第5話
「閣下!総帥閣下!!」
「キャー♡アイナ様ー♡」
「こっち向いてー♡」
「ウオー!!総帥バンザーイ!!」
民衆が口々に総帥を
3年前までは王室を称えていたその口で、今はそれを滅ぼしたレグルナ党を喝采している。その現状が、フロリアの怒りを掻き立てた。
だが、彼女の怒りの矛先は民衆でない。
その民衆を扇動するレグルナ党こそが悪であると、フロリアは本気で思っていた。
「おのれレグルナ党め。何も知らない民衆を洗脳し、扇動するとは、なんと邪悪な所業か。アステル様もそう思うでしょう?」
アステルから反応は返ってこない。彼は完全に放心状態となっていた。
地を鳴らすような民衆の歓声も、フロリアの声も、彼には届かない。
ただアイナの演説のみが、耳に響いていた。
『まずは今日という日を諸君らと一緒に迎えられたことを、光栄に思う。今日は人類にとって実に記念すべき日だ。そう……勇者が魔王を討ち倒し、今日で15年目だ』
演説の一小節が終わるたびに、喝采と歓声が飛交う。
その中でもなお、彼女の言葉は掻き消されることなく響いていた。
『かつての王国は、偽りの勇者を掲げるという過ちを犯した。実に冒涜的で、残念なことだ。だが我々はその様な間違いは犯さない。皆と共に、感謝の言葉を捧げるだけだ。勇者よ、その旅路と功績に、
アイナが手を合わせ祈ると、民衆も同じように手を合わせ祈りだす。
全員が一様に
隣で同じように頭を下げていたフロリアが袖を引っ張る。
自分だけが顔を上げていることに気付き、慌てて下げた。
それとすれ違う様にアイナが祈りを解く。
その一瞬、仮面の向こうの瞳がこちらを見た気がした。
『────諸君、ありがとう。これで勇者も人類の過ちを許してくれるだろう。さて、祈りも終わったところで少し大切な話をしよう。そう、諸君らの富と平穏を脅かす、異端者共についてだ。我々は3年前、王宮の欺瞞と背信を暴き、皇帝陛下と共にその不正を正すべく戦った。結果は諸君らも知っての通り、我々の勝利により正義はなされた。だがしかし、悪の種はしぶとくも逃げ延び、我々に対し攻撃を行っている。旧王室派を中心としたレジスタンス、及び
民衆が雄たけびを上げる。
まるで飢えた獣の様な野蛮な叫び声が、そこかしこから上がる。
フロリアはアステルの腕を強く掴んだ。
まるで何かに耐えるような表情で、民衆を見つめていた。
『王室は諸君らを騙し続け、
口笛が吹かれ、人々は破顔しながら抱き合ったり、キスしあったりした。
同じ広場で、同じ演説を聴いているはずなのに、目の前の大騒ぎがまるで別世界のように感じられた。
先ほど周りに合わせて祈っていたフロリアも、流石にこのバカ騒ぎに合わせる気はないみたいだ。
『レジスタンスはもはや風前の灯となった!彼らの殲滅は時間の問題だろう。現状我々が危険視しているのは、各地で潜伏を続ける
アイナはそう言うと、コートを翻し壇上から去って行った。
その背中に割れんばかりの拍手と喝采が送られる。
アステルは無意識のうちにその背に手を伸ばしていた。
しかし、その腕を別の誰かが掴む。
ハッとして隣を見ると、フロリアがこちらを見上げていた。
「アステル様、その目で見ましたか?その耳で聞きましたか?無知な民衆を扇動する様を、あの欺瞞に塗れた弁舌を!奴らはああやって市民を焚き付け、我々を貶め、罪のない
彼女は周囲を警戒してか声は静かだが、その瞳には激しい怒りが渦巻いている。
だがアステルの頭の中はまだ混乱状態であった。
アイナがあそこにいた。目の前にはフロリアがいる。アイナがフロリアから家族を奪った。フロリアはアイナを倒そうとしている……。
誰の味方をし、自分はどう振舞うべきか、その答えが見えない。
ただ茫然と、フロリアを見つめることしか出来なかった。
「……アステル様?どうなさいました?」
「……ああ、そのなんだ。えーと、……」
次に言うべき言葉を探すが、見つからない。
この場だけでも誤魔化せばいいのに、15年も
フロリアが心配そうな表情でこちらを見上げている。
嫌な汗が背中を伝う。口の中が渇く。
だがその時、どこからか視線を感じた。
目の前のフロリアからではない。それよりも遥か後方、視線が感じる方へ目を向ける。
目深に軍帽を被った男が、確かにこちらの方を見ていた。
染み付いた警戒心が、強制的に頭を冷却する。
「……フロリア、こっちを見てる奴がいる」
「!」
「ここを離れるぞ」
彼女の手を引き、足早に広場を出る。
後ろをチラリと見やると、案の定軍帽の男は追ってきていた。
正直彼には感謝している。あのままだと自分は日が暮れるまで固まっていたかもしれない。
いくつもの路地を抜け、角を曲がる。
それでも軍帽の男は追ってくる。
手を引いて走り出す。
それでも振り切れない。
……いや、違う。増えているんだ。
路地を抜けるたび、角を曲がるたび、新たな軍帽の男が現れる。そのたびに、方向転換せざるを得なくなる。
軍帽達はどんどん数を増している。
だが、
「はあっ……はあっ……!」
息が上がり始めているフロリアを見てそれは出来ないと断念する。
俺の魔法は他人に使用することができない。
だからそれは最終手段だ。
今はただ、逃げ回るしかない。
だが少しずつ曲がり角が少なくなっていく。路地が細くなっていく。
着実に追い詰められているのは感じていた。
(
考えを巡らせる間にも路地はどんどん狭くなり、軍帽共は増えていく。
フロリアの足取りも少しずつ重くなってきていた。
ここで彼女を置いていければ、どれほど楽だろう。そんな考えが頭を
いきなり現れて、レジスタンスへの協力を迫ってきて、しかも手前勝手な理屈ばかり述べて。
アイナの名前を聞き、外に出る羽目になったのも、彼女が現れたせいだ。
何も知ないままあの森で暮らせれば、どれほど楽だったろうか。今からでも全て忘れて、あの森に帰ることができれば、どれほど素晴らしいだろう。
(まあ、もう無理だけどな)
心の中で自嘲し、下らない考えを捨てた。
一度関わってしまった以上、見捨ることはできない。
自分にも責任があると認めてしまった以上、何もしないわけにはいかない。
知ってしまった以上、無関係ではいられない。
それが自分のやっかいな
このまま彼女を見捨てれば、間違いなく一生後悔し続けるだろう。
捕まった後の彼女の処遇は想像に難くない。その想像に付き纏われて一生を暮らすなんて御免だ。
だから、少なくともここは乗り切る。色々考えるのはその後だ。
「……!」
いくつめかの角を曲がった先で、巨大な影が待ち伏せしていた。
自分達と同じようなローブを纏った、見上げるほどの大男。
反射的に拳が出そうになる。
しかし、男は口に人差し指を当て、静かにするようこちらに促した。
「私はアナタ方の敵ではありません」
「……何?」
「会長がお待ちです。ついて来てください」
男はローブを翻し、先導するように走り出す。
「はあ、はあ、アステル様、あの男は軍帽の連中と、雰囲気が違いました。会長というのは……判りませんが、取り敢えず着いて行きましょう」
「……ああ、そうだな」
軍帽たちがすぐそこまで迫っている気配を感じ、急いで男の後を追う。
男はいくつかの角を曲がった後、何もない壁を叩いた。
すると今まで何もなった壁に扉が現れたのだ。男はその中に入り、二人を手招きする。
アステルはフロリアの方を見、彼女は頷いた。
意を決してその中に入る。
扉が閉められ、外で軍帽達が通り過ぎていく足音が聞こえた。
完全に足音が過ぎ去ったのを確認し、男が口を開く。
「ここならもう安全です」
「はあ……はあ……!」
フロリアは汗をびっしょり掻き、肩で息をしていた。フードを外すと玉の様な汗が飛び散った。
壁の中は普通の民家の様な造りで、隠し扉があるような風にはとても見えない。実際、さっき入ってきたはずの扉はすでに消え、ただの壁と見分けがつかなくなっていた。
「お疲れのようですね。お水を用意しましょう」
「
アステルはあくまで警戒を解かず、いつでも戦闘に移れるように魔力を
だが男の方は、まるで気にしてないかのような平坦な声で答えた。
「……では、お水よりも先に会長の元へ案内します。我々が何者か証明するには、あの方に会っていただくのが一番早い」
「あの方……?」
男はこちらの返答を待つことなく、すたすたと先に行ってしまった。
仕方ないのでその後を着いて行く。
フロリアはまだ息が辛そうで、せめて水は用意してもらえばよかったかと反省した。
「ここだ。会長があなた方を待っている」
男はドアの前で立ち止まると、中に入るよう示した。
ここまでいくつも部屋があったが、他の部屋と何ら違いが見られない。
中に入ると、作業用の長机、ワインとグラスが載った来客用のテーブルが一つずつ。来客用の座り心地の良さそうな椅子と、こちらに背もたれを向けた椅子がそれぞれ一脚ずつ。
殺風景な部屋になんとも不釣り合いな、豪華な家具たちであった。
「いやいやこれはこれは、セロギネス将軍とお近づきになるつもりでしたが、とんだ大収穫ですな」
椅子の背もたれの向こうから男の声がした。
声の主は背をこちらに向けたまま、漏れ出る笑いを噛みしめるかのような声を出す。
「まさかまさか、勇者様とは」
「……ッ!?」
ゾッと鳥肌が立つ。
この男は、何故自分が勇者だと分かった?
腕の紋章はしっかり隠している。それに今の髭面から、かつての自分を連想するのは不可能に等しい。
いや、そもそもこの男は、顔を見るどころか声すら聞いていないはずだ。
「あんたが会長か?何で俺のことを知っている。助けた目的は何だ」
脂汗が噴き出る。
なるべく平静を装って尋ねる。
「いやですねえ、ワタクシのことをお忘れですか?」
椅子がくるりと回り、「会長」がその姿を現す。
骨ばった顔、爛々と光る目、禿げあがった前頭部。
お忘れですかと聞かれたら、はいお忘れですと言うしかないほど、記憶になかった。
「……すまん、誰だ?」
「おお!ワタクシはとても悲しいです!勇者様行くところにワタクシあり!いつでもどこでも便利な男!でお馴染みのスゲルソンをお忘れですか?」
その商人は、途端に下卑た笑みを浮かべ手揉みする。
その仕草で、一気に思い出した。
魔王討伐の旅の途中、行く先々に付き纏ってきた商人がいた。
いつも下卑た笑みを浮かべ、手もみしながら擦り寄って来た胡散臭い男。
そいつの名は……
「お前、『
「はい!お久しぶりですね、勇者様!」
スゲルソンは
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