第2話

 朝、昨晩の大雨がまるで嘘だったかのような快晴。

 窓から差し込む朝日を浴びながら、朝食を作る。

 昨日下処理した猪肉を焼き、その上に野鳥の卵を落とす。

 肉の焼ける香ばしい香りと心地よい音が二つの感覚を刺激し、未だ微睡みの中にある頭を覚醒させてくれる。

 料理はいい。目の前の食材だけに集中し、他のことを全て忘れられる。

 こんがらがった頭をスッキリさせるには、料理をするのが一番だ。

 昨日は余りにも色々なことがあり過ぎた。一度、頭の中を整理する必要がある。


「ん……うう……」


 その色々なことの一つ、フロリア姫が背後のベッドで寝返りを打つ。

 微かな寝息と衣擦れの音。意識を逸らそうとするほどに大きく聞こえてくる。


『私を、覚えてはいらっしゃいませんか?名はフロリア・シェウス=セロギネス。ダリウス王の三女、フロリアです』


 大粒の涙を流しながら、彼女はそう言った。

 すっとぼけることも出来たはずだ。こんなところにフロリア姫がいるはずない、そんな恰好をしてるはずがない。

 しらを切れば、自分が勇者アステルなんぞではないと吐き通すことも出来た。

 だが……出来なかった。

 目の前で膝をつき、涙を流しながら笑う彼女を前にして、そんなことを言う度胸は、俺にはなかった。


「フロリア……姫様……?何故、あなたが……」


 次の瞬間、彼女はすっくと立ち上ると、その手を思いっ切り振りかぶった。

 そして、疾きの白Srmopwndを解いたにもかかわらず、いきなり世界がスローモーションになる。

 彼女がビンタしたのだと分かったのは、三回転して泥の中に顔を突っ込んだ後だった。


「あ、貴方様がいなくなったせいで、どれだけ大変な目にあったと思ってるんですか……!」


 フロリアは泥の中に突っ伏す俺を仰向けにすると、マウントポジションを取り胸倉を掴んだ。そしてこれでもかというほどにがっくんがっくんと揺さぶる。


「おおおおおおおおちつつつけけけけけけけ」

「その貴方が何故!こんな辺鄙な土地の!森の中にいるのです!こんな髭まで生やし、て……」


 すると彼女は突然糸が切れたかのように力を失い、倒れ込んだ。

 緊張の糸が切れ、限界を超えていたことを肉体が思い出したのだろう。

 ここに来るまでに多くのことがあったのは想像に難くない。

 気を失った彼女を抱え小屋に戻り、再び火を焚いた。

 そして……まあ……覚悟を決めて彼女の服を脱がせてやった。下着だけはさすがに無理だったが。

 目立つ傷にだけ軟膏を塗り、シーツを変えたベッドで寝かせ、自分は床で寝た。

 そして今に至る。


に相談すべきか?これ……)


 どうやら追われているらしい姫と、帝国という聞き慣れない国。

 自分が引き籠ってる間に、森の外では何か起こっていたらしい。

 アステルには、古くからの相談相手達がいる。しかし、なるべくその者達の知恵は借りたくなかった。

 嫌が応にも、勇者として戦っていた時のことを思い出してしまうからだ。


(……まあ、まだ情報が揃ってないし、あいつらを呼ぶほどでもないだろ)

「ん、ん……アステル、様……?」

「ああ、フロリア様、お目覚め、に……」


 名前を呼ばれ、振り返る。

 寝惚け眼を擦りながら、フロリアがベッドから上体を起こしていた。毛布がはだけ、下着姿の上半身が露わになっている。

 アステルは急いで朝食の方へ向き直った。


「そ、そこに自分のシャツとズボンを置いてます!大きいでしょうが、今はそれをお召しになって下さい!」

「え?あ、はい」


 後方から聞こえてくる衣擦れの音を、料理に集中することで打ち消す。

 ちょうどよく焼き上がった似非ベーコンエッグを皿に載せるも、衣擦れの音はまだ続いていた。

 片手に皿を持ったまま1分ほど待ち、ようやくその音が止まったため振り返ることにした。


「どうぞ、こちらを召し上がって下さ……」


 思わず固まってしまった。

 フロリア姫はちゃんとシャツを着ていた。だがそれだけだ。

 ズボンを、履いていない。

 シャツのサイズが大きいお陰で上下はちゃんと隠れているが、その姿は余りにも……破廉恥と表現するしかなかった。


「フ、フロリア姫様、何故、ズ、ズボンを……」

「サイズが大きくてどうしてもずり落ちてしまい……。このようなはしたない恰好で申し訳ございません」

「あ、ああなるほど。サイズがね。はは、これは申し訳ない。こんな時に備えて、女性の服も用意しておくべきでしたな」


 アステルはカチコチに緊張しながら朝食を運ぶ。

 なるべく視線を下に向けないようにしていたためテーブルの脚に小指をぶつけるが、何事も無かったかのように振舞う。


「こちらをどうぞ。お口に合うかはわかりませんが」

「ありがとうございます。……あの、貴方の分は?」

「え?」


 そう言われて、自分の分の朝食を作っていないことに気付く。

 しまった、ついいつもの調子で一人分だけを作ってしまった。

 後でこっそり適当に食べよう。


「……私は先に食べさせてもらいました。フロリア姫様は気にせず召し上がって下さい」

「そうですか、では……」


 フロリアは木製のナイフとフォークを手に取り、似非ベーコンエッグを切り分け、口に運ぶ。

 その丁寧な所作は間違いなく高貴な出自のもののそれだった。

 食事を終え、食器を片付け、二人は向かい合って座る。


「……」

「……」


 気まずい沈黙が流れる。

 お互い聞きたいことが多すぎて、何から聞けばいいのかわからないのだ。

 それもそうだ。お互いに最後に会ったのは15年以上も前で、その当時もお互いの存在を知っていただけで碌に会話をしたことなど無かった。

 そして再会してみれば、片や髭面の隠居中年、片や追われる身。

 どちらにとっても、そこに至るまでの情報が足りなすぎる。

 先に沈黙を破ったのはフロリアの方だった。


「あの……アステル様、昨日は助けていただきありがとうございました。そして、申し訳ございませんでした!」


 フロリアは深々と頭を下げる。


「私、貴方様にとんだご無礼を……!」

「ああ、そんなに頭を下げないでください。もう済んだことなのですから。……それよりもフロリア姫様、何故あなたの様な方が、その、追われていたのですか?あいつらが言っていた、帝国とはいったい……?」

「……アステル様、本当に何もご存じないのですか?」

「ええ、まあ、ここ15年ほど、ずっとこの森に居ましたので」

「本当に?15年間一歩も森の外に出られていないので?」

「はい、特に不自由がなかったので……」


 フロリアは呆れたような表情で、深い溜息を吐いた。

 そしてこめかみに手を当て少し考え込んだ後、真剣な眼差しでアステルを見る。


「分かりました……。では私達に、いえ、王国に何があったのか、順を追って全てお話しいたします」


 全ては15年前のあの日、貴方が一人で魔王を討ち倒し、姿を消したことから始まりました。

 魔王の死と、貴方の失踪の二つの報告を受けた王宮は、大混乱に陥りました。

 魔王を討った後、貴方を王室へと迎え入れることを約束し、その準備も進めていたのに、肝心の貴方だけが消えてしまったのですから。

 多くの人員を導入し足取りを追おうとしましたが、半年経っても貴方の影すら掴むことはできませんでした。

 貴方が死亡したことにすればよいと言う者もおりましたが、死体を確認できない以上、ふらっと現れる可能性もあると考えられます。その際に起きるトラブルを鑑み、死亡した前提で話を進めるのは危険だと判断され、貴方の捜索は続けられました。

 そして1年の月日が流れ、民たちの間である一つの噂が流れ始めました。

 魔王が討たれたのに、勇者が姿を見せない。勇者が死んだと言う報せも出ない。ならば勇者は何処へ行ったのか?

 世界を救った英雄を、その力を怖れた王家が消した。

 そんな噂が流れだし、民たちの王家への不信は日々大きくなっていきました。

 一刻も早く手を打たねば、すぐにでも暴動へと発展しかねないような緊張感でした。

 そこで王家は、偽の勇者を立てることにしたのです。


「………………………………………はあ?」


 話の途中だが、思わず声を上げてしまった。

 本当は、「何俺の知らないところで王室入りの話を進めてんだ」とか、「力を怖れたていたのは本当だから所在を掴んでおきたかったんだろう」とか、言いたいことは色々あったが、何とか堪えていた。

 だがさすがに、偽の勇者を立てたはちょっと、いくらなんでも……考えが甘すぎるんじゃないか?

 それに、ここから先に何があったのか、大体の予想がついてしまった。


「お、仰りたいことは分かります!私も、そんな愚かなことをと父に提言しました。ですが、あの時は本当にああでもしないといけなかったのです。死んだと言うにしても、失踪したと言うにしても、王家への信頼は落ちることが必至でしたので……」


 ───戦いの傷を今まで癒していたということにし、偽の勇者で凱旋パレードを行いました。幸いにも、アステル様はいつも帽子を目深に被っておられ、全貌を知るものは少ないと目された。

背格好の似てる者を用意し、腕に紋章を彫り、顔も出来る限り近いものへ寄せて、凱旋パレードは行われました。

 腕の紋章で、皆は偽物が勇者だと信じたようです。

 パレードは成功に終わり、王家への信頼は回復し、民たちの緊張感も無くなりました。

 それからおよそ10年、安定した治世が続きました。偽の勇者は一番上のお姉様と結婚し王室入りし、王家の一員として過ごしていました。

 ですがある日……突如として、『レグルナ党』を名乗る集団が現れ、勇者は偽物だと、街頭で演説をし始めたのです。


「……ん?『レグルナ』……?」

「どうかなさいましたか?」

「……いや、何でもありません」


 ───初めは、誰も彼らを相手にしませんでした。

 そんな噂は時代遅れだ、勇者は王宮にいる、と。

 ですが、レグルナ党の構成員たちは自分達を、実際に勇者に助けてもらった者だと主張し、真の勇者の救済を声高に叫び続けました。

 王宮はもちろんすぐに彼らを対処しようとしました。ですが彼らの足取りは中々追えず、さらに活動も突発的、偶発的で、捉えるのが困難でした。

 そして王宮が手をこまねいているうちに彼らは同志を増やし、気付いた時にはもう王都のおよそ三分の一がレグルナ党の構成員となっていました。

 そして今から3年前……。レグルナ党は王国軍の一部と手を組み、クーデターを起こしました。

 結果は、王国軍の惨敗。王宮は占拠され、そこで勤めていた大臣達や元老院は皆……殺されました。

 クーデター側の軍の司令官、ガーランド将軍は、王の上の位として新たに皇帝を名乗り、セローグ王国の名は、ガーランド帝国と塗り替えられてしまいました。


「……なるほど」


 フロリアは拳を強く握り、俯きながら声を震わせて語った。

 その姿からは怒りと悲しみが滲んでいた。

 酷い有様だったのだろう。……半分ぐらい王宮の自爆な気もするが、流石にそんなことを口に出すほど阿呆ではない。

 それよりも、『レグルナ』という名前がずっと引っかかっていた。その名前には、聞き覚えがあった。


「……無理して全部語る必要はありませんよ」

「……申し訳ありません、あの時のことを思い出してしまって。もう少しで、終わりますので」


 ────当然ながら王室も、全員処刑されることになりました。

 まず最初に、偽の勇者が処刑されました。

 レグルナ党は何処から捕まえて来たのか、魔物を用意し、本物の勇者なら紋章が光り魔物にも勝てるはずだと言いました。そして衆人環視の中、裸の彼を魔物と一緒の檻に入れたのです。当然彼の紋章は光りません。一応の訓練は受けていましたが、武器なしで魔物に勝てるほど強くはありませんでした。そしてそのまま彼は……魔物に喰い殺されました。

 それを観た民達は、熱狂しました。レグルナ党が正しかったんだ、王家は俺達を騙していたんだ、口々にそう言って、私達の処刑を望んだのです。今までクーデターや処刑に反対していた者達も、一瞬で粛清のムードに傾きました。

 そして……父が……お姉様が……。断頭台に、かけられて……!


「う、うううぅぅううぅう……!!」


 フロリアは涙を流し、唇を噛み締めていた。

 強く嚙み過ぎて、口の端から血が出ている。

 流石にこれ以上は無理させない方がいいだろう。

 そう考え、アステルは水を汲もうと立ち上がろうとした。

 しかし、


「何処へ行かれるのですか?ここからが肝心なんですから、しっかり聞いてくださいませ……!」


 フロリアが腕を掴んで引き留める。

 昨日の晩と同じ、凄まじい力だ。まるで、二度と放すつもりはないかのような。


「は、はい、わかりました……」

「……私も処刑される予定でした。ですが、処刑の前夜、王室派の生き残りが決死の覚悟で私を逃がしてくれたのです!王都……今は帝都、ですが、そこを命からがら抜け出した私は、先に外へ逃れていた王室派と合流しました。そして、彼らと共に反帝国のレジスタンスを結成し、この3年間、反抗活動を続けていたのです!そう、我らの美しき王国を取り戻すために!」

「は、はあ、なるほど……」

「雨風を耐え忍び、帝国に屈した同胞たちを手にかけ、泥水を啜って、今日こんにちまで戦い抜いてきた!しかし!卑劣な帝国の罠に嵌り、我々の部隊は急襲を受けた!アジトの移動の隙を狙うとは、実に卑怯で姑息な帝国らしいやり方だ!」

「……ん?」


 フロリアの口調が明らかに変わった。

 突然立ち上がり、拳を振り上げ、まるで大勢に語り掛けるかのように話し出す。

 纏う空気まで変わり、まるで別人のようだった。


「壊滅的な打撃を受けた我々は、再会を約束し散り散りに逃げた!しかし、これは敗走ではない!来るべき帝国への反攻のための一歩なのだ!その証拠として、私はこのように!勇者と再会した!」

「あ、あの?フロリア姫様?」

「私はもう姫ではない!私のことはセロギネス将軍と……!ハッ!?」


 彼女はようやく自分の行動に気付いたようで、振り上げたこぶしを降ろすと、縮こまるように椅子に座った。顔が耳まで真っ赤に染まっている。

 その様子は再び姫のそれに戻っていた。


「あー……セロギネス将軍?」

「い、今のは忘れてください!!その、仲間達を鼓舞するためにはこういった力強いのが効果的で、その……!」

「えー、では、フロリア姫様」

「……我が儘を言ってるみたいで申し訳ないのですが、私、もう姫ではないのです。ただフロリアと、そう呼んでいただいて構いません。それに、敬語も必要ありませんわ。仲間は皆、私に砕けた口調で話していますので、そっちの方が落ち着きます」

「そうですか、では遠慮なく、フロリア」

「はい、何でしょう?」


 そう答える彼女の顔はさっきよりずっと明るく、何故か嬉しそうに見えた。

 大きな声を出したから気分がスッとしたのだろう。元気が戻ったのなら何よりだ。


「あなたがここに至った経緯は分かった。俺に非が一切ないとは言えないってことも……まあ受け入れよう」

「……本当ですか?では……!」

「ただ、一つ聞きたい。さっき話の中で出てきた『レグルナ党』って言うのは、何だ?何でいきなり現れた?」


 王国の崩壊は王家のやらかしが原因なのも大概だが、それよりもレグルナ党の存在が大きすぎる。

 そいつらが現れてから一気に事態が動き過ぎている。

 何より、『レグルナ』という名前だ。この名前は……


「私も、よくわからないのです。本当に突然現れて、凄まじい勢いで勢力を増していったとしか……。分かっていることは、現在の帝国の政治は全て彼らが握っているということです。ガーランドは皇帝を名乗っていますが、実質的に彼らの傀儡に過ぎません。我らの敵はレグルナ党、そしてそれをまとめ上げる『総帥』です」

「総帥……?」

「突如として現れ、瞬く間にレグルナ党を一大勢力へと成長させた、仮面の総帥……、『鮮血魔人』『顔の無い悪魔』『地獄の娼婦』……呼び名は沢山ありますが、その真実の名は……アイナ・テオセラ」


 その名を聞いた瞬間、全てが繋がってしまった。

 レグルナは、自分が生まれた村の名だ。

 そして、アイナ・テオセラというのは……その村にいたの名前だ。

 古い記憶の果てで、女の子が泣きながら手を振っている。


「そんな……まさか……」


 アステルはただただ、愕然とした。

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