1-6 病院/作戦会議

「希、どうする?」

「真渕に気を引いてもらってる間に後ろから近づいて、確保するか」


 真渕は大声を張り上げて横森に話しかけ続けている。その間に操上が万が一落ちても受け止める準備を進めるようだ。相談をしている様子はなかったがこうした荒事になれているだけある。

 となれば下は二人に任せ、横森に近づくかと考えたが横にいた恵茉が渋い顔をした。


「近づくのは止めた方がいい。あのディザイアーの異能は対象を眠らせることだ。範囲も広い。近づいた時点でディザイアーに気づかれて眠らされる」


 具現化したディザイアーは発症者とは別の意志で動く。知能は発現してからの日数とディザイアーごとに異なるが、生まれたてのディザイアーでも近づいてきた敵を異能を使って倒すという防衛本能をもっている。発症者である横森の気が立っている現状、近づいた人間は無差別に眠らされるとみて良いだろう。


「お前らも分かっているだろうが異能は無限の力じゃない。使えば使うほど疲労する。むやみに近づいてディザイアーが異能を使い、発症者が気絶したとあったら、真っ逆さまだ」

「ってことは説得で穏便にお戻りいただくしかないってこと?」


 満の言葉に思わず希は上を見上げ、「僕なんて生きてる価値がないんだ!」と叫ぶ横森と必至に説得しようとしているがどこか見当違いなことを言っている真渕を見つめた。満と希は無言で顔を見合わせ頭を左右に振る。


「マットの準備を急ぐしかないか?」

「そもそも病院にマットあるの?」


 話しているとスタッフが大慌てて大きめのシーツを運んでくるのが目に入った。大人数でシーツの端を持ち落ちてきた横森を受け止める作戦のようだが衝撃を受け止めきれずに手を離したら終わりだ。


「所長、ディザイアーに異能って効くんだっけ?」

 どうしたものかと上を見上げていた満が唐突に恵茉に聞いた。


「ディザイアーに異能が効いたという報告例はない」


 真剣な顔で恵茉は答える。希も今まで出会ったディザイアーと発症者を思い出す。言われてみれば発症者に能力を使ってもディザイアーはピンピンしていた。ディザイアーは発症者の力で発現するため、発症者にダメージが入ると自然と消える。それ故に今まで意識していなかった。

 だが、今の状況になんの関係があるのだろう。そう思いながら満を見れば満は耐性のないものだったら目が潰れそうな輝く笑顔を浮かべていた。


「それならいけるかも。ちょっと希、俺のこと上までぶん投げて」

 そして頭のおかしいことをいう。


「頭おかしくなったか」

「この俺の百万点の笑顔を浴びてもそれを言えるのが希のすごいとこだよね」


 自分の容姿を自覚している男は通じなかったことに少々不満げな顔で唇を尖らせる。希だって満の顔が人類の中でも上位に位置するのだと理解しているが、それはそれである。毎日間近でそれを見ているのだから出会った当初はともかく、今はとっくに耐性がついている。満が己の顔面を大安売りするときはろくなことを考えていないということも学習しているのだ。


「普通に近づいたら眠らされる。時間もあまりない。説得は無理そう」

 満は現状を指を一本、一本立てながら説明する。


「疲れて落ちてきたところを一か八かって手もあるけどさ、それじゃ根本的な解決にならないと思う。いま命が助かったって、また何らかの方法で騒ぎを起こす」

「あんな大声でわめき散らしている奴が本気で死ぬ気があるとは思えないけどな」


 横森は真渕のとんちんかんな励ましに対して律儀に言葉を返している。会話は噛み合っていないが本気で自殺するつもりであればとっくに飛び降りているだろう。時間がかかればかかるほど、下で受け止める準備は進む。生存確率が上がるのだ。本気で死にたい人間の行動とは矛盾している。


「彼だって本気で死にたいわけじゃない。ただ混乱しているんだよ。俺たちだって発症したてはそうだった」


 希は自分が発症したときのことを思い出そうとしてすぐに止めた。出来ることなら一生思い出したくない嫌な記憶だ。


「異能症は過度なストレスで発症する。奥底に押し込めた願望が窮屈すぎる体から這い出てくるのがディザイアー。そう所長は前に言ってたでしょ」

 希の言葉に恵茉は頷いた。

「彼は生まれ変わったばかりだ。死にたいはずがない。でも俺たちはストレスがなければ生まれてこない。生まれたばかりの世界が自分を追い詰めると知っていて前向きに生きるなんて難しいよね」


 肩をすくめる満に希も恵茉も何も言えなかった。

 過度なストレス。社会への不満。己を取り囲む環境への怒りや憎しみ。命を絶ってしまいたいと思うような絶望。そうした感情でディザイアーは生まれる。

 自分には生きている価値がないと叫ぶ横森の隣に寄り添うディザイアーは横森の負の感情を全て背負って生まれてきたのだ。


「でもさ、せっかく生まれ変わったんだから、すぐ死んじゃうのは勿体ない」


 先ほどまでの愁いを帯びた表情を一転させて満は笑う。笑う満を見るたびにコイツは強いなと希は思う。目の前の存在だって負の感情を抱えているはずなのに、そんなものはないかのように振る舞う。それが無理をしているのではなく自然体なことを知っているからこそ時折まぶしさに目がくらみそうになる。


「ディザイアーと一緒に暮らすのも楽しいって、彼には知ってもらわなくちゃ。せっかくモコモコしてて安眠できそうなディザイアーなんだし」

「たしかに、需要すごそう」


 不眠に悩む現代人は多い。ディザイアーの能力を上手くつかえば第二の人生を豊かに出来そうな能力だ。


「発症者のイメージ回復にも貢献できそうな能力だな。ディザイアーの見た目も子供で可愛らしいし」

「所長はすぐそういうこと言う」

「大人は汚いものだ」


 この中で一番幼い見た目をした人間の悟りきった言葉に希と満は微妙な顔をしたがいつものことだと肩を落とした。見た目が幼いだけでこの中で誰よりも大人の汚い部分を見てきたのは恵茉だろうから言い返す言葉も思いつかない。


「そういうわけで、俺としては横森さんに前向きになってもらいたいわけ。だからディザイアーの可能性を見せてあげようと思って」

「それがどうして、自分を上にぶん投げろにつながるんだ」

「発症により向上した身体能力とディザイアーの力を新米発症者に見せつけてあげるにはちょうどいいでしょ」


 腰に両手を当てて満は胸を張る。たしかにディザイアーの発現と共に発症者の身体能力は向上する。最初に異能症を発見した学者の論文によれば、危機的状況を察知した体が生存率をあげるために爆発的に身体能力を向上させるのだとか。火事場の馬鹿力が通常状態になると考えろと恵茉は言っていた。


「俺が助走をつけてジャンプするから、それを希がさらに上へ投げてくれればいいよ。組み体操でやってるでしょ、手で人の体支える奴」

「組み体操のノリをここに持ってくるな」


 この間動画サイトでどこかの体育祭の様子を熱心に眺めていたが、これは機会があればやりたいと思っていたに違いない。あいにく本宮研究所の肉体労働係は希と満の二人だけで、所長を含めた研究者は頭脳担当。体を動かすのとは無縁の生活を送っているため、試す機会がなかったのだろう。

 だからといって今試すかと言いたいところだが目を輝かせてワクワクしている満を見るとダメとも言いにくい。


「発症者の身体能力があっても、屋上までは届かないと思うが」


 地上から屋上までの距離を冷静に分析した恵茉が呆れた顔をした。

 大型の病院でなくて良かったと思うところだが、それでも五階建てだ。身体能力の向上と希の手助けがあったとしても屋上まで届くとは思えない。恵茉の指摘で満も諦めてくれるかと思ったが満は楽しげに歯を見せて笑った。


「ここで俺のディザイアー、村正の出番だよ」


 にっこり笑った満を見てこれは止められないと希は悟る。横で顔をしかめた恵茉も同じことを思っているのが分かった。

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