第7話

 会議場から帰還し、目を覚ます。

 両の手を何度か握り開き、屈伸を行い、体がしっかりと動くか確かめる。

 久しぶりに魂を肉体から離したので、どこか異常が出てやしないかと心配したが、どこにも問題はなさそうだ。

 ちょうど外で、一日の終わりを告げる鐘が鳴った。

 すっかり遅くなってしまったようだが、アイナに会いに行くにはちょうどいい時間だ。

 夜は何かと目立ちにくい。

 さっそく行動に移ろうと廊下に出るが、そこにはスゲルソンが待ち構えていた。


「おや、勇者様。こんな夜遅くにどちらへ行かれるのです?」

「スゲルソン……お前こそこんなところで何してんだ?」

「勇者様と久しぶりにお話しでもしようとノックしたのですが、返事が返ってこなかったもので」

「あー、悪いな。疲れて眠っちまってた」

「ええ、そうでしょうとも。ですので、アナタの部屋をワタクシ直々に守らさせていただきました」

「お前がか?何から守ってたって言うんだ?」

「それはもう、アナタの寝込みを襲う夢魔どもから」

「……会長っていうのは、案外暇なんだな」

「ひひひひ」


 スゲルソンは下卑た笑みを浮かべ、手揉みする。

 会長と呼ばれ、部下を従え、立派な服とバッジを着けていても、その仕草はかつての貧乏商人のままであった。


「ところで勇者様は、どちらに向かわれるので?」

「……ちょっと、昔の知り合いに挨拶をな」

「そうですかそうですか」


 スゲルソンはこくこくと頷くだけで、それ以上何も言わなかった。

 てっきりしつこく訊かれるものだと思っていたので拍子抜けする。


「……何も聞かねえのか?誰に会いに行くかとか、いつ戻って来るのかとか」

「訊いて欲しいのですか?」

「いや、訊いて欲しくはない。ただ、お前のことだからてっきり……」

「心外ですねえ。ワタクシそこまでデリカシーの無い人間ではありませんよ」


 スゲルソンは苦笑で誤魔化し、肩をすくませた。


「そうか。お前、変わったな」

「15年もあれば、多少は。勇者様はあまりお変わりがないようで」


 そう言って彼は後退気味の額を撫でる。

 その姿は、この15年の間この男がどれだけ苦労したかを感じさせた。

 だがこの男はその苦労を楽しんでいる節がある。

 なら今更苦労が一つや二つ増えたった変わりないだろう。


「……一つ、いや、二つだな。貸しを作りたい」

「貸しを?」

「ああ。頼みごとがあるんだが生憎一文無しでな、代わりに貸しという形で支払いたいんだよ」

「ほう!勇者様直々の貸しですか!随分な額になりそうですな」

「まず一つ目だが、こっちは大したことじゃない。あのレグルナ党の……アイナっていう総帥は、王宮に住んでるのか?」

「アイナ総帥ですか?今は王宮ではなく議事堂と呼ばれていますが、確か常にそこに詰めているはずですね」

「分かった、その情報料として貸し一つだ。それからもう一つだが……」


 ──────────────────────────────────────


 屋根から屋根へ高速で飛び移る。

 力の赫Mkdihfta疾きの白Srmopwndの併用により、アステルは今、帝都の夜空を駆ける影と化していた。

 明るい時間帯なら人々が大騒ぎをしただろうが、夜の帳が上手く隠してくれている。

 スゲルソンに頼みごとをし隠れ家から出たアステルは、王宮──現議事堂に一直線に向かって行った。

 祭日の夜ということで夜の街にはまだ大勢の人がいたが、大体が酔っぱらっているか飲み食いしているかで、夜空を駆ける影に気付く者はいない。

 無事議事堂まで辿り着き、屋上に着地する。

 議事堂と名前は変わったらしいが、造り自体は変わっていないようだ。

 ただ、かつて掲げられていたセローグ王国の国旗が無くなり、代わりに灰色の旗がそこかしこに掛かっている。


「……対魔法結界か」


 足元から僅かながらの反発を感じる。微弱ながらも結界を貼っている様だ。

 自分の魔力なら突っ切れないこともないが、センサーとしての役割を果たしているかもしれない。魔法を解除してから侵入する。

 中の様子もあまり変わっていなかった。

 ただ外のと同じ旗があちこちに掛けられている。これがレグルナ党の旗なのだろうか。

 音を立てないようアイナの居場所を探していると、話し声が聞こえてきた。

 息を殺して会話に耳を傾ける。


「それにしてもアイナ様は仕事熱心だな。こんな遅くまで起きていらっしゃるとは」

「全くだ。おかげでちっともサボれやしないぜ」

「口を慎めよ。ガーデンガードに聞かれたらクビではすまんぞ」

「おっと……そうだったな、気を付けよう。おい!交代だ!」


 角からこっそり覗くと、ちょうど警備が交替するところだった。

 彼らは巡回しているのではなく、どうやら一か所を守るために配備されているらしい。

 彼らが守っているドア。わざわざこの時間まで警備を付けるということは、重要な部屋に違いない。

 そう例えば、要人が詰めているような。

 一旦近くの窓から議事堂の外に飛び出し、再び魔法を発動する。

 そして議事堂の外壁を跳ねるように飛び移り、さっきの部屋のおおよその位置を外から確認した。

 あった。

 バルコニー付きの部屋に、灯りが灯っている。

 その部屋目掛けて一気に跳躍し、バルコニーに降り立つ直前に魔法を解除する。

 なるべく音がしないように着地したつもりだったが、やけに大きく響いた気がした。

 視線を動かし、部屋の中の様子を窺う。

 カーテンが閉じられているため、つまびらかな様子はわからない。

 ただ、灯りが点いているのに、まるで誰もいないかのように静かだ。

 さっきの警備の話だとまだアイナは起きているようだったが、そのような気配は感じられない。

 ゆっくりと、ガラス戸に近づいていく。

 鼓動が早まる。口の中がやけに乾く。

 久しく忘れていたこの感覚、緊張。

 魔王に単身で向かって行った時も、ここまで緊張することはなかったものだ。

 ガラス戸の取っ手へ手を掛けるまでの数秒が、永遠のように長く感じた。

 そして、ようやく取っ手を掴んでまた逡巡しゅんじゅんする。

 本当に開けていいのか?ここを開ければ、もう本当に後戻りできなくなるのではないか?

 逆に言えば、今ならまだ引き返せるのではないか?

 頭に浮かぶくだらない考えをすぐさま振り払う。

 何を考えているんだ。アイナに会うと決めたじゃないか。ここで逃げだしたら歴代勇者達あいつらに何て言われるかわからない。


「……よし、いくぞ」


 腕にグッと力を込める。

 だが、腕を動かす前にガラス戸は呆気なく開いた。

 内側から、自分ではない誰かが開けた。

 空気を含んだカーテンが、夜風に煽られてはためく。

 そして、額に銃が突きつけられた。


 流れるような銀色の髪。

 血のように赤黒い軍服。

 そして、顔全体を覆う、漆黒の仮面。


 自分より少しだけ背丈低い彼女は、何かに驚いたように一歩後ずさると、銃を降ろした。

 仮面の向こうから、くぐもった声がする。


「アステ、ル……?」

「……久しぶり、アイナ」

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