第4話

 帝都。

 かつてセローグ王国の首都で王都と呼ばれていたこの場所は、今はそう名を変えている。

 大陸で最大の人口を誇る大都市であり、行政施設、研究施設などが集まるまさしく国の中心であった。

 その遥か下、地下下水道。

 遥か昔に廃棄され封鎖されたこの場所は、ねずみ一匹すらいない虚無の空間であった。

 そんな場所に、蠢くく影が一つ。

 その影はねずみのように小さいが、地面を這いずるように移動しているためか、動きがとてつもなく遅い。

 しかし、その影は確かな意思を持ち、目的をもってこの場に来ていた。


(……やはりおかしい。少なすぎる)


 その影は上方……人々の行き交う地上の方を見上げ、思考を巡らせる。


(もうあれから15年も経つ。しかし私は依然としてこんな姿だ。何か原因があると思ったが、やはり……)


 そこまで考えたところで、突然目の前の壁が輝きだした。

 そして影は信じられないものをみた。

 壁から突然人が出て来たのだ。

 その現象に驚いたのではない。転移魔法ぐらい今までいくらでも使ってきた。

 信じられないのは出て来たその人物だった。

 あれは……


 ──────────────────────────────────────

「……っと。よし、やっぱり誰もいないな。フロリア、いいぞ」


 壁に描かれた魔法陣サークルに呼びかける。すると陣が光り輝き、中からフロリアが飛びだしてきた。

 着地した時の靴の音が、下水道に反響する。


「王都の地下に、こんな場所が……」

「俺が王都に来た時にはもう封鎖されていたからな。知らないのも無理はない」

「驚きました。アステル様が転移魔法の様な高度な魔法が使えるなんて。魔法よりも剣術の方が得意と聞いておりましたが……」

「いや、これは俺の魔法じゃない。スクロールって言って、……まあ簡単に言えば魔法を書き写したものだ。魔力を込めれば誰でも使える」


 帝都へ向かうことが決まり、アステルは倉庫を開けた。

 そして農具を掻き分け、一番奥から取り出してきたのは、1枚の巻物スクロールだった。

 それを広げ魔力を込めると、帝都の下水道に繋がったのだ。


「誰でも?そんな便利なものがあるなんて初めて知りました。魔導研究局が聞けば飛び付きそうな代物ですのに……」

「これを作ったやつが変人だったんだ。金や名声に一切興味無く、魔法を作ることにだけ拘る奴でな。公表しなかったんだろう。後誰でも使えると言ったが魔力の消費はかなりのものだからな。並の魔力じゃ起動も出来ない」

「そうなのですか、それは残念です。……ですが魔力さえ解決できれば……これを量産できれば移動も奇襲も……」


 フロリアは何かぶつぶつとを呟き出し、セロギネス将軍が顔を出し始めた。

 そんな彼女を見てアステルは辟易へきえきとしていたが、瞬間、悪寒が走る。

 とっさに左腕を見る。紋章がほんの一瞬だけ光ったように見えた、気がした。

 少なくとも今は灰色に沈んでいる。


「……?」

「アステル様、どうかなさいましたか?」

「……いや、何でもない。それよりもさっさと地上に出よう」

「そうですね。ここは何だか薄気味悪いですし」


 久しぶりに連続して魔力を使い過ぎたせいで、体調を崩したか?悪寒の正体に適当な理由をつけて頭の隅に追いやった。

 カンテラの放つ光だけを頼りに地上を目指す。

 地下下水道は迷路のように入り組んでいるが、あらかじめつけておいた目印がまだ残っていたため迷わず進むことができた。


「本当にこの下水道を通られるのは初めてなのですか?実は15年の間に何度か王都にも来られてたりして?」

「いや、スクロールを使ったのは今日が初めてだ。ここを通るのも下見の時以来だな」

「その割には随分迷いなく進まれますのね」

「その時につけた目印が残ってるんだ。それを逆に辿って行ってる」

「逆に?」

「ああ。このスクロールは本来ここに来るために用意した物じゃない。王都から脱出するためのものなんだ。魔王討伐後の失踪が失敗し、王都に連れて来られた時のためのな」


 失踪の計画は王都で訓練を受けていたころから入念に進めていた。

 当然、うまく行かなかった時のための計画もいくつか用意していた。

 転移のスクロールこれはその内の一つだ。

 まさか、こちらから向かうために使うことになるとは思ってなかったが。


「……その、ずっと気になっていたのですが、アステル様はどうして我々の前から姿を消したのですか?」

「言っただろう。王宮の政治闘争に巻き込まれるのが嫌だったからだ」

「ほ、本当にそれだけの理由で姿を消したのですか?」

「ああ、そうだ」

「……では、あの時の言葉も嘘だったのですね……」

「あの時……?」


 横目でチラリとフロリアを見る。そして、ゾッとした。

 昏く沈んだ瞳がこちらを見ていた。

 慌てて目を逸らす。

 セロギネス将軍の、怒りに染まった目の何十倍もの恐怖を感じた。


「王室入りの話です。何度も言いますが、アステル様は同意していましたよ。よく覚えております」

「ああ、その話か……。でも本当に記憶にないんだ。そんな重要な話をして覚えていない筈が……」

「よく思い出して下さい。魔王征伐へ出立したあの日、父ダリウス王からお言葉をたまわったではありませんか。あの時貴方は確かに同意しましたよ」

「出立の、日……?」


 頭の中に、あの時の光景が溢れ出す。

 出立の日、旅の仲間と共に王の御前に呼ばれ、薫陶の言葉を受けた。

 記憶の中のダリウス王が、玉座に踏ん反り返りながら何かを言っている。聞き流していたので内容は殆ど覚えていない。

 その横で、娘の三姉妹が値踏みするようにこちらを見ていた。

 ……いや、値踏みしていたのは一番上の娘だけだった気がする。

 そして、王が言った。

『魔王を討った暁には、我が三人の娘の中から好きなものを選ぶがよい。それを妻として娶ることを許そう』

 記憶の中の自分が答える。

『はっ!身に余る光栄です!必ずや魔王を討ち果たして見せます!』


(……言ってたわ。話ほとんど聞き流してたし、どうせ雲隠れするつもりだったから、何も考えずに返事してたわ。いやそもそも王の言葉だぞ!?こっちにその気が無くても拒否出来る訳ないだろ!)


 突如として蘇ってきた都合の悪い記憶。

 言葉確かに「はい」とは言っていないが、これは同意と捉えられても仕方がないだろう。

 そして自分は王との約束を反古にした不心得者ということになる。

 投獄で済むかすら怪しい大罪だ。

 幸運なのは、セロギネス王家が既に力を失っていることと、この場にそれを証明できる人間がいないこだろう。


「────いや、記憶にないな」

「……そうですか。記憶にございませんか」


 この時、アステル自身は何とか誤魔化せたとホッとしていた。だが、フロリアから暗い熱の籠った視線を向けられていることに気が付いていなかった。


 それから30分ほど歩き続け、ようやく光が見えた。

 帝都の端にある古い井戸。そこから地上へ出る。

 周囲には人影一つなかった。


「ここは……旧聖堂地区ですか」

「ああ、権利関係が複雑になり過ぎて取り壊しも再開発も出来ない、曰くつきの土地だ。まさか帝国に変わってもそのままだとは思わなかったがな」


 アステルはローブを取り出し、フロリアに渡す。

 フロリアの服は一応乾いたが、まだ泥汚れが残っていた。

 アステルも作業用の服しか持っておらず、が集う帝都では目立つ恐れがある。

 だから多少怪しまれるとしてもローブを着た方が目立たないと考えたのだ。

 二人は帝都の中央へ向かう。

 幸いにも途中ですれ違う人は少なく、特に何事も無く中央に辿り着くことができた。


 中央、メインストリート。

 そこは、さっきまでの閑散とした空気がまるで嘘であるかのように、人で埋め尽くされていた。

 右を見ても左を見ても人、人、人。

 彼らは皆一様に灰色の旗を持ち、それを熱狂的に振り回している。


「これは……一体何の騒ぎだ?」

「……ああ、すっかり忘れていました。そういえば今日は特別な日でしたね」

「何の……?」

「貴方が魔王を倒し、人類を恐怖から解放した日です。王国の時もこの日は祝日で、盛大なお祭りを開いていましたよ」

「ああ、なるほど……」

「ですが、これは好都合ですね。皆がお祭りの熱狂に当てられてるおかげで、私達に注意が向きにくくなっています。それに総帥の演説もあるはずです。直接あの邪悪な女の姿を見れば、レジスタンスに協力する決心もつくと思いますよ」

「……そうだな」


 人の波を掻き分けつつ王宮の方へ向かう。アイナが演説をするとしたらそこらしい。

 久しぶりに眺める街並みはすっかり変わっていた。

 思い入れのあった靴屋がパン屋になっていたり、民家だった建物が商店になってたりと、もはや記憶と一致するものの方が少ない。

 だが、人はあまり変わっていない気がする

 最後にここの人達を見たのが確か出立の時だった。その時も大勢の人がメインストリートに出てきて、旅立つ自分達に声援を送ってくれた。

 旗は無かったが、熱狂っぷりは同じだった。

 よく知りもしない奴の旅立ちに、なぜそこまで熱狂できるのか当時は理解できなかったが、今ならわかる。

 彼らは単に、騒げる理由が欲しかっただけなのだ。


 一際ひときわ人の多い場所に出た。

 王宮前の広場はメインストリートよりも開けているはずなのに、さっきまでより人間の密度が高い。

 とてもじゃないがこれ以上進めそうになかった。


「これ以上は無理そうだな」

「ええ、もうすぐ演説が始まるのでしょう。幸いにもここからでもステージを見ることが───」


 フロリアの声は、広場に集まった群衆の歓声に掻き消された。

 遠くのステージに何者かが上がったのが見える。

 あれがアイナなのだろうか。

 群衆が飛んだり跳ねたりしてよく見えない。


『────皆の者、静粛に』


 歓声を超える声が、広場に響いた。

 それと同時に群衆が一斉に静まり返る。

 ステージに立つ人の姿がようやくはっきり見えた。

 赤黒い軍用コート、漆黒の軍帽、そして……顔全体を覆う仮面。

 その姿は人というよりは魔族を思わせる風貌だった。


「あれがアイナ・テオセラです。何とも怪しいでしょう?」

「……」


 フロリアが小さな声で耳打ちしてくる。

 あの仮面の人物が、アイナ?

 とてもじゃないが、そうは思えなかった。

 佇まいも、纏う空気も、声も、記憶の中の少女と繋がるものは何一つなかった。

 もしかしたら、アイナという名も、レグルナ党という名前も偶然自分に関係するものと同じだっただけで、全ては杞憂きゆうだったのかもしれない。

 そんなことをふと考えた。

 檀上の人物が、群衆に語り掛ける。


『親愛なる諸君、おはよう』

「アステル、おはよう」


 その言葉を聴いた瞬間、理解わかってしまった。

 理屈じゃない、証拠も無い。だが、魂がそう言っていた。

 あそこにいるのは、自分もよく知る、アイナ・テオセラだと。


『────調子はどうかね?』

「調子はどう?」

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