第2話 アレジア地区

 ある哲学者であり弁論家であった人物の言葉に、このようなものがある。


 選択には責任が伴う。自由に責任が伴うのと同じだ。によって起きることへ、誰もが責任を負わなくてはならない。


 もっとも、私セラフィーヌには自由などない。『選ばさせられて』、いいものを取られて、残りものを与えられるだけだ。


 フィオレ侯爵家令嬢セラフィーヌは、あっさりと実質ただのセラフィーヌとなり、クレイトン卿に嫁ぐまでの間は元貴族令嬢として、ズムウォルト子爵家の領地に先行して統治の下準備に取りかからなければならない。


 要するに、私はていよくクレイトン卿の部下兼花嫁にと恩着せがましく売られたようなものだ。


 あのとき、私はバルフォリア公爵家の名が記された封筒を取っていたのに——私はちゃんと『選んだ』のに、その幸運ごと姉マルグレーテに奪われてしまった。


 当の本人はこう言うだろう。


「まあ、奪ったなんて人聞きの悪いことをおっしゃらないで。私はあなたの選んでくれたものを手に取っただけよ、セラフィーヌ。あなたの目は確かだもの、感謝しているわ」


 姉マルグレーテは悪びれもせず、純真に私が自ら進んでいいものを姉へと献上したのだと理解するだろう。ものは言いようである。もはやため息も出ない。


 執事たちから追い立てられるように自室の荷物をまとめ、私は古びた頑丈な馬車一台を与えられて、次の日にはフィオレ侯爵家屋敷からズムウォルト子爵領へ旅立った。


 感傷だとか、長年住んだ我が家がだとか、そんなことは言っていられない。私はしばし無言で、馬車の窓から外の景色を眺め、色々な感情が湧き起こりそうな心を落ち着ける。そうしないと、やっていられなかった。


 それに、目的地はさして遠くはない。いくつか大きな川にかかる橋を越え、それから下流へ馬車を走らせれば二日とかからない。先立っての領主代理の免状ごと事前に渡された薄っぺらい資料と周辺地図によれば、小さな盆地がまるごと領地で、果実、主にブドウ栽培の盛んな土地らしく、小規模な農家たちが独立してその土地を守っているのだとか。


 しかしそれは、あくまで資料上の話だ。実際には色々と違っているだろうし、よそから来ていきなり領主代理になった小娘を、代々その土地を守る人々がすんなり受け入れるはずもない。明らかに前途多難だろう。


 途中、一旦馬車を停めて川岸で休憩していたとき、雇われ御者の青年ラースがこんなことを口にした。


「そういえば、なんでお嬢様は子爵領に? あそこは先代の子爵が死んでからずっと放置されている土地なんですよ。後継もいなかったし、山間の小さな土地だから管理も面倒で、誰も代理の役人すら派遣しなかったって話ですよ」


 ほら見ろ、資料に載っていない初めて聞く情報だ。私は今持っているサンドイッチにかぶりついて完食してから頭を抱えたくなったが、堪える。


「じゃあ、今、ズムウォルト子爵領はどうなっているの?」

「さあ……ああ、そうだ。だいぶ前に、あそこはいくつもの村が自主的に合併して、一つの地区を名乗ってるんですよ」

「合併って、初めて聞いたわ!?」

「ははは、でしょうね。もちろん、正式なものじゃないです。で、彼らが名乗ってる地区名はアレジアです。今じゃ他の土地でもアレジア地区って名前で通ってます」

「知らなかった……」


 当然、私が知るはずはないのだ。他領の、それもごく小さな土地が勝手に名乗りはじめた地名まで、貴族令嬢が知っているはずなんてない。官僚になるための学校にでも行っていれば耳にしたことくらいはあったかもしれないが、嫁に出すだけの娘を教育したがる親は少ない。最低限、淑女として振る舞えて、跡継ぎとなる子どもを産めればそれでいい。侯爵家でさえも、そんな有様のこの国だ。


 無論、他国はもっと進んでいると聞く。子女教育に熱心で、男性と張り合うほど知的な女性が好まれる、と風の噂で聞いたこともある。ただ、戦争もなく、競争らしい競争もなく、貴族の義務なんて家を守ることくらいしかないこの国には、そんな風潮はしばらく来ないだろう。


 私だって、幼いころに姉の代わりに行かされた父フィオレ侯爵の名代の経験がなければ、領地経営の云々なんてまったく知らなかっただろう。偶然子どもに優しい代理官たちがいるところで一年を過ごしたことがあるから、ほんの少しだけ彼らの仕事を知っているだけだ。最低限、書類が読めて理解できて、サインができて、数字の計算ができれば何とかなる、と。


 とはいえ、十五歳になってから領地経営というものを振り返ると、あれもできたのではないか、これもできたのではないか、と考えが色々と浮かんでくる。もしかすると私、意外と研究熱心なのかもしれない。


 ちょっとした発見と心境の変化はさておき、私はふと、ラースの言葉に引っかかるものを覚えた。


「ん……? 名前が通っている、ってことは、有名なの?」

「ええ、もちろん。上等なワインの生産地ですよ。アレジアワインって名前で通ってます」


 へえ、と私は感心する。農民とは、ただ小麦を作って納めるだけではないのだ。ワインならどこでも需要があるし、資産家や貴族だって買い手になる。よく考えたものだ。


「まあ、食い扶持があるのはいいことよね」

「そうですね。ところでお嬢様、アレジアに到着した後も俺を雇ってもらえませんか?」

「いいけど、そんなに馬車を使うことはないと思うわよ?」

「雑用でも何でもやりますって。俺も食い扶持を稼がないといけませんから」


 そう頼みこまれては、私も断れない。未来の旦那さまことクレイトン卿がどんな判断をするかは分からないが、そばかす顔の茶髪の青年ラースは、大人の男性ということもあって力仕事や護衛代わりにもなるだろう。私はそう考えて、ラースを雇うことを『選んだ』。


 休憩を終え、私たちはまた馬車でトコトコとズムウォルト子爵領ことアレジア地区を目指す。


 ところが、山間の道を抜けた先には、とんでもない土地が広がっていた。

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