1-7 病院/ディザイアー

 自分を見上げる人々の姿に横森和真は目眩を覚えていた。

 あと一歩踏み出せば自分の体はあっさりと落下し、地面にたたきつけられる。そうすれば自由になると分かっているのになかなか一歩が踏み出せない。もはや社会に居場所はない。生きていたって仕方ない。そう思うのに、死にたくないという生物的な本能が体を踏みとどまらせる。


 和真を説得しようと声を張り上げる男が耳障りだった。異能症なんて自分には関係ないと思っていた和真でも真っ黒な制服が異能局のものであると知っている。警察以上に関わり合いになりたくなかった存在に必死に説得されている状況に乾いた笑みが漏れる。


「なんでお前は俺を殺してくれないんだ」


 隣にたたずむ真っ白い姿をした少年に文句を言った。モコモコした肌触りの良さそうな服に額に映えた大きな羊の角。じっとこちらを見つめる顔には何の感情ものっていない。多少スッキリしたした顔立ちをしているがこれが己であると和真には分かった。

 仕事だとか上司だとか、売り上げだとか、そういう面倒くさいことを何も知らず、放課後になったら友達と遊び、ファミレスでバカな話をして盛り上がっていた頃の自分。ストレスとは無縁だった頃の何も考えずに眠ることが出来た頃の自分の姿だ。


 それが分かるだけに腹が立つ。あの頃は眠れたのに、あの頃は楽しかったのに、今の自分はどうしてこんなにダメなのだろう。


「死んだらおしまいだ! 考え直せ!」

「おしまいにしたいし、何も考えたくないから死にたいんだよ!」


 下から聞こえた声にとっさに怒鳴り返していた。初めてまともに返事をしたせいか大声を張り上げていた男が固まる。その姿に少しだけ気分が晴れたが、それを多い隠すようにどんどん重たい感情がせり上がってくる。


「何も出来ないノロマだって散々上司に怒鳴り散らされた! 出来底ない、生きてる価値もないって殴られた! 普通の人間だった俺がそうだったのに、異能者になった俺はどうなる!? さらに価値なんてないじゃないか!」


 隣でたたずんでいた少年が男に対して敵意をむき出しにした。目の前にいるのはもう一人の自分だ。だから自分の気持ちを分かってくれる。自分のために怒ってくれる。それを理解したら勇気がわいた。なんであんな風に怒鳴られて、蹴られて、殴られて、ぼろ雑巾みたいに扱われなきゃいけなかったんだ。会社に入ったときはこれから社会人だと誇らしい気持ちでいたのに、今はもうなんで生きているのかも分からない。


「異能者は悪者なんだろ! 社会のゴミなんだろ! お前らはいいよな! 仲間を捕まえて豚箱に放り込んでるだけで正義扱いだ! 結局は同じ異能者なのに!」


 男が黙り込んだまま俺を見上げた。離れていても動揺しているのが伝わってくる。それに対していい気味だと思った。


「俺が死んだら手間が省けていいだろ! お前らの仕事は俺みたいな出来損ないのゴミを掃除することなんだから!」

「俺たちはゴミなんかじゃない!」


 感情のままに叫んでいると大きな声が響いた。空気を震わせるような大声に強い感情が乗っているのが分かって和真は思わず息をのむ。気づけば異能局の隣に真っ白い人が立っていた。その隣には先ほどまでいなかった黒い服を着た男がいるが異能局とは雰囲気が違う。


「俺たちは被害者だ! ストレス性心身離脱異能症はストレス病! 俺たちは悪じゃない! むしろ保護されるべき患者だ! それなのにコイツらみたいな黒いのが悪い印象を世間に植え付けてるだけ!」

「おいっ!」


 ビシッと白い人が隣にいた異能局の男を指さした。男は文句を言おうとするがそれを無視して白い人は和真を見る。距離が離れていても目があったとハッキリ分かった。


「俺たちは好きに生きて良い! 発症するほど追い詰められたんだから、自分をいたわって、可愛がっていいんだ! その邪魔をする奴はぶっ飛ばせばいい! 法律を犯さない程度に!」


 あっそこは常識的なんだと思わず心の中で突っ込んだ。すっかり名も知らない白い人のペースにのまれていることは分かったが抵抗する気にならない。異能局の話は何を言われても心に響かなかったのに、白い人の言葉はなぜか胸に刺さる。


「お前はすごい! お前の異能もすごい! でもって俺たちのディザイアーもすごいんだ! だからお前は悲観せずに隣にいるディザイアーを見ろ!」


 視線を向ければそこには自分がいた。和真の願望から生まれたディザイアー。ただ眠りたい。楽しかったあの頃に帰りたいという願望から生まれたもう一人の自分。

 罵倒され続けた日々を思い出し、やっと肯定されたことに泣きそうになる。

 だから和真は気づかなかった。地上のざわめきを耳が拾って、涙で潤んだ瞳を下に向けたことでやっとそれに気がついた。


「えぇ!?」


 気づけば地上にいた白い人が空中を飛んでいた。一直線に和真に向かってくる白い人に和真はただ慌てるが、隣に立つディザイアーは敵だと認識したのか動き出す。異能を使う。そう感じた和真は慌ててディザイアーに止めろと念じた。

 体から離れ、姿が変わってもディザイアーは自分である。和真の思いを第一に優先するディザイアーは戸惑いがちにこちらを見た。モコモコとした服と長めの髪の隙間から子供らしく丸い瞳がこちらを見る。不思議そうなきょとんとした顔を見ている間に、真上に影が出来る。


 驚き顔をあげると黒い着物に黒い布で顔を覆った、刀を持つ青年の姿が宙を飛んでいた。後ろで結わえた白い髪が揺れ、腰に差した鞘から刀が抜かれる。その光景をスローモーションのようにゆっくりになった視界で眺めながらディザイアーだと和真は思った。

 名も知らぬ白い人。あの人のディザイアーだと悟った時には背にしていた落下防止のための柵が刀によって切り刻まれる。後ろに倒れコンクリートに背を打ち付けた和真の頬のすぐ横に鈍く光る刃が突き立てられた。

 見下ろすディザイアーの顔は見えない。黒い布の隙間からチラリと見えた青い目には温度がなく、無言であろうとも動いたら切るという圧をひしひしと感じた。


 俺たちのディザイアーはすごいと叫んだ白い人の声を思い出しながら和真は両手を上に上げる。


「すごいし、怖い……」


 和真のディザイアーが降参と言わんばかりに自分に戻ってくるのを感じながら、和真は少し笑う。

 たしかに、こんな頼もしい自分の分身が隣にいるのであれば何でも出来そうだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る