第8話

「───────何、そのひげ?ダッサ!」


 それが再会一発目に浴びせられた第一声だった。

 物々しい仮面に不釣り合いな軽妙な声。それだけ聞けば、大衆の前で演説していた者と同一人物だとは誰も思わないだろう。

 しかしアステルには何一つとして変わっていない、幼馴染のアイナのままだった。


「な!?会っていきなり言うことがそれかよ!」

「いやほんとーに無理!色々と言いたいことあったけど全部吹っ飛んだ!てかうわ……、よく見たら腹もちょっと出てるし」

「ほっとけ!お前こそなんだその……妙ちきりんな仮面は!」

「はぁ~!?何が妙ちきりんよ、めっちゃイカスでしょうが!」


 二人の言い争う姿はとてもじゃないが、世界を救った勇者と、一国の政治を牛耳る独裁者には見えなかった。

 ただの、久しぶりに再会した幼馴染のそれでしかない。

 実際にその通りなのだが、世界がそうであることを許しはしない。

 部屋の中から話し声を聞いた気がした警備兵が、ドアをノックする。


『総帥閣下、いかがなさいましたか?』


 その声を聞き、アイナが幼馴染から総帥へと変わった。


「……何でもない。気にするな、ただの独り言だ」

『ハッ!大変失礼いたしました!』

「私はこれから少し夜風に当たる。くれぐれも邪魔はしてくれるなよ」

『ハッ!りょ、了解であります!総帥閣下!』


 そう言うとアイナは銃を仕舞い、バルコニーへ出て手摺に寄りかかった。

 そして、さっきまでの軽口が嘘のように黙りこくってしまった。

 春の夜風が彼女の銀色の髪を揺らす。


「……本当なんだな、偉くなったって」


 アステルはアイナの隣で、手摺に背中を預けた。


「……まあ、そうだね」

「名前を聞いてまさかと思ってさ、思わず飛び出してきちまったよ。実際にこの目で見るまではただの偶然かもしれないって思ってたからさ。でも、今日お前の姿を見た瞬間に確信しちまったよ」

「誰に聞いたの?」

「……古い知り合いだ」

「そう……」


 アステルはちらとアイナの横顔を盗み見る。

 金属製の仮面から感情は読みとれない。

 ただ夜の暗がりのせいか、少しだけ陰って見えた。


「……それで、何しに来たの?」

「え?」

「まさか、挨拶するためだけにこんなところまで来たわけじゃないでしょう?」

「それは……」


 もちろん、確固たる目的はあった。アイナが今何をやっているのか、何を考えているのか、それを直接確かめに来たのだ。

 だが昔と変わらない彼女を見てしまって、確かめるのを怖れている自分がいる。

 こいつが、クーデターなんか起こせるはずはない。こいつが、政治組織の頂点に立てるはずがない。こいつが、残虐な処刑や弾圧なんて出来るはずがない。

 しかし現実は、隣に目を向けると無表情な仮面と目が合った。


「当ててみようか?」


 仮面の奥から冷たい声が響く。


「私の所業を確かめるために、直接会いに来た。ついでにさっき誤魔化した古い知り合いは、レジスタンスの首魁フロリア・シェウス=セロギネス。どう?当たってる?」

「……」

「黙った。図星みたいだね」

「……何でわかったんだ」

「甘く見ないでよ。セロギネスらしき怪しい人物が目撃されたって話は、すぐに私の耳に入って来たんだから。護衛も一緒って話もね。そしてアステルがここに来た。なら、その導線から導かれる答えは一つでしょ」

「……その通りだ」


 突然、目の前の人物の輪郭がブレた気がした。

 声や喋り方は変わっていない。なのに、どこか異質で遠く感じる。


「追われていた彼女を偶然助けた。そして、聞いた。俺が世間から離れていた15年の間に、起きた出来事を」

「そっか」

「……なあ、本当なのか?お前がクーデターを主導して、たくさんの人を処刑……」

「そうだよ」


 驚くほどあっさりと、目の前の人物は肯定した。


「王家も、元老院も、魔導研究局も、全部私が潰した」

「な、何で……⁉」


 フロリアから話を聞いた。あの演説を見た。その時点ではまだぼんやりとしか物事を受け止められていなかった。心のどこかで、そんなことあるわけないと信じていなかったのかもしれない。

 だが、アイナ本人の口から直接聞いた途端、今までになかった混乱の波が押し寄せて来た。


「それにこれからレジスタンスを潰すし、フロリア・シェウス=セロギネスは処刑するし、魔法士ウィザードは皆殺しにするよ」


 彼女は謳うようにそう言った。軽妙な口調に似つかわしくない、物騒な単語が放たれる。

 その言葉を、頭が理解しようとしない。

 何故?何故?何故?疑問ばかりが渦を巻き、思考を押し流す。


「ど、どうして……?」

「それが、必要なことだからだよ」

「違う、そうじゃない!何でお前がそんなことを……!」


 警備兵の存在も忘れて、無我夢中で大声を出してしまう。

 アイナは人差し指を立て、静かにするようにジェスチャーで促した。


「しー……警備に気付かれる」

「教えてくれアイナ、一体どうしちまったんだ!?何がお前をそうさせたんだ!確かに王宮はしくじった。王家もそれに加担していた。でも、殺すほどじゃなかっただろう!魔法士ウィザードだってそうだ、なんで何の罪もない連中を殺してるんだ!何で!お前が……!」


 自分でも驚くほど、必死になっていた。

 何か納得できる理由が欲しかった。そうでなければ頭がどうにかなりそうだった。

 だが、目の前の人物が語った理由は、考えもしないものだった。


「君のためだよ。アステル」

「────────────────────────は?」

「全て、君のためなんだ」


 言っていることが、さっきから何一つ理解できない。

 あのアイナが処刑や弾圧をしていて、それが全部俺のため?

 それぞれの単語の間にある繋がりが全く見えない。ただ呆然ぼうぜんと、無機質な仮面を見つめて立ち尽くすしかなかった。


「……アステル」


 漆黒の仮面が、こちらを見上げて言う。


「私と共に来てくれないか?」

「……何だと?」

「君さえ来てくれれば────いや、君がレジスタンスにつくとなると、奴らが勢いづく。そうなると無駄な血が流れてしまう。私としてはさっさと彼女らを片付けたくてね。どうだろう?もちろん君の望む待遇を用意するが」


 何もかもが唐突で、支離滅裂すぎる。

 本当についさっきまで、髭がどうのこう言っていた奴と、同じ人間なのだろうか?

 いや、違う。今目の前にいるのは、

 そう直感が告げていた。


「……断る」

「おや……。理由を聞かせてもらってもいいかな?」

「何処の誰とも知らない奴に、手を貸す気はない」

「おかしなことを言うね。さっき君自身でアイナだと言っていたじゃないか」

「さっきはな。でも今は違う」


 仮面の奥で、息を呑む音が聞こえた。


「今のお前はアイナじゃない。何でそんなマネしてるのかは知らないが、俺は嘘吐きとは手を組まない」

「──────残念だよ」


 すると、仮面の女は右手を上げた。

 それと同時に、全身に嫌な悪寒が走る。


疾きの白Srmopwnd……!」


 次の瞬間、目の前を巨大な槍が貫いた。

 ギリギリで疾きの白Srmopwndの詠唱が間に合いどうにか回避できたが、あと一瞬でも遅れていたら串刺しになっていただろう。 

 狭いバルコニーの手摺に立ち、距離を取る。


「あっぶねえ……!警告も無しかよ!」

「言っただろう、君がレジスタンスに手を貸したら困るんだ。だから多少力づくでも、身柄は確保させてもらうよ」


 いつの間にか、仮面の女の側に4人の人物が立っていた。

 一人は巨漢。両腕に鎖を巻き、女の前に立ち塞がるように立っている。

 一人は帽子。見たことも無い形状の銃を構え、こちらを狙う男。

 一人はローブ。全身のシルエットが隠れるローブに加え、フードで顔を隠しているため男女の判別はつかない。

 一人は仮面。左手に同じ形状の槍を持っているため、どうやらさっきの槍はこの女が投擲したものらしい。顔は仮面で隠されているが、修道服を着ている。


力の赫Mkdihfta……!」


 アステルは魔法を発動し、その場から飛んだ。

 その後を4人が追う。


 一人取り残されたアイナは、とっくに遠くに消えたアステルの後姿を夜闇の中に見る。

 そして、誰に聞かれることもない言葉を、ぽつりと呟いた。


「────まだ、帰ってこれないんだね、アステル」

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