第6話 出会いはいつ?

「ひとまず、会ったばかりなんだから屋敷で話をしたらどうだ?」


 固まったままの私と得意満面のグウィオンへそう提案してくれたのは、ジェスだった。


 グウィオンは「そうだな!」と商談をさっさと終わらせ、私の手を引いて歩いて屋敷までの道のりへと踏み出す。今私が使っていることも知らないだろうから、着いたらびっくりするだろう。この一ヶ月、アレジア地区の人々総出で改修された屋敷は、見違えるように綺麗になっているのだ。


 それはそうと、私の右隣を歩くグウィオンは、先ほどと表情が変わっていた。取り巻きの人々を置いてきたからか、気を張る必要がなくなったらしく、少し表情が和らいでいる。いや、高まりすぎたテンションが落ち着いただけなのかもしれない。


 私としては、一刻も早く、以前グウィオンとどこで出会ったかを知りたいところだ。幼いころ、グウィオンと会った憶えは今のところない。黒髪に灰色のメッシュが入った男の子、なんて身の回りにいただろうか。鼻筋の通ったハンサムな顔つきからして幼い時分だってさぞ可愛かっただろうし、何かと特徴的だから忘れようがなさそうだが、どうにも思い出せない。


 そんなふうに私が記憶の中を洗いざらい捜索していると、グウィオンは控えめに問いかけてきた。


「マディールという地名に憶えはあるか? 俺たちが初めて会ったのは、そこの教会だ」


 私は思わず、「あ!」と記憶の海の中に手を突っ込まれて目的のものを掻っ攫われたように、唐突にその名へ思い至った。


 大昔、私が姉の名代として行った都市の名前だ、と。


「フィオレ侯爵領に、そんな名前の都市があります。私が昔、名代にされて行ったことのある……そこの教会、ですか?」

「ああ。憶えていないとしても責めはしないさ、あのころは俺もチビで泣き虫だった。髪の色も違っていたしな」


 それを早く言ってほしい。


 髪の色が違うとなると、よくあるのは幼少時は金髪で成人するにつれ色が付いていくパターンだ。青灰色の目の色からして、グウィオンの先祖は元々北方出身だったのだろう。


 手がかりは増えた、それならもっと思い出せる。


「んん? ……もしかして、金髪でした?」

「そうだ! 思い出したか?」

「ちょっと待ってください。金髪の、小さい男の子……会ったかもしれません。何せ、たくさんいたので、ええと」


 当時、私が五歳くらいだろうか、交易都市マディールは建設されたばかりで、多くの商人たちが顔つなぎにとやってきていた。周辺貴族も当然来ていたし、あちこちの良家の子女が集まり、作られたばかりの教会でまとめて面倒を見てもらっていたのだ。家庭教師はまだそれほど数がいないし、どうせ数週間、長くても数ヶ月滞在するだけの都市で子どもの教育に力を入れる親はおらず、教会の司教や修道士たちに初等クラスの教育を受けたほうが手早かったのだ。


 もちろん、私は名ばかりの名代なので、教会に通っていた。できたばかりの教会というのは珍しくて、大きな天窓がいくつもあり、長椅子は隙間もなく新品で、子どもが走り回れるほど広かったことを思い出す。


 そこで——金髪の男の子と出会った記憶というと、あった。


「ああ、思い出しました!」

「おお!」

「算数の家庭教師に怒られて逃げ出して教会の椅子の下に隠れていた泣きベソの男の子ですね!」

「そこまで思い出さなくていい!」

「あ、ごめんなさい、傷つけて」

「き、傷ついていない! 少ししか!」


 OH、グウィオンにとっては幼少時泣いた記憶は恥ずかしいかもしれない。私は少し反省した。


 しかし触れずに話すことはできない。確かに、初対面のとき、あの子は泣いていたのだ。今の立派な青年であるグウィオンからはまったく想像もできないほど小さなころ、芋虫みたいに丸まって新品の長椅子の下でうずくまって、しゃっくりを上げながらうめいていた。


 そんな子を放っておくことはできない。私は声をかけ、少し話した憶えがあった。


 問題は、話した内容に関してはすっかり思い出せないことだ。どうしよう。


「えっと、何を話したか憶えていますか……?」

「当然だ! おじいさ……こほん、祖父の商売に付いて交易都市マディールに滞在していた俺は、お前に話しかけられて」

「泣いていたから慰めたのでしょうか?」

「それもあるかもしれないがちょっと横に置いておけ」

「はい」

「俺はお前に弱音を吐いたんだ。勉強が苦手で祖父が怖い、商会を継ぎたくない、と。実際、官僚や進学、早期に独立してどこかで暮らす道だってあった。祖父は俺を跡継ぎにしたくて厳しくてな……食糧輸出を止めている馬鹿な貴族を騙してこいと命令したり、反乱軍に新製品を売り込んでこいと言ったり、散々だった……散々だった!」


 どうやらグウィオンは祖父に与えられた苦難の数々を思い出してしまったようだ。地団駄を踏んでいる、そっとしておこう。


 しばし呼吸を整え、グウィオンは咳払いして帰ってきた。


「話を戻そう。お前は俺に、「それなら継いだほうがいい」と言ったんだ」

「記憶にないのですけど、なぜでしょう?」

「理由? そんなもの、一言だったぞ! 「後悔しないように」、その一言だ!」


 かけたのはたった一言なのか、私。


 たった一言で私と結婚したくなるのか、グウィオン。


 色々と思うところはあるが、まだグウィオンが真剣に話している途中だから、ぐっと我慢した。


「祖父から逃げたところで、俺は後悔してつまらない人生を送っていただろう。厳しいが、祖父のことは敬愛していたし、期待に応えることで喜んでもらえていた。それができないからと祖父が俺を見捨てやしないのに、恥ずかしながら俺は勉強ができなくて泣いていたんだ」


 随分と、グウィオンは芯の強い男の子だったようだ。私がそんな一言を言わなくたって、自分で立ち直り、祖父といい付き合いができたに違いないが——恥ずかしい一面を知られてしまって、私に弱味を見せてしまったと思っているのかもしれなかった。


 そんなこと、弱味でも何でもないのに。


「それから十年だ。俺は商会を継ぎ、結婚相手を探すような年齢になった。そこで、俺は祖父に頼み、お前を探したんだ。セラフィーヌという名前で、交易都市マディールにいた娘を探したところ、あっさり見つかった。だが、そこからが難関だった」

「どうしてですか? フィオレ侯爵家が……何か失礼なことを?」

「書類上、交易都市マディールにいたのはお前の姉マルグレーテだったんだ。セラフィーヌがそこにいるはずはない、何かの間違いだ、と言い張られて交渉が長引いた」


 急に話の雲行きが怪しくなってきた。別段、私は公に隠されているわけでもないし、姉の影に隠れてしまうことはあっても、出不精な姉よりは外に出る機会が多かった。その言い訳は大分苦しいが——父フィオレ侯爵の思惑は、何となく予想できた。


 大商会の跡継ぎが自分の娘をもらいたいと言ってきたなら、貴族としてやることは一つ。いかに値打ちを上げて、高く売り抜けるか、だ。


 父はグウィオンがフィオレ侯爵家の娘を欲しがっているのは、平民からズムウォルト子爵家を継ぐ新興貴族として由緒正しい貴族の血統を欲しているからだ、と言っていたが、やはり実際には違っていた。グウィオンは『フィオレ侯爵家の娘』ではなく『セラフィーヌ』を花嫁として迎えたかったのだから、あの日結婚相手の記してある封筒を選ばせたのも、それらしく私に思い込ませるための芝居でしかなかったのだろう。


 だんだんムカっ腹が立ってきたが、深呼吸して落ち着こう。しかし、グウィオンの証言によってさらに腹の立つ実家の振る舞いが明るみになる。


「結局、大金を積んでお前の結婚相手候補になったわけだが」

「……大変、申し訳ありません」

「いや、気にするな。だが、あいつらは許さん! フィオレ侯爵もだが、取り次ぎの使用人やら執事が毎回毎回、連絡を取るたびに散々賄賂を要求してきてだな!」


 ほら見ろ、やっぱり。


 もう私は天を仰ぎたくて仕方がない。


 貴族のくせに、貴族に仕えるくせに、なんと金にがめつく卑しいのか。忘れたくても忘れられないほど無様で、グウィオンに対し無礼千万だ。


 そんな私の気落ちを察したのか、グウィオンは話題を変える。


「まあいい、済んだことだ。とにかく、俺の存在をお前に知らせたかった。結婚相手候補でもいい、選択肢に上がるなら。お前が俺か誰かを選ぶことになれば、必ず俺を選ぶだろうと信じていたからな!」


 臆面もなく、グウィオンは謎の自信を全面に押し出す。私が選ばなかったらどうする気だったのだろうか。


 ん? 『選ぶ』?


 はて、と私は引っかかりを覚えた。


 考え込む私を見て、グウィオンは「結婚は嫌なのか」と誤解してしまったようだ。


「そんな顔されても、俺はただ」

「あ、いえ、あなたの思いの丈は伝わりました」

「そ、そうか!」

「なので、結婚するのは問題ありませんけど……ひょっとして」


 そう、ひょっとして私が『選ばなかった(ことにされた)』ほうは、どうなったのだろう。


 私は色々なことを『選んだ』。その結果が、グウィオンとの再会と、望まれての求婚、私も満更でもない結婚承諾だ。


 私は私にとっていい選択をしたつもりだ。


 好きなアクセサリも、真面目で優秀な家庭教師も、新調したドレスも、姉が自ら選ばず、私に『選ばせて』から横取りされることが当たり前だった。今まで私が『(姉に)選ばされた』ものは、すべて姉の手に渡った。


 つまり、私が最初に『選んだ』ものは——私が『選んだ(ことにされた)』ものは、結果的に私の手にやってきて、結果的に私は失敗しても糧が得られたり、意外と愛用したり、悪くない結果を得られた。


 しかし、姉はどうだろうか。——今頃、姉マルグレーテは自分で『選べている』だろうか?


 いや、そもそも姉は『選んでもらった』ことばかりで、自分で『選んだ』ことはない。


 公爵夫人ともなれば、そんなことは許されないだろう。




 無益だ、考えるのはよそう。私は思い浮かびかけた家族の顔を頭から消し、グウィオンの手を強く握った。

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