35話 推しっ!?

 俺は突如として目の前に現れた、最推しの姿を前に固まっていた。


 ――え……、待って。俺には全然状況がわかんない……。なんでここに水梨さんが?……というより、なんで彩菜のことを知ってるんだ?……フレンドリー、というかもっと近しい存在のような……。


 脳内で色々と考えていると、彩菜が一呼吸置いて話し始めた。


「いつか凛人には話さないといけない、って思ってたんだけど、なかなか機会がなくて言えなかったの。……この人、私の姉なんだ」

「……お、お姉さん!?……水梨愛菜さんが……彩菜のお姉さん!?」

「うっす!うちの彩菜がお世話になっております!」

「……、……」


 ――あぁ、俺の最推しの声だぁ……。これは夢なのか、いや夢じゃないはず……。これは現実だ……。水梨愛菜さんが本名じゃないこともネット情報で知ってたもんね。……それにしても、映像や写真で拝見するよりもお美しい……。あぁ、なんて尊いんだ……。こうして彩菜と並んでいると、確かに似てる……かも。美人姉妹、最高かよ!


「ねぇ彩菜。……彼、大丈夫?」

「ははは……、大丈夫だとは思うんだけど、ちょっと時間かかるかも」

「なんで?」

「う~んとね、彼も私と同じクプラニのファンなんだけど、その中でも【PiliNa】のアイナちゃん推しなんだ……。キャラだけじゃなく、……声優さんも好きなんだって」

「……はっ!ということは……私のファン、ってこと!?」

「そういう事になるね……」


 俺の目の前で彼女と推しが話している。

 ただ、俺の意識が異次元へ飛ばされているような感じな故、話している内容までは聞こえない。というか、耳に入ってこない……。俺の思考回路は緊急停止していた。


 どのくらい時間が経ったのかわからないが、ようやく現実の世界へ戻って来る頃には2人の会話は終わっていた。


「……凛人、大丈夫?」

「……あ、うん。一瞬、異次元に飛ばされたような気がしたけど、もう大丈夫」

「その……黙っててごめんね」

「彩菜が謝ることないよ。公にできない事だってあるんだから」

「……そっか」


 俺と彩菜の間に流れる気まずい空気――。

 その様子を間近で見ていた水梨愛菜さんは、大きな溜め息を吐きながら俺たちに向かって言った。


「あのさ、このめちゃくちゃ重たい空気いつまで続くの?隠してた彩菜もそうだけど、君の推しが彼女の姉だと知って、彩菜のフォローができないような男じゃだめだよ」


 水梨さんの言葉に、俺は頭に大きな衝撃を受けた。


 ――確かに水梨さんの言う通りだ。俺の目の前に最推しが現れたから何なんだ。彩菜と推しが家族であるから何なんだ。今は、……彩菜の事が一番大事だって事を伝えなければ……!


「彩……」

「この子、今日はもう連れて帰るので、後日改めて話をしてくださいな。ここまで送ってくれてありがとうね」

「え……、……はい」


 俺の言葉を遮るように水梨さんは言った。

 彩菜も、水梨さんの言葉に少しだけほっとしたような表情をしていたため、俺はそれ以上何も言えないでいた。


「凛人。今日はありがとう、……また連絡するね」


 彩菜はその一言だけ俺に伝え、水梨さんと共に帰って行った。

 俺は、彼女が振り返るのではないかと期待していたが、彼女が俺の方を振り返る様子は、悲しいことに全くなかった――。



 ◇◆◇◆


「……ただいま」


 例年以上に楽しんだはずの納涼祭……。

 好きな人に、初めて下の名前で呼ばれて嬉しかった。……はずなのに、今の私には別の感情が沸き起こっていた。


 ――凛人には悪い事をしちゃったかなぁ……。でも……。

 

「おかえり……、って、彩菜元気ねぇじゃん」


 私の様子がいつもと違う事を一瞬で見抜くなんて、家族とは末恐ろしいもんだと思いながら答えた。

  

「……んなことないよ」


 玲央兄れおにいが心配するように私の顔を覗き込んでくる一方で、愛姉がすかさずフォローをしてくれた。


「お兄、今はそっとしておいてやんよ」

「は?なんでよ。せっかく男と祭りに行ったのに、こんなしょぼくれた顔で帰ってくるなんて、何かあったとしか思えんっしょ」

「それでも!……これ以上、乙女心を抉るな」

「なんだよ……、可愛い妹の心配して何が悪いんだよ……。むぅ」


 ――愛姉、ありがとう。


 私は心の中でそう呟き、愛姉に促さるまま自分の部屋へと向かった。

 灯りも点けず、暗い部屋に一人ぽつんと佇んでいると、ポシェットがスマホのバイブで震えていた。



 ◇◆◇◆

 

 スマホ画面をどのくらい眺めていただろう……。

 送ったメッセージはいつまで経っても既読にはならなかった。


 ――こんな時、どうすればいいんだ?電話……、はしつこい男と思われても嫌だし、かといってさらに追加でメッセージを送るのも違う気がする……。あぁ!もう!俺ってなんでこんなにも男らしくないんだよ!


 帰りの電車内でも、自宅まで歩いている間も気になってはスマホ画面を確認するも、既読にはならず、俺はどうしていいのかわからないまま眠りに就いた。

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