第1話

「ふあぁぁぁ……」


 ハンモックに揺られながら、髭面の男が大きな欠伸をする。

 直ぐ側には農耕具が雑に放り出され、主と共に昼の休憩を貪っていた。

 柔らかな日差しが木々の間から畑へと降り注ぎ、木こり小屋の屋根で小鳥たちがさえずり合う。

 男がこの森に居を構えてから、15度目の春であった。


「……もうひと眠り」


 男はハンモックの上で寝返りを打ち、服からはみ出た脇腹を掻く。

 男は妻も家族も無く、独り身である。

 しかし、特に寂しさや不自由などは感じていなかった。

 むしろ、そういったものが煩わしいと感じるからこそ、このような場所で15年間も一人で生きてきたと言ってもいいだろう。

 ここは森の中では特に日当たりが良く、作物の育ちも申し分ない。少し歩けば川もある。冬はちょっと大変だが、それでも一人で生活するには十分すぎる環境だった。


「旦那、旦那ぁー!」


 草を掻き分けて小さな影が近づいてくる。

 それは子供程の背丈で、二本の足で地を蹴っているにも拘らず、明らかに大人が走るよりも速い。

 全身が茶色の毛で覆われたその小さな生き物は、獣人コボルドと呼ばれる魔族の一種であった。


「どうした、ボコ?」


 男はハンモックから上体を起こし、ボコと呼ばれた獣人コボルドの方を向く。

 ボコは農耕具の手前でピタリと停まると、息を切らしながら語った。


「出たんだ!例のでっかいやつが!オイラ達だけで狩ろうとしたけどダメだった!ボブとボズがケガしちまった!」

「ったく、無理すんなって言ったじゃねえかよ」


 男はハンモックから降りると、小屋の方へ向かう。

 その後ろをボコがチョロチョロと着いてくる。


「も、申し訳ねえ……。オイラ達だけで狩って、旦那にプレゼントしようと思ったんだ。いつも助けてもらってばかりだから……」

「それでケガしちゃ世話ねえだろ」

「面目ねえ……」


 男は小屋の裏手に回り倉庫を開ける。

 中には農耕具の他にまさかりや釣り竿などが雑に収納されていた。

 男は一番手前に立てかけてある棒に手を伸ばす。

 それは、真っ直ぐに整えられた木の枝の先に、石のやじりを括り付けただけの原始的な槍であった。

 それを3本担いで、扉を閉める。


「で?そいつは今どの辺にいる?」

「最後に見たのが滝壺の東辺りだ。時間はあまり経ってないからそう遠くへは……」

「しっ……!」


 男の纏う空気が突如変わった。

 張り詰めた緊張感が感覚を鋭利にする。

 ボコの耳がピクリと動き、近付いてくる音を聞き取った。

 獣人コボルドの嗅覚や聴覚は、人間のそれよりも遥かに優れている。木々を薙ぎ倒しながら、巨大な何かが猛烈な勢いでこっちに向かっているのを感知した。

 しかしどういったことか、男はボコよりも早くその気配を感じ取っていた。

 男は腕捲りし、槍を構える。その左腕には絡み合う炎のような紋章が浮かび、微かに光を放っている。


「アイツ、オイラを追って来たんだ……!ごめんよ旦那、オイラのせいで……!」

「ボコ、下がってろ」


 ボコは頷き、邪魔にならないよう遠くへ離れた。

 男は森の一点を見つめ、神経を尖らせる。

 木が倒れ、大地が踏みしめられる音が徐々に大きくなってくる。屋根の上で囀っていた小鳥たちが、本能的に危険を感じ飛び立った。

 足音に呼応するかのように、腕の紋章の光が強くなっていく。

 そして、光が一際強くなった瞬間、それは姿を現した。

 木を薙ぎ倒し、男の身の丈の倍はあろうかという魔猪が躍り出る。

 左目から血を流し、怒り狂ったいななきを上げる。おそらく、ボコ達が狩りの際に片目を潰したのだろう。

 魔猪は男目掛けて一直線に突っ込んでいく。


「……力の赫Mkdihfta


 男がボソリと何かを呟く。

 次の瞬間、空気を裂く凄まじい音が轟き、森中の鳥が飛び立った。

 魔猪の突進は突如その勢いを失い、二歩、三歩と歩き、そして力なく倒れ伏した。

 倒れた魔猪の右目から尻尾にかけて、一直線の穴が開いている。

 それは、男の投擲した槍が通過した跡であった。


「……1本で十分だったか。俺もまだまだ捨てたもんじゃねえな」


 男はホッと息を吐いて使わなかった槍を放り投げ、袖を戻す。

 紋章からは既に光が消えていた。


「すごいや!さすが旦那だ!」


 ボコが尻尾を振りながら駆け寄ってきて、男の周りをピョコピョコと跳ね回る。


「あんなでっかい魔猪を一撃なんて……さすが、ゆうあいで!」


 ボコの頭を男が小突いた。その眉間には皺が寄っている。


「おい、それは言うなっていつも言ってんだろ」

「も、申し訳ねえ、オイラ、迷惑かけてばっかりで……」


 ボコの尻尾は垂れ下がり、目に見えて気を落としていた。

 男は溜息を吐くと、しゃがんでボコと視線を合わせる。


「……ボブとボズの、ケガの具合は?」

「え……?そんなに重くはないかな。2、3日寝てれば治ると思う」

「よし、だったらこうしよう。二人の傷が治ったら、お前達3人で北の方で木の実を集めてきてくれ。あの赤くてちっこいやつな。あれが生えてるところは俺の足じゃちと遠いし、何より探すのに骨が折れる。それを、そうだな……カゴ一杯もあればいい。それで、お前らが無茶やらかしたことに関しては忘れよう」

「ホ、ホントウですかい!?」


 ボコの尻尾がピンと立ち、元気が戻ったのが見て取れた。

 男は微かに微笑み、髭を撫でる。


「ああ、本当だ」

「ま、まかせて!オイラ、いやオイラ達、木の実いっぱい取って来るよ!きっと旦那の役に立つよ!」

「よーし、その意気だ。さてと、それじゃあ二人にはケガをしっかり治してもらわないとな。その為にはたっぷりと栄養を摂る必要がある」


 男は落ちてる槍を拾い上げ鏃を外すと、魔猪の横へ片膝をついた。

 そして、鏃を魔猪の腹に突き刺し、肉を切り取る。

 血の滴る真っ赤な肉の塊が、魔猪の太い骨から外れた。


「ほれ、持ってけ」


 男はそれをボコへと投げ渡した。

 受け取ったボコはバランスを崩し、転びそうになるのをなんとか堪える。


「ダ、ダメだよ、受け取れないよ!これは旦那の狩った獲物じゃないか!」


 肉の重さによろけながら、ボコは肉塊を返そうとする。

 だが男は首を振った。


「いや、持って帰ってくれ。こんなでけえ肉、俺一人で食い切る前に腐らせちまうよ。それはもったいねえだろ?お前らは数がいるからあっという間かもしれねえが、こっちは一人なんだ」

「でも……!」

「それによ、俺は見逃さなかったぞ、こいつの片目、お前らが潰したんだろ?だったら半分はお前達の戦果だ。俺の独り占めは出来ねえ」

「だ、旦那……!」


 ボコは感激し、瞳を潤ませている。

 男は立ち上がり、鏃についた血を掃う。


「さ、もう帰んな。お前らはそのままでもかぶりつけるかもしれねえが、人間おれたちの舌はわがままでな。このデカブツの下処理をしねえといけねえんだ」

「わかったよ旦那!俺達、山盛りの木の実を取って来るから、楽しみにしてておくれよ!」

「はは、ま、期待しておくさ」


 ボコは肉塊を背に担ぎ、えっちらおっちらと帰っていく。

 男は満足した表情でその背中を見送っていた。


「あ、そうだ!の旦那!」


 ボコが振り向き、声を張り上げた。


「今日は大雨が降る匂いがするぜ!畑の水やりは要らないかも!」

「……マジかよ」


 獣人コボルドの天気予想はほぼ確実に当たる。湿気を感じ取る力が人のそれとは違うのだ。

 男は横たわる肉塊を見て、頭が痛くなった。倉庫どころか、小屋にも入りそうにない。

 つまり、雨が降り出すまでにこの肉塊の下処理を済ませなければならないということだ。


「先に言ってくれたら、全部くれてやったのによ……」


 男は苦笑し、道具を取りに小屋へと向かった。





 この、森の中でのんびりと暮らす髭面の独身男が、かつて世界を救った勇者アステルだと言っても、誰も信じないだろう。




 ──────────────────────────────────────


 ボコの言った通り、夜になって大雨が降って来た。

 幸いにも降り始めるまでに魔猪肉の下処理は最低限終わり、雨に打たれてダメになる肉は一つも無かった。骨と臓物は外に放置したままだが、廃棄作業は明日にするとしよう。

 アステルは長い息を吐いて暖炉の前の椅子に座る。

 暖炉の中で、僅かに入れたまきが爆ぜた。

 弱弱しい火を見ていると、自然と瞼が重くなってくる。ベッドで寝た方が体にいいとは分かっているのだが、睡魔がこのまま寝た方が心地良いと囁いてくる。

 久しぶりに魔法を使ったからかいつもより疲労が大きい。ベッドまで3歩も無いのに、蜃気楼のように遠く感じる。

 あのようなサイズと凶暴性を持つ魔物を相手にしたのは久しぶりだった。


(それにしても、あんな魔物がまだいたとはな。王国軍がとっくに殲滅したと思っていたが……。生き残りが他所の地から追われてきたのか?)


 魔王を討って以降、世界中の魔族は日に日に弱まっていった。おそらく魔王には魔族の力を強め、凶暴にする能力があったのだろう。

 この森に来た当初はまだその影響が強く残っていて、多くの魔物を見かけたものだが、ここ数年は獣人コボルド以外の魔族は見ていなかった。

 最も、アステル自身はこの森にずっと籠っているので、王国軍が魔族の殲滅をやっているかどうかは憶測でしかない。だが、魔王の恐怖と支配から解き放たれた人類がそれをやらない理由が見当たらなかった。

 支配欲と残虐性と狡猾さにおいて、人間のそれは魔族を遥かに凌駕する。

 自分達よりも力の強かったものが弱ってると見るや、囲んで叩いて笑いあうのが、人間という生き物だ。

 そしてその残虐性の矛先を、同族に向けることにだって躊躇しない。

 人間に比べれば、獣人コボルド達の方がはるかに理性的だ。


(まあ、アイツらはアイツらで結構アホではあるがな)


 あの毛むくじゃらの小さな生き物は、仲間想いで純粋なのがいい所だが、物覚えが悪くさらに物忘れも激しい。

 身体に染み付いた痛みや経験は本能的に覚えるのだが、口で言い聞かせたことはすぐに忘れてしまう。今日みたいな無茶はもうしなくなるだろうが、木の実のことは明日まで覚えているか怪しい。

 しかしその性質故だろうか。魔王を討ったすぐその後、隠れ家として目星をつけていたこの森に来たのだが、その頃にはもう魔王の毒気が彼らから抜け去っていた。

 そのせいでまだ魔王の影響下にあった他の魔物たちよりも力も弱く、イジメの的になっていた。

 ある日、群れが大型の魔物に襲われているところを偶然自分が助け、それ以来ずっと懐かれている。

 最初は少し鬱陶しかったが、今では良い隣人として共に暮らしている。

 彼らは純粋で、何より裏表が無い。それが人間と違ってよい所だ。


(人間と違って、な……)


 そんなことを考えながら、アステルは微睡まどろみの中へと落ちていった。


 久しぶりに魔法を使ったからか、肉体が昔の記憶を呼び起こしてくる。

 それは、川の水が下から上へ遡っていくかのように、過去へ向かって逆流していく。

 魔王が最期に呪詛を投げ掛けてくる。仲間達が恐れた目で俺を見てくる。下卑た笑みを浮かべた商人が手揉みしすり寄ってくる。王様が何か偉そうなことを言っている。その横で3人の娘が値踏みするかのようにこっちを見ている。師匠が俺をぶん殴る。そして……女の子が、泣きながら手を振っている。


 その瞬間、悪寒がして目が覚めた。

 袖を捲り紋章を見る。紋章は静かに灰色に沈んでいた。暖炉の火はもう消え、強くなった雨の音だけが耳に届く。

 ホッとして袖を戻し、椅子に深く沈みこんだ。


「……やっぱりベッドじゃなきゃダメか。昔は石畳だろうが沼地だろうが、どこでも寝れたんだがな」


 妙な夢と悪寒は、疲れているのに椅子で眠ったからだろう。そう思い込むことにした。

 首をボキボキと鳴らし、改めてベッドで寝るために立ち上ろうとしたその時、誰かが小屋の戸を叩いた。

 一瞬にして警戒態勢に移行する。

 来客なんて滅多にない事だった。この辺境の森は開発されておらず、地理的にも物産的にも大きな価値がなく、また魔物も多いと言われていた。そのため、昔から滅多に人が訪れない。

 森で迷った旅人が訪ねてきたことが何度かあったが、それも数年に1回とかの頻度で、最後に人が訪れたのも5年前だった。

 もしかして、王都の追手がついにここに辿り着いたのかもしれない。いや、魔王の配下が俺に復讐しに来たのかも。

 さっき見た夢のせいか、嫌な想定ばかり頭に浮かんでくる。

 火掻き棒を手に取り、ゆっくりとドアの側まで移動する。


「……誰だ?」


 低い声でそう尋ねる。しかし、


「オイラです。ボコです」

「なんだよボコかよ」


 聞き慣れた間抜けな声が聞こえてきて、思わず気が抜けてしまった。

 安心しきっていまい、ドアを開ける。


「どうした、こんな夜更け、に……」


 そこには確かにずぶ濡れのボコが立っていた。毛が雨水を含み、いつもより一回りぐらい小さくなっている。

 しかし、もはやそんなことはどうでもよかった。ボコが背負っているものに目が釘付けになってしまい、言葉が出て来ない。

 雨に濡れた短い金色の髪、泥だらけの服、スラリと伸びた手足は地肌が露出し、白い肌が雨粒を弾く。

 人間の、女。

 ボコの背には人間の女が背負われていた。


「お……お前、な、な、なん、なん、な……」


 アステルは混乱していた。

 それもそのはず。ただでさえ人間との関りを断っているのに、それを予想外のタイミングで、予想外の人物からもたらされたのだから。

 しかし、ボコはそんなことを理解しているはずもなく続ける。その顔はアステルとは対照的に非常に深刻であった。


「森の中で倒れていました。それからもう一つ……森の中で、何か沢山動いています」

「……何?」


 ボコのその一言で頭に冷や水か掛けられたかのように、アステルの頭は冷静さを取り戻す。

 ボコを一旦小屋の中に入れ、話しを詳しく聞くことにした。

 暖炉に薪を入れて火を着け、ベッドをその前に動かし、女を寝かせる。

 その白い肌にはあちこちに傷がついていた。

 この女のことは気になるが、恐らくボコはさっき言った以上の情報を持ち合わせてはいないだろう。今気になるのはもう一つの方だ。


「ボコ、さっき言ってた沢山動いてるってのは、何だ?」

「ボズ達の薬草が足りなくなったから、オイラちょっとだけ外に出たんです。そしたら、灯りを持った人影がいっぱい見えて……旦那に伝えなきゃと思って、ここに来る途中で、その人間を拾ったんです」


 二人は女の方を見た。

 ベッドの上で寝苦しそうにしている。

 服は動きやすさを重視した物のようだが、その姿はどことなく気品を感じる。

 どうにも嫌な予感がしてたまらない。これはもしかすると、とんでもなく面倒なことになってしまったかもしれないぞ。


「……で、人影の方だが、そいつらは人間か?人型の魔族とは違うのか?」

「申し訳ねえ、皆顔が見えなくて、この雨のせいで匂いもわかんなくて……。でも声は聞こえた!あの声は人間だと思う!何て言っていたかは聞き取れなかったけど……」

「そうか……。わかった、伝えてくれてありがとなボコ。お前は連中に見つからねえようウチに帰って、仲間にそのことを伝えろ。そして大人しく隠れてるんだ。何かあっても無理せず、バラバラに逃げろ。それから……ほれ、薬草だ。持って帰りな」


 とにかく何もかもがきな臭い。万が一のことを考えて、ボコがまた探しに行ったりしないように薬草を渡しておく。

 ボコは感激し、瞳を潤ませながら何度もお礼を言う。いつまで経っても帰らないので、もういいからと無理矢理帰らせた。


「さてと……」


 アステルはベッドに近づく。

 女は寝苦しそうにうなされていた。

 暖炉の前で寝かせてはいるが、その髪も服も濡れていて泥だらけだ。不快感を感じるのも無理は無い。しかし、見知らぬ女の服を脱がせる勇気は彼にはなかった。


「ぐ、うう……」


 女の眉間には皺が寄り、端正な顔が歪んでいた。

 ここまでうなされているのを見ると、流石に服ぐらい脱がせた方がいい気がしてくる。濡れた服というのはただ体温を奪うだけでなく、衛生的にもよくない。

 彼女の素性がどうあれ、苦しんでいる人を放っておくのは気分が良くなかった。


「……くそっ、勘弁してくれよ……」


 アステルは毛布を剥ぎ、ナイフを持つ。

 そして大きく深呼吸をし、女のシャツを裂こうと生地に触れた。

 その瞬間、


「う、ううん……、だ、誰……?」


 女が目を覚まし、翠色の瞳がこちらを捉えた。

 アステルの思考は停止し、その動きを止めてしまう。それがいけなかった。

 彼の動きが止まっている間に女は情報を次々と取得していく。

 髭面の男、その手にナイフ、視線は自分、ベッドの上。

 それだけあれば、次にとる行動は自ずと決まっていた。


「……っ!!!!」

「ぐほお!?」


 女は脚を思いっ切り蹴り上げて、アステルの顔に強烈な一撃を叩きこむ。

 反応が間に合わなかったアステルはその一撃をもろに喰らい、背中から倒れ込んだ。

 女はアステルが手放したナイフを空中で拾うと、迷いなくその切っ先を喉に目掛けて振り下ろす。

 しかし、寸でのところでアステルが彼女の腕を掴み、何とか惨劇は免れた。


「どわあああ!ちょっと待て誤解だ誤解!話を聞いてくれ!」

「この外道が……!貴様と話すことなど無い……!」


 女は力を決して緩めることなく、その切っ先はまだ震えている。

 少しでも気を抜けば、たちまち喉を突き破られるだろう。

 なんとかして彼女を落ち着かせなければならない。

 しかしアステルは、こんな時に場を和ませる話術も気の利いたジョークも持ち合わせていなかった。

 何せ、15年もまともに人と会話していないのだから当然である。

 だからとにかく、本当のことを正直に言い続けるしかなかった。


「本当なんだ!森で倒れていたアンタを知り合いの獣人コボルドが拾って、ここに連れて来たんだ!服が濡れてたから脱がせようとしただけなんだって!」


 しかし、正直に全てを話したからと言って必ず信じてもらえるわけではない。時には嘘を交えたり、不都合な部分を隠したりして信用を得るのも会話のテクニックの一つだ。

 今回の場合は、獣人コボルドの部分が余計だった。

 そして、いかにもな髭面も彼女の不安を駆り立てる材料となっていた。


「誰が信じるかそんな話!私の体に下卑た欲望を叩きつけるつもりだったんだろう!?汚らわしい帝国の手先め!」

「誤解だって言ってんだろ!大体帝国って何だよ人違いだ!」


 女の目は未だ怒りに燃え、腕に込められた力が緩む様子はない。恐らく、俺を殺すまでこうしているつもりなのだろう。

 生憎体力でこちらが負けることはなさそうだが、いつまでもこんなことをしているわけにもいかない。

 さて、どうしたものかと考えあぐねていると、木を叩くような音が三度鳴り響いた。

 何者かが、ドアを、ノックした。


「……」

「……」


 女は途端に静かになり、腕の力が緩む。

 小屋の戸を見つめるその瞳からさっきまでの怒りが翳り、絶望と諦観が浮かんでいた。


「……ベッドに隠れてろ」

「え……?」

「早く……!」


 アステルは女を軽々と退かすと、ドアの側に立った。


「はーい、どちら様で?」

「……帝国軍第47師団団長、ミハエル大尉である。ドアを開けていただきたい」

(帝国……?あの女もそんなことを言っていたな)


 聞き覚えの無い単語だった。国と言えるものはこの大陸には今は王国ぐらいしかない。魔王がいた頃は魔族共栄圏なんてものもあったが、魔王亡き今はとっくに滅びているはずだ。

 チラリと女の方に目を向ける。ちょうどベッドに潜り込み、毛布を被ったところだった。

 頭まで隠れていることを確認し、そっとドアを開ける。

 雨避け用のコートで全身を包んだ5人の男が、そこに立っていた。

 全員フードを目深に被り、表情がよく見えない。紋章が反応しないので、人間ではあるようだ。

 彼らが恐らく、ボコの言っていた者達だろう。沢山と言っていたから、今目の前にいる5人で全部ではないかもしれない。


「どうなさいました?こんな雨の夜更けに」

「……いやー、次の駐屯地への移動の途中だったのですが、御覧の通り雨に降られてしまいまして、どこか雨宿りできるところを探していたのです。ご主人、よろしければ少し屋根を貸してもらえませんかな?」


 一番前にいる男が、人当たりの良さそうな笑顔でそう言った。温和そうな笑顔と、優しそうな声色、この男はミハエルというらしい。

 だが、アステルは見逃さなかった。この男、会話の前に隙間から一瞬だけ小屋の中を覗いていた。恐らく、部屋の中の泥やベッドの配置がおかしいことに気付いているだろう。

 それでいて強引に入ってこようとせず、あくまで人の善意を引き出すやり口……。

 こいつは手強い、と確信を持つ。


「……すいやせん、生憎うちは御覧の通り、小さなぼろ小屋でして、皆さんの様な方々を泊めるなんてとてもとても……」

「はっはっは、そう謙遜なさらなくて結構。屋根があればそれだけで十分なのですよ。それに1時間も滞在しません。雨が上がるか、仕事が終わるかすればすぐに出て行きます」

「へえ、しかしですね……」


 その瞬間、銃声が轟いた。ミハエルのコートの隙間から白い煙が立ち上る。

 彼が空に向けて銃を撃ったのだ。


「……ごちゃごちゃうるせーぞ、いいから上げろっつってんだ。邪魔するなら帝国の敵とみなすぞ」


 ミハエルの態度が豹変する。さっきまでの紳士的な口調とは打って変わって、チンピラの様な喋り方だ。

 よくある手口だ。最初は優しく接して、上手くいきそうにないと見るや強い態度で相手をひるませる。王宮の宰相殿がよく使っていたっけ。少し懐かしい気持ちになった。


「……失礼した。しかし、あまり協力的でないのはよくなね。我々は栄えあるレグルナ帝国軍なのだ。それに協力的でないというのは、この国家に反逆してるも同じ。……ここまで言えば、どうすればいいかわかるね?我々も、手荒な真似はしたくないんだよ」


 ミハエルの口調は紳士的なものに戻っている。しかし、こちらを見下す高慢な精神性が今度は溢れていた。

 その態度が、アステルの癪に障った。


(ああ、そうだ。俺はこういう奴らが嫌で、ここに居るんだったな)


 久しく思い出すこの感覚。

 人間特有の醜く、どうしようもない品性。

 アステルは意地でもこいつらを中に入れないと決めた。

 しかし、


「……もういい、そいつは関係ない」


 後ろで声がして振り返る。

 女がベッドから出て、泥と傷に塗れた姿を晒していた。


「そいつはただ成り行きで私を助けただけだ。事情は何も知らない。それよりも、お前達の目的は私だろう?」

「アンタ、何で……」

「……さっきはすまなかった。貴方がそいつらの仲間だと勘違いしていた。どうやらら貴方は、本当に私を助けてくれたんだな、……そんな人に、これ以上迷惑は掛けれない」


 女はそう言って両手を差し出す。

 憂いを帯びた笑みが、もう何もかもを諦めきっているように見えた。


「……さっさと連れて行け。ただし、この方には何もしないと約束しろ」

「ふむ……いいでしょう。我々の目的は始めからあなただけです。血を流さなくて済むなら、それに越したことはない」


 ミハエルが合図し、後ろの男達が前に出る。我先にと、小屋の中に入ろうとする。

 だが、誰も入ることができなかった。ドアが動かないのだ。

 アステルが、ガッチリとドアを掴んでいた。


「……何をしているのです?さっさと入りなさい」

「こ、この男、すごい力です!ビクともしません!」

「何ですって……?」


 大人の男が、それも4人がかりでドアを押しているがピクリとも動かない。

 アステルは僅かに開いたドアの隙間から帝国軍を名乗る男達を睨みつける。


「貴方、一体何を考えてるんだ!帝国軍に逆らったらどうなるか、知らないのか!?」


 女が悲痛な声で叫ぶが、知ったことではない。

 そもそも帝国軍なんか今日初めて名前を聞いたぐらいだ。どうなるかなんて知るわけないだろう。


「自分が何をしているのか分かっているのですか?さっさと開けなさい」

「うるせえな。この家の主は俺だ!俺が入っていいと言ってねえのに、勝手に入ろうとしてんじゃねえ!帝国軍人って奴は、そんな常識も知らねえのか!」

「なっ……!?」


 思わぬ反撃を受け、ミハエルは顔を真っ赤にして震える。

 ああ、やってしまった。どんな相手であれ、人を怒らせると碌なことにならない。

 それを知っているのに、ついムキになってしまった。


「……発砲を許可する!帝国に仇なす者共だ、殺して構わん!」


 軍人達はドアから離れ、一斉に銃を構えた。


「ダメ!やめて……!」


女が手を伸ばし、止めようとする。

ミハエルは手を振り上げ、発砲の号令を掛けようとしていた。


疾きの白Srmopwnd

「撃……っ!!!???」


 しかし、号令を出し終えるその直前、ミハエルの体は後方へと吹き飛んだ。

 そして後頭部から泥の中へ突っ込み、気を失った。

 軍人たちは何が起きたのか理解できず、ミハエルが立っていた位置を見る。

 そこには、拳を突き出したアステルがいた。


「一日に二回も魔法を使うなんて、とんだ厄日だな」


 拳をほどき、ぶらぶらと手を振る。

 アステルが使える4つの魔法の一つ、疾きの白Srmopwnd

 その効果は実に単純明快なもの、自身の高速化。

 ドアから一瞬でミハエルの元まで移動し、その勢いのままパンチをした。

 ただそれだけである。

 この魔法自体はさほど珍しいものではない。才能があるなら子供でも使える初歩的なものだ。

 しかし、


「魔法だ……!こいつ、魔法を使ったぞ!」

「異端者だ!撃て!撃ち殺せ!」


 軍人たちはまるで蜂の巣をつついたかのように慌てだした。

 周囲の森から一斉に光が溢れる。予想通り、伏兵がいたようだ。

 軍人達はアステルに銃を向け、躊躇いなく発砲する。

 しかし、その弾丸は1発も当たらない。

 疾きの白Srmopwndで高速化したものにとって、銃弾を避けることは羽虫を避けることよりも容易なことであった。


(先に潰したいのは魔法を使う奴だが……)


 アステルは高速で移動しながら、注意深く敵を観察する。

 戦いの場において、最も警戒すべきものはナイフや銃を持った最前線の兵士ではない。その後ろで様々な魔法を使う魔法士ウィザードだ。

 味方の強化や敵の弱体化を操る魔法士ウィザードを放置しておくと、必ず厄介なことになる。だから真っ先に潰すべきなのだが……


(……?魔力の動きが無い?まさか、これだけいて魔法士ウィザードが一人もいないのか?)


 いくらなんでも楽観的過ぎるとも思ったが、敵の動きや魔力の流れを見ると、そうとしか思えない。

 だとしたら楽勝だ。

 使


「がっ……!」

「ぐう……!?」


 次々と軍人達を無力化していき、あっという間に立っている者の数は僅かになった。

 その立っている者達も、銃口を降ろし震えるばかりで完全に戦意を喪失している。


「ふう~……、さすがに疲れたぜ。もういいだろ、なあ?」


 アステルは近くにいた軍人の一人にそう尋ねる。

 兵士はブルブルと震えるばかりで返事をしない。


「こんだけ残ってれば、今倒れてる奴らを担いで帰れるだろ?それとも……皆、畑の肥料になるかああぁぁ!?」

「ひ、ひいいいいい!?!?化け物おおおおおお!!!」


 残った軍人達は仲間を担ぐと、一目散に退散していった。

 流石に軍人というだけあって、撤退の手際は見事なものだ。


「……化け物、か」


 雨に打たれながら、アステルは独りごちる。

 そうだ、所詮俺は化け物だ。魔王の言っていたことは正しかった。

 こんな化け物が、人の中で生きていける訳が無い。だったら俺の判断は、何も間違いではなかったということだ。

 フッと自嘲気味に笑い、小屋へと戻ろうとする。


「大丈夫ですか!」


 いつの間にか、あの女が小屋の外へ出ていた。

 雨に濡れるにもかかわらず、駆け寄ってくる。


「お怪我は?何故、このような無茶を!貴方は私の素性を知らないどころか、私は貴方を殺そうとしたというのに……!」

「……俺はただ、ムカつく奴らをぶっ飛ばしただけだ」

「そんな……それで帝国を敵に回すなんてことを……」


 どことなく、口調が変わっている気がする。さっき目覚めたばかりの時は、戦士の様な気迫を感じたが、今はまったく感じない。

 潤んだ瞳が見上げてきて、思わず目を背けてしまう。

 その姿は、戦士というよりまるで……。


「……その腕は?」

「……ん?」


 女の視線がアステルの左腕に向く。

 高速移動中に木の枝に引っ掛かったのだろうか、シャツの袖が破けて紋章が露わになっていた。


「あ、ああ、これは昔からある傷でな、気にするほどのことじゃない」


 とっさに左腕を隠そうとするが、女は素早く動き、その腕を掴む。

 そして顔を近付け、まじまじと観察される。


「あー……そんなに見られるとさすがに恥ずかしいんだが……」


 勇者バレすることは怖かったが、この紋章を目にしたことがある人間は限られた数しかいないためそこは大した心配はない。

 それよりも、女性に腕を掴まれて見られているという事実に気恥ずかしくなっていた。

 だが、女はここで予想にもしなかった行動を取る。突然膝をついたかと思うと、その目から大粒の涙を零しだしたのだ。


「お、おい、何で泣いて……!」

「ずっと、お会いしとうございました……!勇者アステル様……!」


『勇者』

 その言葉でゾッとして腕を引っ込めようとしたが、もう遅い。女はその細身のどこにあるのかという力でアステルの腕を掴み、放さなかった。


「ゆ、勇者?何のことだ?俺はただの森の木こりで……」

「私を……」


 必死に誤魔化そうとするが、女の口から放たれた言葉で、すぐさまそれが無意味と知ることになる。


「私を、覚えてはいらっしゃいませんか?名はフロリア・シェウス=セロギネス。ダリウス王の三女、フロリアです」


 瞬間、アステルの脳裏に浮かぶ古い記憶。

 王様が何か偉そうなことを言ってる横で、こちらを値踏みするかのように見ていた三姉妹。その末妹、フロリア。

 記憶の中の幼い少女と、目の前の美しい女が、ダブって見えて



 この日この瞬間、アステル・ゴーントの15年間に及ぶ休暇が、終わりを告げた。

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