第6話
魔王討伐の旅は、それはそれは過酷なものだった。
パーティーはたったの4人。持ち運べる物資にも限りがあるため、行く先々で現地調達を余儀なくされた。
食料、薬、武具。まあそこらへんは存外何とかなった。
だがたった一つ、どうしても手に入らないものがある。娯楽だ。
過酷な旅は常に精神を擦り減らし、やがて人間関係から行軍そのものにまで影響を及ぼしてくる。
王宮の連中はそんなもの気にするはずもなく、支援の一つも寄こさなかった。
そこに目をつけたのがスゲルソンだ。
この男は旅の先々で俺達の前に現れた。時にパーティーの後を尾け、時に先回りし、様々な商品を売りつけにきたのだ。
コーヒー、菓子、新聞、本、玩具、そういった
あの頃から幾分か血色が良くなり、身に着けている服もかなり上等なものになってはいるが、仕草はまったく変わっていなかった。
「勇者様、お元気そうでなによりです。またお会いできて感激ですよ」
「お前も元気そうだな、スゲルソン」
スゲルソンが立ち上がり握手を求めたため、アステルはその手を握り返した。
「アステル様、この方をご存知なのですか?」
フロリアはまだ警戒しているようで、険しい顔をして尋ねた。
「ああ、昔ちょっとな」
「おお、申し訳ありません。セロギネス様もいらっしゃっているのにワタクシとしたことが。申し遅れました、ワタクシ『明けの烏商会』の会長を務めております、スゲルソンと申します。ささ、どうぞお二人共お座りください」
客側の椅子が一つしか用意されていななかったため、スゲルソンは自分が今まで座っていた椅子を
フロリアは来客用の椅子に座り、アステルは回された椅子に座る。
スゲルソンは何の不満もなさそうに、立ったまま下卑た笑みを浮かべていた。
その胸元で、金色の
「『明けの烏商会』……。そうか、思い出したぞ。確か何度か王室への
そう尋ねるフロリアの声は、完全にセロギネス将軍の時のものだった。
彼女の中でスゲルソンは警戒対象の人物らしい。
「あの時よりも随分が羽振りがよさそうだな。帝国の膝元はそんなに儲かるか?」
「覚えていただいていたようで嬉しゅうございます、セロギネス将軍。ワタクシ共が帝都一の会社にまで成長できたのも、全てはお国が商売を許してくれたおかげ。今でこそ皇帝陛下の足に口づけをしておりますが、セロギネス王家への感謝を忘れたことはございませんとも」
「ふん、よく回る口だ。貴様らがレグルナ党へ物資と隠れ家を提供していたと言う噂は知っているぞ。……アステル様、この者達は信用なりません」
フロリアの鋭い眼光が烏のバッジに突き刺さる。
なるほど、それは確かに彼女にとって警戒するには十分な理由だ。
だが、商人の笑みは崩れない。
「おお、とんだ誤解でございます。ワタクシ共は支払われた代金に、相応のサービスを提供したまでです。そこに政治的な意図などはまったくございません。もしそうなら、貴方様を匿うなどというリスクは侵さないでしょう」
「ならば何故匿った?」
「それは勿論、商談の為です」
「商談だと?」
「はい、商売において縁というのは大切なもの。レジスタンスの首魁である貴方様とは是非お近づきになりたいと以前から思っておりました。そこに貴方様が帝都に現れたという情報を得まして、すぐに使いを出した次第にございます」
スゲルソンはさも友人に振る舞うかのようにワインを注ぎ出した。
微かな
「商談だと?」
「はい。レグルナ党と戦うには何かと入用でございましょう?食料、武器、薬、嗜好品……、それに人材。商会はあらゆるものを取り扱っております。それを、格安で提供させていただこうかと思いまして」
「それは、帝国から離反しレジスタンス側につくと言うことか?」
「いえいえ!もちろんここでの商売は続けさせていただきます。その上で、あなた方とも取引をしたいと申しているのですよ」
「却下だ」
フロリアは差し出されたワインを突き返した。
「帝国の犬と手を組む気はない」
「そんなことおっしゃらずに。今の飼い主は確かに帝国ですが、ワタクシ共は誰彼構わず尻尾を振る駄犬にございまして」
「無理だ。帝国に与するものと手は組まん」
「おお、それは残念です……。では、帝国の犬としてあるべき対応を取らねばなりませんね」
スゲルソンはそう言うと、指を鳴らした。
ドアが開き、先程の大男が姿を見せる。
「ポスカ君、すぐに軍警に連絡を」
「何だと?」
ポスカと呼ばれた男は頷き、どこかへ行こうとする。
フロリアは慌てて立ち上がった。
「貴様、初めからこれが目的か!」
「はて、何のことでしょう?ワタクシは帝国の犬と呼ばれたので、それにふさわしい振舞いをしてるだけですが?」
「ぐう……!」
彼女の奥歯が噛みしめられ、王族にあるまじき音を鳴らす。
ポスカはドアのところでそ知らぬふりをして、次の指示を待っていた。
スゲルソンは余裕の態度を崩さず、フロリアの次の言葉を待っていた。
そうだ、こいつはこういう奴だ。
他に選択肢がない状況で、自分が最も儲かる選択を相手に選ばせる。
このやり口で軍資金がどれほど飛ばされたことか。
アステルは昔を懐かしみながら、他人事のように二人のやり取りを見ていた。
「ぐう……しかし……」
「ふむ、迷っておられるご様子。では勇者様、アナタ様からも言っていただけますかな?ワタクシがいかに信頼できる商人かを」
「……え?」
完全に蚊帳の外のつもりでいたところに、いきなり話が振られる。
スゲルソンは何かを期待した目でこちらを見ていた。
そこから視線を逸らすと、同じく何かを期待した目をしたフロリアと目が合った。
「え?は?ん?」
「アステル様……!」
「勇者様!」
これは、厄介なことになった。
二人は、この場での決定権を俺に委ねようとしている。
スゲルソンは昔の知己であることを生かして、信頼を得ようとしてるのだろう。
逆にフロリアは、その信頼を俺に否定して欲しいようだ。そして俺の力でこの場から助け出して欲しいと、そう思っているのだろう。
正直、困る。
スゲルソンのやり口はえげつないし、胡散臭いのも事実だ。信用したくないという気持ちも無理は無い。
だが、ここでこいつの口車に乗っておかないと、間違いなく苦労するのも事実だ。
まず軍警とやらに通報され、また追い回されることになるだろう。
自力で逃げ切れないことも無いが、態々レジスタンスのことを
(だが、ここでスゲルソンのことを信用していいって俺が言ったら、後々面倒なことになりそうだな……)
一番のネックはそこだ。
自分がスゲルソンを信頼できると言ってしまったら、その発言の責任は自分が負うことになる。
後でレジスタンスがこいつとの取引で痛い目を見た時、いや、見なかったとしても、何かしらの理由をつけて俺の責任だと言って、レジスタンスへ協力するよう絡んでくるだろう。
それは、マズい。
なんとかして自分が責任を負わないよう、穏便に済ませなくてはならない。
「……まあ、スゲルソンはそこまで悪い奴じゃない」
「ほら、勇者様もこう言っておられますでしょう?ワタクシは信用に足る人間なのです」
「だが、信用できないっていうのもわかる。実際こんな状況に追い込まれているわけだしな」
「アステル様……!」
「というわけで、だ。この話は一旦保留ということにしねえか?」
我ながら中々いい落しどころだと思ったのだが、どうやら双方の意にそぐわなかったらしい。二人の冷たい視線が突き刺さる。
「いや、ほら、レジスタンスもフロリア一人だけで回してるってわけじゃないしさ、他の連中と協議する必要があるだろう?スゲルソンも、レジスタンスから信頼を得たいならここは無粋な真似はしない方がいいんじゃないか?」
何故だか変な汗が流れる。
なんで俺が二人の仲を取り持つ為に気を回さなくてはならないのか?
純粋な疑問がふつふつと胸の奥に湧き上がってきた。
俺は一体何をやっているんだ?
「……そうだな。我々の物資が不足しているのは事実だ。私の一存でこの件を決める訳にはいかない」
「ワタクシも、話を急かしすぎてしまいました。信頼を得るのは時間のかかること。久しぶりの勇者様との再会と、ビッグビジネスを前に舞い上がってしまったようです」
スゲルソンは深々と頭を下げ、フロリアもその謝罪を受け入れた。
よかった。どうやら上手くやり過ごせたらしい。
「ですが、アナタ方を匿うのも限界があります。そうですね……明朝まででしたら何とか誤魔化せます。その後の脱出はご自身でやっていただくことになりますが、それでもよろしいですか?」
「それまでに、我々を売らないと言う保証はあるか?」
「ああ、そこは心配ない。こいつは一度口に出したことは守る。そこは信頼していい。……逆に、口に出していないことは何でもやりかねないけどな」
「ははははは」
スゲルソンは笑って誤魔化したが、こいつは間違いなく、夜明け来たら俺達を売るだろう。あくまでも、帝国に忠誠を誓っているよう見せるために。
そのようにしてこの15年、会社を大きくしてきたのだろう。
だが正直、そこまで嫌いではなかった。
「お二人共お疲れでしょう?食事と着替えを用意しましょう。シャワーも自由にお使いくださいませ。それでは今後も、いつでもどこでも便利な商会、『明けの烏商会』を
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