エピソード2 第四話

「ボコ……!しっかりしろ、オイ!」


 アステルは再び森の中を疾走していた。

 その腕には、弱弱しい呼吸をする小さな獣が抱かれている。


「だ、旦那……ごめんよ、木の実……まだ、集まって……」


 ボコは、今にも事切れそうなか細い声でそう言った。

 馬鹿野郎、そんなことはどうだっていいんだよ。そう叱ることもできないほど、アステルは焦っていた。

 こうなったのは全部自分のせいだ。帝国兵への警戒を怠り、ボコ達に木の実を取りに行かせたせいで、今、一つの命が失われようとしている。


「もう少しで、小屋に着く。薬草を塗ってやるから、もう少し耐えてくれ……!」


 祈るようにそう言い聞かせる。ボコは最早頷くことすらできない。

 薬草如きでどうにかなるような傷ではないことは明白だった。

 だが、どうしてもそれを受け入れることが出来ない。僅かでも助かる見込みがあると思い込んで、森の中を駆け抜ける。疾きの白Srmopwndを使用しているものの、ボコへの負担から全速力を出すことが出来ないのがひどくもどかしい。


「ごめんよ……オイラ、役立たずで……」

「ボコ、今は喋るな……!」


 ボコはもうこちらの言葉が聞こえていないようで、うわ言のように喋り続ける。


「オイラ、旦那のおうちを……守りたかったんだ……。旦那が……あんな奴らに負ける訳ないとは、思ってた、けど……旦那、留守にしてたからさ……。だから……」

「いい、いいんだ、ボコ……!お願いだから、しっかりしてくれ……!」


 その叫びも虚しく、ボコの体から生気が抜けていくのを感じる。

 アステルは枝が体を切りつけるのも無視して走る。どうせ自分の体は再生するから問題ない。だが、ボコは違う。

 小さな命が今、両腕の中で終わりを迎えようとしていた。


「ボコ……!おい、ボコ!」

「旦那……オイラ、臭くねえですかい……?あの人に、洗って……もらったら……いい臭いに……」


 ボコの瞼がゆっくりと閉じていく。

 そして、僅かに感じていた鼓動が、消えた。


「……ボコ?おい!ボコ!」


 呼びかけに対する反応は無い。

 自然と脚から力が抜けて、その場に崩れ落ちる。

 つい数日前まで間抜けな声を出して元気に走り回っていた彼が、腕の中で小さく、硬くなった。

 涙すら出て来ない。ただ何も出来ず、魂が抜けたかのように呆然としていた。

 どうすればいい、ボズ達に何と言う?これから自分は、何をすべきだ?

 何一つとしてわからず、その場で慟哭した。


「……ほほぅ」


 そのアステルを、木の上から見つめる者があった。魔王デオ・ゾーラである。

 小屋を飛び出た彼は、高い所から勇者を探そうと、木に登っていた。

 非力な肉体ゆえ、一番最初の枝に上ることすら苦労したが、その苦労の甲斐もなく、勇者は戻ってきた。

 しかもその腕には魔族……獣人コボルドを抱えている。そしてどうやらその獣人コボルドは今しがた死んだらしい。

 それに対して勇者は慟哭した。なるほど、あの獣人コボルドは知り合いか。

 ならばこれは好機だ。勇者への復讐を、今こそ果たす!

 魔王は木の枝から獣人コボルド目掛けて飛び降りる。勇者は呆然としており、その接近に気付くことはなかった。

 彼がそれに気付いたのは、ボコの顔に魔王が着地を成功させた後だった。


「……え?」

「くくく、勇者よ。貴様に今から地獄を見せてやろう……」

「お前何を……!?」


 アステルは魔王を捕まえようとしたが、人足遅かった。

 魔王の体はボコの半開きになった口から飲み込まれるように入ってしまった。

 するとなんということだろう。ボコの体にあった銃創がみるみる内に塞がっていくではないか。

 そしてさらに、冷たくなったはずの体に熱を感じる。その手先がピクリと動き、閉じていたはずのまぶたがカッと見開かれた!


「なっ……!?」


 アステルはボコの体を手放し、咄嗟に離れた。すると死んだはずのボコの肉体が独りでに立ち上がる。

 今までボコ達と出会ってから、一度たりとも光を発したことが無かった紋章が煌々と輝く。目の前の存在が邪悪なものだと知らせて来ていた。


「クックック……どうだ、勇者よ。我にはこんな芸当も出来るのだぞ?」


 目の前の存在が、ボコの声で、ボコとは思えないような喋り方をする。

 魔王がボコの死体を乗っ取ったのだと、一瞬にして理解することが出来た。


「どうだ勇者よ?貴様の顔見知りが相手ではやりづらかろぶふぇあっ!!?」


 アステルはその首根っこを掴み、木に叩きつけた。

 乗っ取った獣人コボルドの肉体が非力なのか、それとも勇者の力が強いのか。あるいは、その両方か。魔王は手足を必死に振り回し藻掻くが、その腕はびくともしなかった。


「は、放せ!放さんかこの無粋者!」

「……ごめんな、ボコ。今すぐ自由にしてやるから」

「前も思ったのだが、せめて口上ぐらいは述べさせてくれんか!?これ結構重たい状況だと思うのだが!?」


 アステルは魔王の言葉に一切耳を貸さず、腕を大きく振りかぶる。その瞳にはボコは映っておらず、魔王だけを捕らえていた。

 魔王は必死になって止める。


「おわあああああ待て待ておのれ躊躇なしか!?話を聞け頼むから!この魔族の命が、助かるかも知らんのだぞ!?」

「───────何?」


 アステルの拳が寸でのところで止まり、魔王はホッと息を吐いた。

 だが、首を抑えつける腕の力が緩まない。


「い、今この獣人コボルドは死に瀕しておる。だがそれは肉体だけの話で、魂は別だ。魂は死を迎えた後、しばらく休眠状態に入り、目覚めた後消滅したり、幽霊ゴーストになったりする。今この肉体は我の力で生と死の淵を曖昧にした状態だ。このまま我を殺せばこの獣人コボルドの魂は間違いなく消滅するが、我が肉体に宿ってる内はそうはならん」

「つまり……ボコを生かしておきたいのなら、自分を見逃せ、と?」

「そうだ。勇者よ、我と契約しようぞ」


 ボコの顔に、ボコがしないような笑みが浮かんだ。

 アステルは不快感でその顔をしかめるも、話しだけは聞くことにした。

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