2-2 研究所/名前

 朝食の準備を進めている間に起きてるんだか寝てるのかわからないゾンビ二人が朝食の匂いに釣られてキッチンに現れ、最後に八割型寝ている恵茉がふらふらした足取りで顔を出した。

 その頃には朝食は完成しており、ベーコンエッグとカリカリに焼いた食パン、淹れたてコーヒーの匂いが部屋に満ちていた。それに反応するように恵茉のお腹がぐうっとなく。


 食欲で若干目が覚めたらしい恵茉はいそいそと定位置につくと両手を合わせていただきますと挨拶。準備をしていた希以外はすでに席に座って食べ始めている。先に食べていいのかと希に気を使ってくれたのは和真だけで満に至っては二枚目の食パンにいちごのジャムをこれでもかと塗りたくっているところだった。

 自分の分をもって希は定位置である満の隣に腰を下ろす。パンにかぶりつき、淹れたてのコーヒーを口にすると今日も良い仕事をしたと自分を褒めたい気持ちになった。


「和真くんおはよう」


 空っぽの胃に食べ物を入れ、喉を潤したところでやっと和真の存在に気づいた恵茉が挨拶した。恵茉の発言を聞いて山崎と律も顔を上げ、今気づいたという反応を見せる。寝ぼけているにもほどがある。


「ごめんな、和真さん。コイツら寝起き悪すぎて本能で動いてるから」


 存在に気づかれていなかった事実に悲しそうな顔をする和真にフォローを入れる。決して和真の空気が薄いからではない。街を歩くだけで視線をこれてもかとかき集める満でさえ、寝起きの奴らは視界から消し去る。朝食しか認識していないのだ。もちろん、作った希の存在も思考の外に追いやられている。人のことを自動朝食製造機とでも思っているのだろうか。


「和真くん、どうだい? 少しはここにもなれたかね?」


 食べたことで完全に目が覚めたらしく、コーヒー片手に優雅に恵茉は問いかけた。大人の余裕みたいなものを醸し出しているが髪はボサボサだし、服装は着古してだるだるのワンピース型パジャマだし、見た目は中学生。何もかもが残念である。男所帯で唯一の女性だというのに男性陣から恋愛的興味は一切向けられていないのがなによりの証拠だ。みんな恵茉よりもご飯の方に興味がある。


「あぁ……まあ……それなりに」


 和真の返答はなんとも煮え切らない。それも無理はないだろう。ここに来て数日だ。その数日の間に恵茉を含めた研究員の生活能力のなさはよく分かっただろうし、満は顔だけで中身が小学生だと理解しただろう。本音を素直に言うのであれば「俺、来る場所まちがえた?」に違いない。それを口に出さないだけ和真は良い子だなと希は自分の皿にのっていたウィンナーを一つ分けてあげた。和真に意図は全く伝わらなかったらしく、意味が分からないという顔をされた。


「ディザイアーの様子はどうだ? 勝手に飛び出したりしないか?」

「えっ、大人しくしてると思いますけど……」


 そう言いながら不安になったのか和真は自分の胸の辺りに手を置いた。

 恵茉は美味しそうにパンを頬張っている満に視線を向ける。一応話は聞いていたらしく最後のひとかけらを口にほうりこみ、手についたジャムをお行儀悪くなめとった満は笑う。


「寝てるんじゃないかな。動いてる気配が全くしない」

「眠りたいって願望から発現したディザイアーだし、寝るのが好きなんじゃないか」


 なんとなく思ったことを口にしたが恵茉を含めた研究員は納得という顔をした。和真だけは「そんな単純なことなんですか?」と戸惑った反応を見せる。


「満はディザイアーの気配に敏感だからな、その満が動いた気配がないと言っているなら和真くんの中で大人しくしていたということだ。穏やかな性格のようだな。他者に対する攻撃意識も低いようだし、制御さえきちんと出来るようになれば重患者から、注意患者くらいに収まるかもしれない」

「評価ってかわるんですか」


 恵茉の言葉に和真は驚いた顔をした。異能症と関係ない一般人は患者の分類すら知らず、一括りに異能者は恐ろしいと認識している。実際は他人には一切効果を発揮しない無害な異能も多く、そういった患者は異能症であることを周囲に隠して生活している。

 そういった患者のことを軽患者と呼ぶ。注意患者は名前のごとく軽患者に比べれば注意が必要だが、重患者のように常に監視しなくても良いという判定だ。階級としては小さな違いだが、重患者と注意患者では国からの扱いが大きく変わる。


「国だって暇じゃない。問題がないと分かっている患者に時間をかけてはいられないからな。問題がないと判断されれば監視や報告義務も緩まる」

「逆に言えば軽患者から重患者に判定が厳しくなる場合もあるから、気を抜いてはいけないよ」


 恵茉の話を聞いていた山崎が穏やかな顔と声で釘を刺した。和真の表情が途端に暗くなる。可哀想にも思えるが今は重要な査定期間。評価を軽く出来るのであれば軽くした方がいい。気を抜いて重患者判定がついてしまえば覆すのには一年以上かかる。その間はもちろん監視付きだ。


「あんまり思い詰めなくても大丈夫だって。お前の羊くん、大人しい性格みたいだし。ちゃんとコミュニケーションとって言い聞かせれば大丈夫」


 満が身を乗り出し向かいに座っている和真に笑いかけた。和真はまぶしそうに目を細めた後に気になる単語を拾ったらしく目を瞬かせる。


「コミュニケーション……?」

「所長、まだ教えてなかったのかよ」

「一度に詰め込んだら混乱するかと思って」


 呆れた顔をする律に恵茉はコーヒーを飲みながら答えた。言っていることは気遣いのようだが視線が宙を泳いでいるから忘れていただけに違いない。和真以外は全員呆れた視線を恵茉に向けたが和真はそれよりも話の内容が気になったようだ。


「ディザイアーとコミュニケーションなんてとれるんですか」

「とれるぞ。うちの村正とは毎日お風呂一緒にはいってるし」


 満はそういって胸を張った。満のディザイアー、村正は髪が長い。それを手入れするのが満の趣味でありコミュニケーションだ。希もたまに自分のディザイアーをブラッシングしている。


「村正……?」

「ディザイアーには名前をつけた方がいいんだよ。その方が安定するし、言うことも聞いてくれやすくなる」


 そういった満のすぐ横に真っ白い髪に黒い着物の青年が現れた。顔は黒い布で覆われて見えないが満と同じ顔立ちである。満よりも表情が動かないのでまさに美の化身と言った雰囲気。布で顔を隠しているのは正解だ。同じ顔の正反対の表情をした美形が並ぶ姿は想像するだけでも落ち着かない。


 病院で刀を向けられた記憶を思い出したのか和真は若干のけぞった。そんな和真に気づいたのか、満は「こわくないぞー」と言いながら村正の頭をなでている。されるがままの村正が何を考えているのかは分からないが、ディザイアーは発現者である患者との接触を好む傾向があるので喜んでいるはずだ。


「所長と希さんも名前つけてるんですか?」

「私のディザイアーはサクヤという」


 そう言うと同時、恵茉の隣に着物姿の美女が現れた。顔立ちは大人だが恵茉の特徴がよく出ている。成長したらこうなっただろうと想像できる姿だ。

 願望なので恵茉の理想は多分に含まれている。モデルのようなすらりとした体系とか、大人びた表情だとか。特に後者は完全に願望だと希は思っている。いくら歳を重ねて大人になったとしても性格は早々変わらないだろう。


 見た目に騙された和真は頬を染めてサクヤを見つめている。それに気づいたサクヤは優雅に微笑んだ。異性に耐性がないらしい和真が何かをこらえるように胸をおさえた。

 いくら美人でもディザイアーだぞと忠告すべきか悩んだ希は面倒くさくなって言葉を飲み込む。ほっといてもそのうち気づくだろう。


「うちのはクロ」

「相変わらず適当な名前だな」


 黒いからクロ。分かりやすくて良い名前だと思う。しかしながら仲間内では不評だ。名前を決めたと報告したときは満に爆笑され、恵茉には渋い顔をされた。研究員二人にすらもうちょっとひねったらという反応をされたのは納得いかない。奴らの方が名前よりも気にすべきことはたくさんあるだろう。


「名前……」

 正気に戻ったらしい和真が眉を寄せる。


「そんな難しく考えなくても直感でいいんだよ。クロは安直すぎるけど」

「おい」


 さらっとこちらを貶す満に肘鉄をいれたが満は反省した様子もなくケラケラ笑っている。

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