第10話

 彼女ミニスと初めて出会ったのは今からおおよそ18年前。王都で訓練を受けていた時のことだ。

 元老院のジジイが彼女を連れて現れて、「やがて魔王討伐の旅を共にする仲間だ」と紹介された。そして、一緒に訓練を受けさせて欲しいと言ってきた。

 当然俺に拒否する権利なんかなく、一緒に訓練を受けることになった。

 第一印象は、物静かでおしとやかな娘だなと思った。

 教官の言うことをよく聞き、物覚えも良い。よく褒められる優等生。

 だが奴は、猫を被っていた。

 魔王討伐に旅立ち、民衆に見送られ、王都が見えなくなるぐらい遠くまで来た瞬間、奴は猫を被るのをやめた。


「あぁ~……!やっっっっとジジイ共の目が届かないとこまでこれたぜ。そんじゃ、これから俺に逆らう奴は回復しねーから、そのつもりで振舞えよ」


 俺を含めた他の旅の仲間達は唖然とした。そして彼女はその言葉通り、少しでも機嫌を損ねたら回復や解毒を施さなかったのである。その在り様はまさしく暴君であった。

 自分には癒しの碧Hmeufがあるからどうってことはなかったが、他の二人はかなり手を焼いていた。

 その彼女が今、俺を見下ろしている。


「ミ、ミニス、久しぶりだな。元気そうで何よりだ」

「……チッ」


 彼女は不機嫌そうに舌打ちし、時計台から飛び降りた。

 羽根のように軽やかに降り立ち、修道服が風を含んで膨らむ。その様はさながら天使のようだが、眉間に刻まれた深い皺が、天使という言葉の持つイメージを全て打ち壊していた。


「いやまさかこんな形で再会するなんて……。ローセのやつは元気か?」

「あんな魔法バカ知るかよ。それに世間話なんてするつもりもねえ。今の俺は、箱庭の守護者ガーデンガード隊長、ミニス・マニスだ」


 先ほど投擲した槍が霧散し、その手に新たな槍が現れる。どうやら魔法で生成した物らしい。

 その穂先をこちらに突きつける。


「おいおい、もう勘弁してくれよ……!昔の仲間とやり合う気のはさすがに気が引ける」

「うるっせえなあ、仲間だなんて思ってもいないくせによ。でもラッキーだったな、タイムリミットだ」


 彼女は穂先を東に向けた。夜明けの光が帝都を照らし始めている。

 鐘撞かねつき堂の鐘が鳴り響き、街全体が目を覚ます気配を感じた。


「魔法を禁じている手前、一般人の前で大っぴらに使うことはできねえ。今回は見逃してやる」


 どうやらこれ以上やり合うつもりはないらしい。

 正直安心した。彼女と戦わなくて済むことにではなく、そのような判断が出来る常識があるということにだ。


「どこへなりとも行っちまえよ。あの時みたいにさ」

「……魔王を一人で倒しに行った時のことか?」

「当たり前だろ、それ以外に何があんだ!」


 彼女の持つ魔法製の槍が、強く握り締められ軋んだ音を上げる。


「てめえが勝手にいなくなったせいで、どんだけ大変だったと思ってんだ!それなのに今更アホみたいな顔して現れやがって……!」


 槍がひび割れていき、そして最終的に握力に耐えることができず砕け散った。

 空中に滞留する魔力の欠片が、朝日を浴びて輝く。


「悪かった……こんなことになるとは思ってなかったんだ」

「……謝る気持ちがあるなら、大人しく捕まったらどうだ?総帥も、悪いようにはしねえだろう」

「それは出来ない。アイナ……総帥は、信用できない。今の彼女と手を組むことはできない」

「ハッ!そんなことだろうと思った。どうせてめえは口だけだ」


 ミニスは吐き捨てるように笑うと、倒れている他の箱庭の守護者ガーデンガード達に近づきしゃがみこむ。

 回復魔法を唱える……のだと思ったが、違った。巨漢と帽子の顔を数発はたくと、胸倉を掴んで揺さぶる。


「おら、起きろ雑魚ども!いつまで寝てんだ!」


 しかし二人は呻き声を上げるだけで目を覚まさない。ミニスは舌打ちし、二人の首根っこを掴むと乱暴に引き摺って行く。そしてローブを肩に担いだ。


「今回は見逃してやる。どうせ総帥も初めからそのつもりだろうしな。だが次はねえ。てめえの頑丈さのタネはもうわかった。次に会ったら確実に仕留める。『箱庭の守護者ガーデンガード』の名に懸けてな」


 ミニスは鋭い眼光をこちらに投げ掛け、宣言した。

 背を向け、議事堂の方へと去っていく。


「またな、クソ勇者」

「……ああ、またな。ミニス」


 かつての仲間の後姿を尻目に、アステルは夜明けの空へと飛びあがった。



 ──────────────────────────────────────


 時は少し遡り、夜明け前。明けの烏商会の隠れ家。

 フロリアは眠っているアステルを起こそうと彼の部屋を訪ねようとしていた。

 昨夜、彼とのを深めようと夜中に何度か訪ねようとしたのだが、そのことごとくくをスゲルソンに邪魔されてしまい、思うように行かなかったのだ。

 だからせめて目覚めの挨拶ぐらいは自分がして、アステルにいい印象を与えようなどと、いじらしい事を考えていた。

 彼の部屋の前に立ち、深呼吸をする。シャワーも浴びたし、髪もしっかりかした。バッチリ好印象を与えて、何が何でも彼をレジスタンスに引き込んでみせる。

 そう意気込んでドアをノックした。しかし、返事は返ってこない。

 何度ノックし声を掛けても、返事など帰ってくるはずも無かった。アステルはこの時、議事堂前で箱庭の守護者ガーデンガード達と戦っていたのだから。

 代わりに、卑屈な笑いを堪えたような声がフロリアの横合いから応える。


「アステル様はこちらにはおられませんよ」

「スゲルソン……?それはどういうことだ?」

「昔の馴染みに会いに行かれると言われまして、お出掛けになられました」

「何だと?いつ頃戻ると言っていた?夜明けはもうすぐだぞ!」

「いえ、こちらには戻られないかと。勇者様がお出掛けになる前に、言伝を預かっておりまして」

「……何?」


 そう言うとスゲルソンは妙に芝居がかった動きと声で、アステルの伝言を語りだした。


「『親愛なるフロリア姫へ。再び君の前から姿を消すことをどうか許して欲しい。だが、これは君の為を思っての事なのだ。昨日の一件で、帝都のあちこちに検問が設置されている。スゲルソンの力を持ってしても突破は難しいだろう。だから、自分が囮になる。警備兵達の目を惹くよう目立つように立ち回るので、どうかその間に逃げて欲しい。スゲルソンにはレジスタンスの一番近くのアジトまで君を運ぶよう執りつけてある。別れの挨拶も無く、またしても勝手にいなくなってしまってすまない。だが、全ては君と、君の帰りを待つレジスタンスの為なんだ。健闘を祈っている。君の勇者、アステルより』」

「ア、アステル様が、そのようなことを……!」


 フロリアはすっかり感激し、うっとりとしているが、アステルがこのような気の利いたことを言えるはずもない。

 実際は、


『俺が囮になって警備の気を引くから、その間にフロリアを安全な所まで連れて行ってくれ』


 としか言っていない。

 さっきの台詞は、フロリアが納得するようにスゲルソンが脚色したものである。だがその効果は覿面で、彼女はすっかりアステルがそう言ったものと信じ込んでしまっていた。


「我々は勇者様から貴方様の身柄を安全に届けるよう仰せつかっております。勇者様の想いを無駄にしない為にも、帝都脱出の準備をしましょう」

「……待て、アステル様はどうなさるつもりだ?何か聞いているか?」

「こちらとは別行動で、自力で脱出されるそうです」

「そ、そうか。アステル様ならそれも可能なのであろうが……しかし、うむ……」


 しかしフロリアもレジスタンスの首魁を任されているだけのことはある。

 ここで勇者と別行動をとることの意味をちゃんと理解していた。

 多少無茶をしても、彼と行動を共にすべきではないのか?ここで彼から目を離すと、最悪帝国側につく恐れもあるのでは?そのような考えをすぐさま思い浮かべる。

 しかし、アステルもフロリアも見誤っていた。

 直ぐ側にいるのが、海千山千の大商人、スゲルソンだということを。そのような人物を信用するということの意味を。


「セロギネス様、実は一つ、ワタクシ共の方からお話しがありまして───」


 しばらくして、帝都の屋根の上を高速で飛び回るアステルが警備兵達に目撃され、帝都中が彼を追いかけ回す事態に発展する。

 その騒動の最中さなか、一台の荷馬車が帝都を抜け出した。金色のからすが描かれたその荷台にフロリアが載っていることは、警備兵の誰一人として知る由も無かった。

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