case2 透明

2-1 研究所/朝の風景

 希は瞼を開き、ベッドサイドに置かれたデジタル時計に視線を向けた。時刻は九時。世間的には遅いだろうが夜型が多い本宮研究所の職員の中で一番の早起きだ。

 上半身を起こして体を伸ばす。ベッドから降りた希はスウェットのまま朝食の準備のために部屋を出た。


 本宮研究所にて暮らしているのは所長の恵茉、保護観察対象である希と満。この間増えた和真の四人。研究員二人は通いなのだが、研究に没頭しすぎたあまり帰るのを忘れて朝を迎えることが少なくない。というか、ほぼそうなのでもう住めばいいんじゃないかと希は思っている。患者が増えることを想定して部屋は余っているのだし。


 本人に言ったこともあるが、社会人としての最後の意地。もしくは職場に住み始めたら本格的に人間として終わると本能で察しているのか、頑なに住み込みだけは断る。そんな二人は本日も研究室で朝を迎えているらしく、研究室からはキーボードを叩く音がかすかに聞こえた。


 希は遠慮せずに豪快にドアを開ける。時間の感覚が狂っている研究員にもう朝だと伝えるためだ。

 研究資料やら記録やらの本やら紙に埋もれ、薄暗い部屋でディスクトップのディスプレイを凝視している不健康を極めた人間の横を通り過ぎ窓へと直行。シャーという音と共にカーテンを開けると、差し込む太陽光に屍のようになっていた人間たちがうめき声を上げた。

 その反応を見るたびに、コイツら夜行性極めて吸血鬼になりかけているんじゃないかと思う。


「おはよう、希くん……」

「今日も容赦がねえ」


 目元を押さえつつ挨拶をしたのは山崎紀之やまざき のりゆき。長年研究所に勤め続けた熟練の研究員だ。穏やかな表情と口調で話す、のんびりとした印象を受ける人物だが長年恵茉と共にいるだけあって頭のネジは数本ぐらい抜けている。第一印象に騙されると痛い目をみる人物である。


 額を押さえ低い声を出したのは希よりも年下の若手研究員、伊藤律いとう りつ。入所したのは大学卒業と同時に所属した研究者の中ではひよ子同然の新人だ。そのわりには態度がでかく、年上の希にもズケズケ物を言う。恵茉は期待しているようだが、希からすれば失礼なガキという印象しかない。


「狂った体内時計をリセットしてあげたうえに朝ごはんまで作ってあげる俺に対してなんて酷い。律は御飯いらないんだな」

「そうは言ってない!」


 慌てる律を眺めていると苛立つ気持ちが霧散する。ここの職員は生活能力がないので家事担当の希には逆らえないのである。


「朝食とコーヒー淹れてやるからキッチンに来い。ゾンビども」


 希の呆れ半分の言葉に「おー」「いつもありがとね」という声が返ってくる。本人たちも自覚があるのかゾンビと言われても普通に返事をする。それでいいのか。頭の良い人間はよく分からないと希は眉を寄せつつ研究室を後にした。

 

 全員で食事をとることを前提に作られたキッチンは広い。住んでいるのは四人のはずなのに椅子は六脚あるあたり泊まり込み前提である。もう潔く住めばいいのにと思うが律はともかく家庭がある山崎はそうもいかないのだろう。だとしたらもう少し帰れといいたい。


 そんなことを考えなからドアを開けると六人が広々と座れる大きなダイニングテーブルに人が腰掛けていた。自分以外の人間がキッチンにいることに希は驚いて目を見開く。そんな希に気づき、戸惑いがちに挨拶をしたのは横森和真だ。


「おはよう……ございます」

「おはよう。眠れなかったのか?」


 和真が研究所の一員になったのは数日前。環境が大きく変わったことに慣れず眠れなくなる患者は多いと恵茉は言っていた。研究所に所属という濁した言い方をしているが要するに監視だ。行動には制限がつき、前に住んでいた場所には帰れないし、家族と友人との接触も許可制である。

 

 希も研究所にやってきたばかりの頃はなかなか眠れなかった。それに気づいた満によって気遣いという名目による自分がやりたかっただけ企画、ゲームクリアするまで眠れませんにより強制的に眠らされたのはもや笑い話だ。だからといって和真に同じことをするのは良心が痛む。満が気づいたら喜々として激ムズクソゲーやら長編RPGやらを見繕ってきそうだから余計に。

 満に気づかれる前に解決せねばと真剣な顔でじっと見つめると和真は眉を下げ、困った顔をした。


「徹夜が普通で、寝れても三時間みたいな生活を送っていたので、寝ようとしても目が覚めてしまって……」

「うわぁ……」


 素直に引いた。ブラック企業恐るべし。

 異能症が広く認知されるようになってからというものストレスのない社会というのは全人類が掲げるスローガンとなった。「他者にストレスを与える行為は犯罪です」という文言を至る所で目にし耳にする社会だというのに、何年たっても他者を追い詰める人間は消えてなくならない。それは巡り巡って自分に返ってくると彼らは気づいていないのだろう。


「もしかして昨日も寝れなかった?」

「……はい」


 少しの間を置いてから和真は答えた。困ったような反応から見て眠りたいという気持ちはあるようだ。精神と肉体が環境の変化についていけてないだけならいいが、様子見して悪化したら大事だ。早めに恵茉に診断してもらった方がいいだろう。


「ディザイアーに頼ろうとは思わなかったんだな」


 そう話しかけながら希は朝食の準備にとりかかる。対面型キッチンのため作業しながらでも和真の顔はよく見えた。心配しすぎても気にするタイプだろうとあえて軽い様子で声をかければ和真はかすかに眉を寄せる。


「本宮さんに発現したては不安定だから異能は使わない方がいいと言われたので」

「偉いな。言われても使う奴は使うのに」


 真面目な性質なのだなと冷蔵庫から卵とベーコンを取り出しながら希は苦笑した。本来であれば美徳とされる真面目さがブラック企業から逃げるという選択肢を奪ったのだと考えると複雑な気持ちになる。真面目な人間は人に頼ることや愚痴を言うこと、逃げることを悪いことだと考えがちだ。それ故に溜め込み発症する。真渕などは分かりやすい例だろう。


「ただ臆病なだけです。加減を間違えてここにいる人たちが目覚めなくなったらどうしようかと……」

「さらっと怖いこと考えるな」


 あり得ないとも言い切れないのが恐ろしい。熱したフライパンに油を引きベーコンに焼き目をつけながら希は真顔になった。


「本宮さんに異能は発現者の精神に大きく左右されると聞いたので。今の自分の精神が冷静だとは思えませんし」

「自己分析がしっかりしてるな。満は発現したとき大はしゃぎして色々試してたのに」


 当時を思い出して思わず遠い目をする。外見は成人しているが中身は小学生で止まっている満は自分から生まれたディザイアーをとても気に入り、どこまで出来るのか試しに試した。試しすぎて研究所の一部を破壊し、監督不行き届きという理由でなぜか希まで一緒に恵茉に説教されたのだ。今思い出しても理不尽だと思う。


「満さんの能力って……」

「何でも切れる。シンプルだろ」


 シンプルだからこそ使い勝手が良い。荒事に対応することが多い異能局が熱心に勧誘してくるのも納得の能力である。特定の人間のピンチでしか異能を使えない希とは違い満の異能は汎用性が高い。高すぎて瓶の蓋が開かないというだけで異能を使うのはいかがなものかと思うが。


「何でも切る……ディザイアーの能力って願望が影響するんですよね」


 いつもニコニコしている満と「切る」という願望がつながらなかったのか和真は眉を寄せた。その様子を見て希もまた眉を寄せた。一緒に生活する以上、いつかどこかで分かることだとは思うが勝手に話して良いものかと悩む。特にディザイアーの異能は患者の根本に関わる願望だ。いくら満の保護者扱いされているとはいえ本人の許可もなく話していいとも思えない。


「気になるなら満に聞けば答えてくれるんじゃないか。数日見てたなら分かるだろ。顔が良いだけで中身スッカスカだって」

「希さーん? 本人がいないところで悪口って性格悪くないですかー?」


 そう言いながら入ってきたのはムッとした顔をした満だった。寝起きのまま来たらしく髪はボサボサだし目は半開きで機嫌が悪そうだ。それでも顔が良いことは変わらないのだから美形は特だなと希は思いつつ、焼き目をつけたベーコンの上に卵を落とす。ジュッという音とともに透明な白身が固まっていくのを眺めていくと香ばしい匂いに気づいた満が表情を輝かせた。


「性格悪い奴の作った朝食はいらないよな?」

「いる、いる! 希はとっても良い奴! 俺の悪口とかいくらでも言っていいからご飯ちょうだい!」

「それはどうなんですか……」


 一瞬の不機嫌はどこにいったのか尻尾をぶんぶん振ってフライパンをのぞき込む満を見て和真が戸惑った顔をする。満は自分が不機嫌だったことを忘れてしまったようで和真の反応に気づいていない。単純すぎて心配になる。


「こういう奴だから、遠慮なく聞いて良いぞ」

「えぇ……」


 心底困惑した様子の和真の姿を見て希は懐かしいなと思う。今やすっかり満のペースになれたが希も出会った当初はこの白くて謎に綺麗な生き物にずいぶん振り回されたのだ。

 未だによく分からない部分は多いが今はそういう生命体だと考えることを放棄している。そのくらいの距離感がきっとちょうどいいのだ。

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