第11話

 帝都議事堂、執務室。アイナ・テオセラは一人、天井を見上げていた。

 もっとも、仮面で顔が覆われているので本当に見上げているかどうかは定かではない。だが、少なくとも仮面の双眸は上を向いていた。

 部屋のドアがノックされる。これで何度目だろうか?

 明け方からひっきりなしに「異端者」発見の報告を受け、適宜指示を出してきた。

 だがほとんど意味のないことだ。部下共の大半は知らないことだが、相手はあの勇者なのだ。捕まるわけがない。

 それでも、一応の体裁のためそれなりの指示は出してきたが、いい加減疲れてきた。


「……入れ」


 デスクに両肘をつき、なるべく疲れが見えないよう取り繕う。部下達の前では、無敵の存在として振舞うよう心掛けているのだ。こういう時、表情を隠す仮面というのは実に便利だと実感する。


「なんだ、あなただったの」

「よう、お疲れみたいだな」


 入って来たのはミニスだった。

 彼女の意地の悪そうな笑顔を見て肩の力を抜く。


「当然でしょ。結局一睡もできてないんだから。」

「寝なかったのか?なんでだ?」

「部下達が仕事してるのに、一人だけ寝るわけにはいかないでしょ」

「ククク、律儀なことで」


 アイナの声は柔らかく、ミニスの言葉にも棘が無い。

 二人は上司部下の関係であると同時に、良き友人でもあった。


「それで、アステルは?」

「報告の通りだ。箱庭の守護者ガーデンガードは敗北、逃走した異端者は旧聖堂地区で消息を絶った」

「セロギネスの方は?」

「警備兵共がクソ勇者を追いかけ回してる隙に、検閲を逃れて帝都を出た荷馬車が何台かある。恐らくそれのどれかに乗って逃げたっぽいな。一番怪しいのはスゲルソンの所だが、どうする?探りを入れるか?」

「いや、その必要はない。彼が関わってるなら向こうから売りに来る」

「それもそうか」


 ミニスは備え付けの紅茶をカップに注ぎ、一つをアイナに渡した。そして自分は事務机に腰掛けた。

 紅茶は完全に冷めており、風味もほとんど飛んでいる。だが今は、仄かな甘みと香りが心地良い。


「悪いな」

「何が?」

「クソ勇者、確保できればよかったんだけどな。雑魚共じゃ相手にならなかった」

「仕方ないよ。あなたが戦闘に参加してないんだし、彼らもアステル程の相手は初めてだしね」


 箱庭の守護者ガーデンガードは対勇者部隊と銘打たれてはいるが、実際に勇者と戦闘を行ったのは今回が初めてであった。

 これまではアイナの護衛だったり、一般兵では少し手に余る程度の魔法士ウィザードの相手ぐらいしかいしたことなく、本物の強者を相手取ったことなど無かった。

 しかし、総帥の認可を受けた特務部隊の一員という肩書は、人を勘違いさせるだけのものがある。ミニス以外の3名はすっかり増長し、帝国軍内で特権を振りかざすようになっていたのだ。

 それを憂慮したミニスは彼らのプライドを一度へし折るため、次に強敵が現れたら静観を決め込むこと決めていた。そして、ちょうどよくアステルが現れたというわけだ。


「だがまあ、あいつらにもいい薬になっただろ。シゴキを厳しくする理由も出来たしな」

「壊れない程度にしなよ」

「勇者に壊されない程度にはしてやるつもりさ」


 ミニスは喉の奥でクククと笑う。

 それからしばらく何も言わず無言で紅茶を啜った後、突然真剣な声色になった。


「次は私も出る。徹底的に対策して、必ずあのアホの首を引っ張って来てやる」

「うん」

「次にアイツが現れたら一切容赦はしない。不意打ちだろうが罠だろうが、あらゆる手を使って捕らえる。首と胴さえ繋がっていれば、それでいいな?」

「君が出来るというなら、私から口を出すことはないよ」

「……わかった」


 ミニスは紅茶を一気に飲み干し机から立ち上がると、再び意地の悪そうな笑みをアイナに向けた。


「それじゃ、報告はこれで終わりだ。雑魚共の見舞いでも行ってくる。お前も少しは寝ろよ。酷い顔色だぜ」

「ふっ、顔色なんて見えないだろう?」

「ジョークだ。それすら分からねえんならさっさと寝ろ」


 ぶっきらぼうにそう言い捨てて、彼女は執務室を出て行った。

 一人残されたアイナは、仮面の下で小さく笑った。


 ──────────────────────────────────────


「これでよし、と」


 転移魔法のスクロールが暖炉の火の中で完全に灰になったのを確認し、一息つく。

 警備兵達の目を惹くため帝都中を逃げ回った後、アステルは地下下水道の魔法陣を通って森へと帰還した。

 消えた自分を追って帝都中が捜索されることだろう。地下下水道も魔法陣も近いうちに見つかるのは想像に難くない。そうなれば向こう側からこちらにやって来る可能性もある。

 なので燃やした。下水道の魔法陣はもうただの落書きだ。スクロールは貴重だが、燃やすことに躊躇ためらいは無かった。

 アステルは暖炉の前まで引いてきて、ゆっくりと腰を下ろす。


「ふぅ~~~ぁ……」


 大きな溜息と共に、どっと疲れが押し寄せてくる。

 フロリアが現れてから二日ほどしか経っていないのに、まるで数年ぶりかのような心の安らぎを感じていた。

 無理もない、この二日であまりに色々なことがあり過ぎた。

 旧知の知り合い、十数年ぶりの森の外、かつての仲間、そしてアイナ。肉体よりも頭と精神が休息を求めている。

 暖炉の炎をぼーっと見ながら微睡みに落ちようとしたが、瞼が落ちる前に腹の虫が泣いた。

 そういえば昨日の夜以来何も口に入れていないことを思い出す。すると途端に眠気よりも食い気が勝って来た。久しぶりに魔力を大量に消費したので、体が栄養を欲しているのかもしれない。

 気怠い身体に鞭を入れて、干し肉を食おうと食料庫の戸を開ける。

 だが、そこにあるはずの大量の干し肉が無かった。

 代わりに、小さな黒い影のようなものが蠢いていた。


「……」

「……」


 影は鼠ほどに小さく、目も口も存在しない。まず真っ先に粘獣スライムという言葉が頭に浮かんだ。

 粘獣スライムには目がない筈なのに、何故か目が合っているような気がした。


「スライ、ム……?」


 その瞬間、ハッとして左腕を見る。

 何故気付かなかったのだろうか、紋章が煌々と輝いるではないか。

 ボコたちの様な魔族には紋章は反応しない。彼らに邪気がないからだ。紋章が反応するのは、邪悪な気を持った魔族のみ……。

 疲労のせいか、咄嗟に構えるのが遅れた。粘獣スライムは顔に目掛けて飛びかかって来た。

 反射的に腕を振るうが、無駄だということをアステルは本能で理解していた。

 骨や肉を持たない粘獣スライムには打撃は有効的ではない。熱や魔法でないとダメージは与えられない。そして奴らは人間の呼吸器を狙ってくる。口などから人間の体内に入り込み、内側から攻撃してくるのだ。

 なので手を振るうのは最も愚策と言えるのだが、疲労のせいかそこまで頭が回らなかった。


「しまっ……!」


 急いで次の一手を考える。一番有効なのは顔に張り付いた粘獣スライムごと暖炉に顔を突っ込むことなのだが、なるべくそんな真似はしたくはないな、などと考える。

 しかし、予想に反して手応えがあった。

 腕に絡みついてくると思っていたスライムは、アステルの腕に弾かれ壁に激突し、ボールのように地面を転がった。

 ダメージがあったのか、小さくプルプルと震えている。


「何だ、スライムじゃないのか……?」


 アステルは若干困惑しながらもホッとし、その小さな影を処分しようと近づいて手を伸ばした。そこで、信じられないことが起きた。


「だ、誰がスライムなものか!」


 突如声が聞こえた。とっさに周りを見回すが、当然ながら自分以外誰もいない。

 獣人コボルドの誰かかとも思って窓の外を確認する。


「フン、隙を見せたな阿呆め!くたばれ勇者ー!」


 再び声がして、その方向を振り向く。

 スライムが必至にピョコピョコ跳ねながら、自分に体当たりを試みようとしているところだった。

 アステルはあっさりとスライムを捕まえる。


「は、放せ!放さんかこのー!」


 声の発生源はこのスライムだとしか考えられなかった。

 だが通常スライムは発声器官どころか、獣以下の知能しか持たないはず。しかし確かに手の中のスライムから声が聞こえてくる。

 いよいよ自分の頭がおかしくなったのかと思ったが、それよりも先に何かが引っ掛かる。

 まずこいつは、本当にスライムなのだろうか?スライムにしては弾力があり過ぎる。それにさっきから左腕の紋章の輝きが強すぎる気がする。スライムの様な魔物相手にここまで光ることは今まで無かった。それにどこかで感じたような悪寒がずっとしている。

 この違和感の正体は、何だ?

 その答えはスライムからすぐに発せられた。


「放せ!我を誰と思っている!我は、我は!魔王、デオ・ゾーラであるぞおぉぉ!!」

「は?」


 記憶の中の魔王が、最期に呪詛を投げかける。

 手の中でモゾモゾと動くスライムと、ボロ雑巾のように倒れ伏した魔王。流石に今回ばかりは繋がらなかった。




 かくして役者は揃った。

 様々な人々の思惑を乗せ、舞台は動きだす。

 そして勇者アステルは、嫌が応にもその舞台に上がることになるのだった。

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