2-3 研究所/仕事

「急ぐ必要はない。ゆっくり考えればいい」


 そう言いながら恵茉はコーヒーを一口。山崎も微笑みながら頷き、律はどうでも良さそうにベーコンエッグを咀嚼している。


「それよりも和真くんには場数を踏んでもらいたい」

「場数?」


 予想外の話に和真だけでなく恵茉以外の人間が不審そうな顔をした。感情が良くも悪くもハッキリ顔に出る満と律は何いってんだコイツという顔をしている。


「和真くんの立場は今微妙なものなんだよ。安定すれば注意患者に収まり、一般人に混ざって生活できる可能性があるが、人を広範囲で眠らせるという能力は異能局からすれば仲間に引き入れたいものだ」

「なるほど。本人の意志が重要ってことか」


 視線を向けると和真は戸惑った顔をしていた。異能局がどういうところか知っている他のものは納得という顔をしているが、最近まで一般人だった和真には理解できないらしい。


「異能局は万年人手不足。有用な能力を持ってる患者を仲間に引き入れたいと常に狙ってる。関わりたくないなら関わりたくないって意思を強く持ってないと、気づいたら契約書類にサインしてた。なんて状況になるかも」


 フォーク片手ににっこり笑う満と対称的に和真の表情はどんどん青くなる。気が弱い性格から考えて強引な手段に出られたら拒否するのは難しそうだ。


「僕は……異能局なんて……」

「そう思うならキッパリ断れるように場数を踏んだ方がいい。漠然と嫌ですって言っても向こうは納得してくれない」

「向こうも必死だからな」

「何回満くんに断られてもめげない精神力の持ち主たちだしね」


 食事を終え、コーヒーを啜る律と湯呑みを両手で持ってほんわかしている山崎。二人からの追い打ちに和真の顔色はますます悪くなった。


「和真くんが嫌と言うなら私の方で止めるからそこは安心していいが、いつまでも私が止められるわけではない。ここを離れて新たな人生を歩む気なら保護観察官は別の人に変わってもらわないといけなくなる」


 恵茉の言葉に和真は目を瞬かせた。


「私は護衛及び研究協力をしてくれるという条件で患者の保護観察を受け入れている。和真くんは肉体と精神が不安定だから経過観察も兼ねて私が担当となったが、改善が見込まれたら他の監察官に任せることになる」

「ってことは、ずっとここにいるわけじゃないのか」


 満が残念そうな顔で和真を見た。久しぶりの後輩だ。希としても残念な気持ちはあるが、一般人に紛れられるならばその方がいいのだろう。本人の性格的にも荒事には向いているとは思えない。


「信頼できる監察官に引き継ぐと約束するが、君自身が気をつけなければどうにもできない事も多い。君は普通の人間ではなくなってしまった。それを自覚し、己と向き合い、今後の人生について考える必要がある」


 恵茉は和真を見つめてそう言った。静かで淡々とした口調ではあったが、目をそらすことは許さないという圧を感じる。和真は自信なさげに眉を下げた。瞳は不安定に揺れている。


「といってもいきなり決めろと言われても困るだろう。だから場数。これから希と満について回って仕事を手伝いつつ、様々な患者の症例を見て、それから決めればいい」


 続いた恵茉の言葉に下を向いていた和真は顔を上げた。まさに予想外という顔だ。希も恵茉の言葉は想像していなかったものなので目をパチパチと瞬かせた。


「和真、俺達の仕事についてくんの?」


 満が目を輝かせる。ブンブンと振られた見えないしっぽは後輩が出来ることを歓迎している。そういえば自分が満と行動を共にし始めた直後もこんな感じであった。満にとって後輩は何人できても嬉しいものらしい。


「まだ和真くんは自分のディザイアーにも慣れてないだろう。大丈夫かい?」


 山崎が心配そうな顔で固まる和真と恵茉を交互に見た。無言の律も片眉を釣り上げていることから反対側だとわかる。


「いきなり危険な仕事は任せないよ。今回の依頼は相談を聞いてくるだけだ。患者と接触できるならしてきてほしいが、無理そうなら刺激しないことを優先してくれ」


 恵茉はそういいながらコーヒーを一口啜る。のんびりした雰囲気から考えて緊急性はなさそうだ。だからこそ和真も共にといったのだろうが、どういう状況なのかがよく分からない。


「危険性のない異能なのか?」

「危険性は一切ない。しかしながら厄介だ」


 恵茉はそういうとコーヒーカップをテーブルの上に置き、周囲をぐるりと見渡した。


「これから満、希、和真くんの三人に確認してもらう患者は中学二年生。現在引きこもり。目覚めた能力は透明化」

「透明化?」


 希の確認を込めた問いかけに恵茉は頷いた。


「相談主である母親の話だといる気配はするし、物音も聞こえる。食事だって食べている。ただ、姿が見えないとのことだ」

「透明人間ってやつか」


 満は楽しそうにそう言ったが母親からすれば笑える状況ではないだろう。


「最初は異能局に相談したようだが、自宅に訪問しても姿どころか声すら聞かせてくれなかったらしい。お手上げだとこちらに回ってきた」

「異能局の奴ら脳筋だからな」


 律はそういいつつもこの件に興味をひかれているようで食事を終えたというのに立ち上がらず、じっと恵茉の言葉を聞いている。山崎も同じく湯呑みをすすりながら話を聞く体勢だ。


「透明……他人から見えなくなりたいって願望か……。一体どういうストレスで発症したんだ?」


 満が首を傾げながら問いかけた。恵茉は頭が痛いという様子で額に手を当て頭を左右にふる。


「いじめだそうだ」

「……うわぁ……まだやってる奴らいるんだ」


 心底引いたという満の声に希は深く頷いた。ブラック企業と同じく、発症者を抑えたい国が頭を悩ませる問題、それがいじめである。場所は学校に限らず会社やら地域やら、複数人のグループが出来上がるとどこかしらで発生する。ストレスで発症する異能の恐ろしさをいくら説いてもそれらはなくならない。


 和真を見れば先程よりも険しい表情で両手を握りしめていた。年齢や環境は違うが、異能症を発症するほど他人に虐げられたという状況は同じ。他人を虐げるのではなく己を護る異能に目覚めたのも同じだ。

 だからこそ恵茉は和真に今回の調査に同行するように言ったのだろう。和真が今後を考える切っ掛けになるだけでなく、引きこもっているという中学生が前を向く切っ掛けにもなるかもしれない。


「和真、いけるか?」


 希の問いに和真は頷いた。今までよりもハッキリとした意思が見える。和真が何を考えているのか希にはわからなかったが、恵茉ならば良い傾向というのだろう。

 

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