1-8 病院/先輩

 真っ白い体が宙に飛び、己のディザイアーを屋上へと飛ばし、それから落下する様がやけにゆっくり見えた。周囲から悲鳴が上がるよりも先に希の体は動き、満の落下地点まで移動する。

 あのバカと舌打ちが漏れたのは仕方ない。横森を無事に確保することに集中して自分の安全のことは二の次だ。


 満が死ぬかもしれない。

 そう思ったら自分の体からずるりと何かが抜けでる感覚がした。もう何度も味わった感覚だが、未だ慣れない。自分の体と心が別々に動き出すような奇妙な感覚。しかし今はそれが頼もしい。抜け出た自分のディザイアーは満を絶対に守ってくれると知っている。


 真っ黒いたてがみ、ライオンに近いがそれよりもふかふかとした毛に覆われた体が希の横を通り抜け、落下してきた満を柔らかな毛並みで受け止める。満を受け止めた衝撃がディザイアー越しに伝わって膝をつきそうになるが、満を無事に受け止められたものだと思えば安いものだ。


「こんのバカ! 真っ白! 頭までクリア!」

「罵倒をひねってくるのやめて」


 巨大な黒いライオンのような生き物の上に乗ったまま満はなんとも言えない顔をする。突然現れた肉食獣の存在に周囲がざわめく声も伝わってきたので、希はすぐさまディザイアーに戻ってこいと命じた。

 普段であれば満に遊んでほしいと甘えるディザイアーだが、希の分身なだけあって希と同じ怒りを満に抱いているためあっさり戻ってくる。結果、満は突如乗っていたふかふか布団が消えたことで落下し、「痛い!」と悲鳴を上げたがこれくらいですんだことに感謝してほしい。


 希が受け止めることが出来なければ十メートル以上の高さから落下することになったのだ。いくら発症により身体能力が上がっているとはいえ死ぬ時は死ぬ。満はろくに受け身をとった様子もなかったし、途中で勢いを殺すものもなかった。そのまま落ちていたら死は免れなかっただろう。


「お前はなんでそう無茶するんだ。見た目儚い系なんだから儚くしとけ」

「どういう罵倒」


 落下によって体を打ち付けたらしく腰を押さえる満の頬を人差し指でぐりぐりと押す。嫌そうに眉を下げているが抵抗しないのは自分でも怒られることをしたと自覚しているからだろう。自覚しているのならやるなと言いたい。


「みつるん大丈夫!?」


 そういいながらかけよってきたのは操上。土で汚れるのも気にせずに膝をつくと、満の顔をガッと両手でつかんで確認している。おさえている腰などは無視して即顔に傷がついていないか確認するあたりがらしい。そして顔以外には興味がなさすぎていっそ清々しいと前に満が言っていたことを思い出した。

 人によっては不快感を覚えるだろうが当の本人である満は気にしていないし、希も気にしていない。なぜなら発症者はディザイアーとして発現した己の願望に強い執着を抱くというのが研究で分かっている。顔の良い人間を操りたいという願望を発現させた操上が顔に執着するのは病気の影響とも言える。

 その影響を間違いなく希も受けている。


「お前の異能が限定的でなければな……」


 近づいてきた真渕が額に手を当てた。希が最初から異能を使えれば横森が落下したとしても簡単に受け止めることができたと言いたいのだろう。


「仕方ないだろ。俺は自分が守りたい人間にしか異能を発動できない」


 異能は万能ではない。願望が具現化したという特性により能力は発症者の願望が大きく影響を受ける。

 希が発現したディザイアーは守りたいという願望から具現化した。だから希が守りたいと思った人間がピンチに陥った時しか発動しない。横森を助けたいという気持ちがなかったわけではないが、守りたいと強く思うには横森という人間を知らなすぎた。


「お前の異能が全人類に適用されるのであれば異能局にスカウトしたというのに……」

「残念でしたー! 希は俺限定のボディガードで相棒なんですー!」


 いつのまにか操上から逃れた満が希の背後からそういった。モデルのように整った顔を自ら歪ませて舌を出し、小学生のように文句をいう満を見て希は残念なイケメンという言葉を思い出す。操上が視界の端で悲壮な顔をしているが満にはどうでも良いことなのだろう。満は自分の顔が良いと自覚して利用するが、自分の顔に対して興味がない。


「ガキの喧嘩はそれくらいにして、さっさと患者を保護、事態をおさめろ」


 パンパンと手を叩く音がして視線を向ければ恵茉が眉をつり上げて立っていた。そのことで横森は未だ屋上だったと思い出す。横森の近くには村正がいるはずだと満の顔を見れば「村正が威嚇してるから大丈夫。動いてない」との返事。

 訓練は必要だが発症者はディザイアーの視界を見ることが出来る。満がそういうのであれば横森は自殺する気が失せたのだろう。死にたいと叫んでいたといっても本音は生きたかったはず。物理的な恐怖を与える村正が近くにいるのであれば大人しくしているだろう。


「お前らすっかり忘れているみたいだが、今回の騒動、ずっとカメラに収められているからな」


 一件落着の空気が流れた一同は恵茉の言葉で現実を思い出した。見れば横森の姿を取ろうと集まったテレビクルーたちがこちらへとカメラを向けている。それに気づいた希と満は素早く真渕を盾にして前へと押し出した。


「お、お前ら!」

「異能局の真渕さーん、お仕事ですよ!」

「俺たち一般人なんで、カメラNGなんです」

「カメラの前に立つために生まれてきたみたいな顔して何いってる!」


 叫ぶ真渕を無理矢理取材班の方へと押し出して、すぐさま希と満は逃げ出した。取材班は逃してなるものかと目を輝かせて真渕を取り囲んでいる。異能局は発症者の相手をしてすぐに撤収することが多いのでカメラに映るのはなかなかレアだ。おそらく横森に対してとんちんかんな説得をしていた映像もずっと映っていただろうから取材班としては是非ともコメントをいただきたいだろう。そのまま生贄になってくれ。


「真渕、俺の顔良いと思ってたんだな。身の危険を感じた」

「お前の顔を悪いという奴は目が腐ってるから、全人類に対して警戒しろ」


 わざとらしく自分の体を抱きしめてわざとらしく体を震わせる満に適当な返しをしつつ車へと走る。恵茉はすでに車に戻っていて、早くしろと言わんばかりに手招きしていた。

 車に乗り込んでから周囲を見れば操上は真渕が犠牲になったのを軽く流して病院スタッフと何かを話している。顔面至上主義の危ない女ではあるが真渕と組まされているだけあって優秀なのだ。放っておいても問題ないだろうと希がアクセルを踏むと満が「あっ」と声をあげた。


「横森さんとこに病院スタッフ来た。普通に話してるしもう大丈夫そう」

「それは良かった。面談の申し出はもうしておいたから、後日、落ち着いたときにまた来よう」

「いつのまに」


 自分たちが奮闘している間に恵茉はちゃっかり目的を遂げていたらしい。放っておいてもなんとかするだろうという信頼だと思えば良いのかもしれないが、恵茉のことだから落ちたら仕方なしと思っていた説も捨てきれない。

 長く生きた故に多くを見送り、医者やカウンセラーとしての知識を持つ恵茉は時としてとてもシビアだ。


「横森さん、元気になるかな」


 いまだ捕まっている真渕を横目に病院から脱出すると満がポツリと呟いた。名残惜しげに後ろを振り返っても横森の姿は見えない。ディザイアーは発症者との距離が離れると自然に発症者の中に戻ってきてしまうので、村正もそのうち戻ってくるだろう。そうすれば横森の姿を確認する術はない。


「大丈夫だろ。自由奔放な先輩を目にしたわけだし」

「それって俺?」

「お前以外に誰がいる」


 今日この場に、横森以外の発症者は五人いた。その中で横森がしっかりと目にしたディザイアーと発症者は満と村正だけだが、それでも十分インパクトがあっただろう。ブラック企業でダメな奴だと罵られてきた横森にとって好きに生きて良いと叫び、実際好き勝手に行動した満はどう映ったのかは分からない。ただ良い方向に行けばいいとは思う。でなければ心配し損である。


「お前らの代わりに私がしっかり話を聞いてカウンセリングするから安心しろ」

「所長! 頼もし~!」


 胸を張る恵茉を満がはやし立てる。軽いやり取りに見えて満は本当に恵茉を信頼している。満もそして希も恵茉の患者だったので恵茉の腕はよく分かっているのだ。

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