エピソード2 第五話

「ふむ、小型の獣人コボルドの体は初めてだが、中々悪くないな。多少なりとも窮屈だが」


 森を軽快に歩きながら、魔王はそう言った。

 他人の肉体を勝手に使っておいてとんだ言い草だが、アステルは何も言わない。

 今、ボコの肉体は魔王によって生き永らえている状態だからだ。そのため今は何も手出しできない。が、決して警戒を解くこともしない。

 もし少しでも怪しい動きをすれば、すぐに仕留められるよう魔力は常に漲らせている。ボコの尊厳を守ることが第一だ。


「そう魔力を滾らせるな。貴様に人質が通用しないと分かった今、この体に何かする気なぞないわ。それよりも勇者よ、我と契約を結ぼうではないか」

「……さっさと話せ」

「我はこのように、他の魔族の肉体に取り憑いて操ることが出来る。本来なら意識を取り戻した後、適当な魔族に取り憑いて力を蓄えるはずだったのだ。だが、我が意識を取り戻した時、魔族は人間共によって姿を消しておった。お陰で我は魔力だけで脆弱な肉体を形成し、粘獣スライムのような姿で復活するはめになったのだ」


 王国が魔族の殲滅を行っていたことは、フロリアが話していた。

 そのことがこのような形で魔王の復活の妨害に繋がっていたとは予想もしていなかったが。


「我は力を蓄える必要がある。だがあの姿スライムだと何かと苦労するのでな、それまでこの体を使いたい」

「……それで、目的が達成できればその体は捨てるってわけか。話にならんな」

「待て、話は最後まで聞け。我が取り憑いているお陰でこの肉体は生かされておるわけだが、その間、徐々にではあるが肉体は再生しておるのだ」

「何だと?」

「ほんの少しずつではあるがな。だが長い時間をかけるか、あるいは我の力が戻れば、肉体は復活する。その後我が離れれば、眠っている魂も目を覚ますだろう」

「……」

「だが、今我をこの肉体から引き離せば、間違いなくこの獣人コボルドは死ぬぞ。当然魂もな。それは我にとっても貴様にとっても、そしてなによりこの獣人コボルドにとっても不都合だ。誰も得をせん」

「……だから、お前を見逃せと?」

「そう言っても貴様が首を縦に振らんことぐらいもう理解したわ。これは契約だと言っておろうが」


 魔王は岩の上に飛び上がった。

 その動き自体は本当にボコそのものであるのに、その後振り返ってこちらを見下した態度はまるで別人だ。


「勇者よ、不可侵の契約を結ぼう。我は貴様から逃げも隠れもせん。力が戻るまで、貴様の側で大人しくしていよう。そして貴様も、我に危害を加えるな。危害を加えるようなら、すぐにこの肉体を離れる」

「……」


 魔王は両腕を大きく広げ、威厳あるように見せようとするが、小さなボコの体ではどう頑張っても威厳が出ない。

 アステルは思考を巡らせる。

 魔王からの提案だという時点で、はっきり言って論外だ。たとえこちらに利があるように見えても、最終的にその全てを掻っ攫う。それが魔王という生き物だ。

 何より、こいつが契約を反古ほごにしないという保証もないし、本当のことを言っている保証もない。本当はボコの肉体は回復なんかせず、力が戻ったとたん捨て置かれ逃げられる可能性は、決してゼロじゃない。

 先代達からの経験と知識が、これを受け入れるのは危険だと警鐘を鳴らしてくる。

 だが、そうも言っていられないかもしれない。


「一つ、聞いていいか?」

「何だ?」

「お前をその体から引き剥がすには、どうしたらいい?」

「馬鹿か貴様、教えるわけなかろう。どうしても離したいなら、その手でもう一度殺すしかないぞ」

「そうした場合、お前はどうなる?」

「一時的に意識が霧散し、風に乗ってどこかへ飛んでいく。しばらくしたらまた復活するがな」


 やはりそうか、これは厄介だ。

 勇者会議で、魔王は手元に置いておき、その不死性を探るということに決まった。だが今ここでまた奴を殺してしまったら、手元から離れてしまう。

 そうなれば、会議で何を言われるかわからない。少なくとも二代目は死ぬほど罵倒してくるだろう。

 つまり、罠だと分かっていながら、奴の契約を受け入れるしかないのだ。

 アステルは大きな溜息を吐いた。


「ハァァァァァァァ~~~………………わかった。要求を呑もう」

「ククク、では契約成立だな」


 魔王は不快な笑い声を上げながら、岩の上から手を差し出してきた。どうやら握手を求めているらしい。


「……誰がするか、そんなこと」


 魔王はすっとぼけたように首を傾げる。


「おや?人間共の間ではこれが契約成立の証だと記憶していたのだが、違ったかな?それともやっぱり契約は無かったことにしたいのかな?」


 アステルは苦々しい顔で舌打ちをし、その手を握り返した。そして思いっ切り引っ張り、その顔をグッと近付ける。


「……いいか、少しでも怪しい動きをしてみろ。すぐさまお前を殺してやるからな」

「ふん、果たして我を二度も殺せるかな?」


 それは、勇者と魔王が手を結んだ歴史的な瞬間であった。

 互いに殺意と敵意を迸らせながらも、不可侵契約は結ばれた。

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