのだから。そう思って、私は自分の気持ちに発破をかけた。
「よし、行けます。フィーヌ、行きます!」
「頑張ってー」
「負けるなー」
双子の女の子たちの応援を背に、私は主屋の建物の影から一歩を踏み出した。
頑張れ、私。一歩一歩、ちゃんと
声の届く距離まで近づくと、私兵の男性が立ち塞がる。そこで私は足を止め、青年の顔が向くように、はっきりとした発音で挨拶をする。
「あの、よろしいでしょうか。私、セラフィーヌと申します」
「ん? セラフィーヌ?」
くるりとグウィオンが振り返り、その青灰色の両目は私を捉えた。
次の瞬間、グウィオンは私兵の男性を押しのけて、凄まじい速さで私のもとにやってきた。私は反応できないまま、革の黒手袋越しに両手を掴まれ、まるでダンスのように互いの手をそれぞれ繋がれてしまう。
そして、グウィオンは歓喜の声を上げた。
「誰かと思えば、俺の
おそらく、それを聞いたその場にいる人々全員が、思いを一つにしただろう。
(((グウィオン、何を言った、今)))
もちろん私も同じである。ようやく唇が動くころ、私は反射的に問いただす。
「……何? 今、なんと?」
「よし、よしよしよし! フィオレ侯爵の目はやはり節穴だった! セラフィーヌ、結婚式を」
話を聞いていないグウィオンが先走ってとても重要なことを勝手に叫び、さらに勝手に止まる。何事か、と私が眺めていると、グウィオンは不思議だとばかりにこう言った。
「そういえば、セラフィーヌ。お前はここで何をしていたんだ?」
「何って、代理官として生産額や税額に間違いがないか資料をチェックして、帳簿をきちんとまとめて、よその商人に不正請求されたお金を取り返すための裁判の準備をしていました」
そうしろと言われたから私はそうしてきたわけだ。ズムウォルト子爵領を統治前にきちんとしておくように、と父フィオレ侯爵から言われたのだが——よく考えると、それはグウィオンの意思だったのだろうか?
厄介払いに、父がそういう口実を設けただけで、体よく追い出されただけだろう、と思うと何だか心が重たくなってくる。
だが、グウィオンはその空気を一掃するように、私の両手を握った。
「よし! お前の選択に間違いはない! それでいい!」
「その反応、ちゃんと理解していますか?」
「もちろん! そのへん後でちょっと説明してもらうとして、それはそうと結婚式のほうが大事だ! はあっはっはっは!」
テンションが高まりすぎて、グウィオンは私の両手をそれぞれ握りながら、くるくる回転する。こんなものダンスではない、しかし楽しそうに笑いながらグウィオンは私を振り回す。
十回転に届かないところでやっと回転は止まり、グウィオンはすっと一礼をして態度を豹変させた。
「ま、ふざけるのはここまでにしよう。会いたかったぞ、セラフィーヌ。改めて自己紹介を。俺はグウィオン・クレイトン、クレイトン海運および貿易商会の代表を務める者だ。そして」
グウィオンは私の両手を離す。もう一度、右手をそっと差し出して私の右手を優しく取り、そのまま姿勢を下ろして地面に片膝を突く。
『ハンサムな青年』グウィオンが、上目遣いに、私へとプロポーズの言葉を投げかけた。
「幼き日のお前の選択を信じてここまで来た男だ。だから結婚しよう」
どよめきと、黄色い声が周囲から湧き起こる。
そんなものよりも、グウィオンの完璧なプロポーズが私の頭を支配して、しばらく興奮と混乱から抜け出せなかった。
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