エピソード2 第三話

 衝撃的な場面に出くわすと世界がスローモーションになると言い出したのは、果たして誰であったか。そんなのものは大ウソだ。

 ボコはまるで子供が放り投げた人形のように、力なく地面に倒れた。

 俺はその光景を前にして、間抜けな面で片手を伸ばすことしか出来なかった。


「あ、あの異端者だ……!」

「うわあ!?もうここに来た!」


 周囲の兵士達からどよめき上がる。彼らはアステルの家に奇襲を仕掛けるはずだったので、このタイミングで彼と遭遇するのは完全な計算外であった。

 だが、そのような声は今のアステルには届いていない。

 彼はフラフラとした足取りで、ボコの方へ向かって歩いていく。


「何をしている!総員、対高速魔法戦術用意!」


 ミハエルの一声で兵士たちが、慌ただしく動き出す。

 ミハエルは今の状況を正確に把握しているわけではないが、好機と捉えていた。

 狙っている獲物の一つが、のこのこと自分達の前に現れてくれた。しかも何故か魔法を発動せずフラフラと歩いている。これは都合がいい。

 彼はフロリア・シェウス=セロギネス捕縛の命をアイナ総帥から直々に受けていた。レジスタンスへの強襲は成功し、後は逃げたフロリアを捕らえるのみ。だが、あと一歩のところで異端者に邪魔され、撤退を余儀なくされた。

 このままでは、フロリアを取り逃がしたあげく、異端者一人に敗北した恥晒しになってしまう。

 焦りと不安に苛まれた彼は、部下達の半数以上が負傷しているにも拘らず作戦を強行した。うまく行けばフロリア捕縛という大戦果に加え、異端者検挙というおまけもついてくる。そう考えてのことだった。

 しかも彼にとっては嬉しい誤算で、魔族の生き残りまで見つけたのだ。部下達を負傷させたことや、時間が掛かったことも、魔族に遭遇したからということにすれば言い訳がつく。

 運が向いてきたと、本気で考えていた。


「大尉、用意完了しました」

「うむ」


 片腕を包帯で吊った副官が報告してくる。

 フラフラと歩く異端者を扇状に取り囲むように兵士達が並び、照準を合わせている。

 さらにそれぞれの背後に、別の形状をした銃を構える兵士達。

 前回撤退を余儀なくされたのは、不意の遭遇戦で魔法士ウィザード戦用の準備をしていなかったからだ。だが今回は違う。ちゃんと対策をしてきた。

 片手を上げ、合図を出すタイミングを計る。

 異端者は何故かは分からないが、魔法を使用せずフラフラとしている。だが油断してはいけない。いつまた魔法を使用してくるかわからない。

 銃撃のタイミングは、慎重に図らねばならない。

 異端者が突然足を止め、その場に跪いた。


(……?何をしているのだ?)


 いきなり標的が姿を現したことに上書きされ、魔族を撃ったことなど頭から消えていた。彼が跪いた場所に、その魔族が倒れていることなど理解出来ようはずがない。

 異端者が顔を上げた。彼の視線が、こちらに向いた気がした。


「……っ!撃てぇ!撃て撃て撃てぇ!!!」


 それが最善のタイミングだったのか、今ではもうわからない。

 だが銃弾は確かに放たれ、そして異端者は視界から消えた。


「魔法を使ったぞ!捕獲隊、投網開始!」


 後ろにいた兵士たちが、その手に持った銃を構え、一斉に発砲する。その銃口から出たのは銃弾ではなく、金属でできた網だ。発射された網が蜘蛛の巣のように大きく広がる。

 どれだけ高速で動こうとも、移動先全域に網を張られたら、その中に突っ込むしかない。銃撃で行動を阻害しつつ、網で機動力を殺す。高速移動魔法を使用する相手に対する、最も基本的な戦術である。

 仮にそれに気付いて高速移動を解いたとしたら、その魔法士ウィザードはただの的でしかない。奴が他の魔法を使えるとしても、高速移動と同時に併用できるとは思えない。複数の魔法を同時に操れるのは、それこそ名のある魔導士ソーサリーぐらいなものだ。こいつがそうには見えない。

 ミハエルは勝利を確信し、ほくそ笑む。こいつを仕留めた後は、根城に匿われているフロリアを捕縛するだけ。もしかしたらもう移動しているかもしれないが、前回のあの後すぐにここを離れていたとしても、そう遠くへは逃げていないはずだ。

 さて、その場合はどうするか。

 などと、これから先の算段を立てようとした時、自分の真横に立っていた副官が吹き飛んだ。


「────────へ?」


 代わりに、異端者が立っている。

 ミハエルは現状が全く理解できなかった。

 網は確かに打ち出されたはずだ。そしてこの異端者は高速移動の魔法……速きの白Spnを使った。

 あれは、!一度発動して突っ込んだら、展開された網は避けられない!そのはずだ!

 だが現に異端者は、銃弾と網をすり抜けて自分の隣に立っていた。

 彼は突き出した腕の向こう側からこちらを一瞥すると、再び消えた。次の瞬間、扇状の陣形の一番右翼で兵士が5人、空へと舞い上がった。

 それに反応した者達が一斉にその方向へ銃口を向ける。投網兵が、味方がいるにも関わらず発砲した。広がった網が兵士たちに覆いかぶさる。だが、その中に異端者の姿は既に無い。

 そして次々に兵士達が吹き飛ばされていく。


「ば、馬鹿な……!?どういうことだ……!?」


 投網は一方向だけでなく、上下左右、様々な角度から不規則に発射されている。予測して避けるのは難しいはずだ。だが、あの異端者は確かに網の間をすり抜け、兵士たちを攻撃している。

 そんなことが出来る魔法士ウィザードなんて、聞いたことが無い。

 ミハエルは知らなかった。アステルが使っているのは、一般的に普及している速きの白Spnという魔法ではなく、疾きの白Srmopwndという別物であるということを。

 それは、アステルが使える4つの魔法の一つ。その効果は実に単純明快なもの、自身の高速化。そしてその高速化は、自身の精神、思考にまで及んでいる。

 一般的な速きの白Spnは、あくまで高速化するのはその肉体のみであり、思考にでは及ばない。だから加速して突っ込んだ先に網が突然現れた場合、見てから避けることなどできない。なので、ミハエルの戦術は決して間違っていない。だが、アステルに対してこの戦術はさして有効ではなかった。

 彼からすれば網も銃弾も、蝶のようにゆっくり動いている。それを避けて動くことなど、容易であった。

 左翼の兵士たちが空へと吹き飛び、重そうな音を立てて落ちた。

 気が付けば、立っているのはミハエルだけになっていた。そのミハエルも、力なく膝を折る。


「そ、そそそそそんな、ここ、こんなはずでは……」


 自分が攻撃した相手が、勇者だなんて知る由もない。それを知らなかったのは、彼にとって幸運なことだったのか、あるいは不運だったのか。

 だが少なくとも、あの獣人コボルドが彼の知り合いだという情報を知っていれば、もう少し違う形で事は運んだかもしれない。


「……おい」


 顔を上げると、怪物がこちらを見下ろしていた。魔法を使い、こちらの対策を全て無に帰した、怪物。

 その表情は逆光となっていてよく見えない。にも関わらず、怪物は確かに怒っていると感じた。


「ヒ、ヒイイイィィィィイイィイィイ!!!!???」


 ミハエルは腰を抜かし、後ずさる。彼は恐怖のあまり小便を漏らした。だがもはやそのことに羞恥など湧かない。ただただ恐怖の感情が、全てを塗り潰す。

 怪物はこちらを見下ろしたまま、低く震えた声を出す。まるで、何かを堪えているようだった。


「今すぐ、全員消えろ。二度と、俺の前に姿を現すな」

「ア、ア、アガガガぐうぅぅ……!?」

「……さっさと消えろ!」

「は、はいいいいいぃぃぃぃぃぃぃ!!??」


 ミハエルは手足をバタバタと動かし、生まれたての小鹿のような動きで逃げていった。

 その後彼は一人で帝国に逃げ帰り、家に引き籠もり二度と外には出なかったらしい。様子を見に来た人々は、彼がうわ言のように「怪物」と呟いていたと言う。

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