1-2 ラーメン屋/異能病

「なんで異能局向きじゃないと思うんだ?」


 どんぶりの上に箸を置きながら希は満に尋ねる。満は頬杖をついた状態で顔だけこちらに向けた。中性的な整った容姿である。希の浅黒い肌とは違う透き通った肌に色素の薄い髪と瞳。初めて見たものは消えてなくなりそうな儚さを感じるというが、実際はそんな可愛らしいものではない。

 満は楽しげに口の端をあげ、儚さとは無縁な悪戯好きの子供のような顔をして笑った。


「だって、一番の願望が眠りたいだぞ。会社を燃やしたいとか、爆破したいとか、誰でもいいから八つ当たりに殺したいとかじゃなくて」

「いたなあ……」


 思わず遠い目をしてしまう。満が口にしたのは想像ではなくて実際に起こった事件である。ストレス緩和法が制定される前、今よりもブラック企業と呼ばれる会社が多かった頃、ストレスからディザイアーを発現させた発症者たちの異能は攻撃性の高いものが多かった。それを思い起こせば確かに、今回発症した人物は平和主義者だ。人を傷つけることよりも自分を守ることを優先した。


「異能局って、異能を取り締まるという大義名分を掲げて大暴れしたい奴らの集まりだろ。今回の発症者には向かないと思う。っていってもどんな奴か知らないけど」

「ディザイアーの異能は人の本質が出る。お前の想像に近い人物像なんじゃないか」


 水で喉を潤しながら希はスマートフォンでニュースを探る。ニュースサイトに上がっている情報は先ほどニュースで告げられていたことと変わらない。調査中ということだろう。

 それでも何かないかとSNSをあさっていると事件現場を遠くから撮影したらしい動画を発見する。あっという間に拡散されていく動画には倒れる人々の中央に立つディザイアーの姿がハッキリと映っていた。

 満にスマートフォンの画面を見せ、一緒にのぞき込む。


「背丈的に子供っぽい? 頭の羊の角かな」

「発症者の眠りのイメージが羊だったんだろうな。服装がモコモコしてるのは布団とかのイメージか?」


 願望により発現するディザイアーは発症者のイメージによって具現化される。周囲を眠らせる異能から考えてもこの発症者は眠りたいという強い願望を抱いたのだろう。それが発現したディザイアーの容姿と能力を決定づけたと考えると、満の言うとおり平和主義者だ。ディザイアーの見た目が子供なのも他人への悪意など一切ない純粋な気持ちの表れのように思える。

 それだけに、ただ眠りたいと強く願ってしまうほど過酷な状況に置かれた発症者に同情した。


「うちに保護観察回ってこないかな~。どうせ見張らなきゃいけないなら、被害者気取りのバカじゃなくて平和主義の優しい奴がいい~」

「お前、前の奴ぶん殴って担当交代させられたもんな」

「えっ、希は殴らないでいられたの?」

「いや、お前が殴らなかったら俺が殴ってた」


 拳を握りしめて見せると満は満足そうに笑う。それから俺の握った拳に自分の拳をぶつけて見せた。お前なら分かってくれると思っていたという声に出さない信頼にくすぐったさを覚える。例えるならば野良犬に懐かれた感じだ。見た目だけなら血統書付きの猫なのだが、内面は小型犬。リード引きちぎって脱走し、泥とか草とか大量につけてどっかから見つけた汚いボールくわえて帰ってくるような犬に違いない。


「お前ら最近どうだ」


 黙って皿を洗っていたい店主が唐突に声をかけてくる。会話が途切れるのを待っていたのかもしれない。奥に座っていたサラリーマンはいつのまにか居なくなっていた。


「どうって? 見ての通り元気いっぱいだけど。いや、見た目だけなら明日にも死にそうな儚さって言われるけど、見た目に反して俺はめっちゃ元気」

「三十八度の熱があることに気づかずに遊園地ではしゃいでぶっ倒れるくらいのバカだから安心してくれ」

「それは逆に安心できないんだが」


 なぞに力こぶを作って見せた満に対して希がフォローにならないフォローをすると店主はいかつい顔をさらにいかつくする。これは怒っているのでも機嫌が悪いのでもなく真剣に満のことを心配してくれていると分かっているので満は上機嫌に笑った。


「大丈夫、俺がぶっ倒れても希が担いで帰ってくれるから」

「何回か捨てて帰ろうかと本気で考えた」

「えっマジで止めて。俺みたいな美青年がそこら辺に捨てられてたら下心ありまくりな奴に性別問わずにお持ち帰りされるじゃん。貞操の危機」

「自分の容姿に自信がありすぎて引く」

「……仲良くやってるのはよく分かった」


 呆れたような安心したような、微妙な反応で店主は小さな笑みを浮かべた。それに対して満は満面の笑みを返し、希もつられて笑う。不器用な店主、もしかしたらそれ以上にわかりにくい笑みだがしっかり届いたようで店主はこわばっていた空気を緩める。


「気をつけろよ。俺はお前らのことをよく分かってるが、世間はそうじゃねえ」

「うん。俺もおっちゃんが顔が怖いだけで優しい人だって分かってるから、サービスしてくれていいんだよ」

「豚骨ラーメンは五千円だったな」

「上がってるじゃん」


 唇を尖らせながら満はジャケットの内ポケットから財布を取り出した。メニュー表に載っている正規の値段を渋々だし、店主はそれを無言で受け取る。いつものじゃれ合いである。それを眺めながら希も自分のラーメン代をカウンターの上に置いて立ち上がる。


「俺たちは大丈夫だからおじさんこそストレス溜め込まないようにな。おじさんが発症したらディザイアー強そうだし」

「発症するなら上手いラーメンが一瞬で出来る異能に目覚めてくれ」

「なんだそりゃ」


 キメ顔でアホなことをいう満に店主は今度こそ呆れた顔になった。真面目に話すことが面倒になったのか、犬でも追い払うように手を振られる。それに満は歯を見せて笑い、「また来るな~」と手を振って店の外に出る。それに続いて希も外に出た。


 町を歩けば「ストレス」という単語が目に飛び込んでくる。「ストレス解消」「ストレスのかからない生活」「ストレスを感じたらすぐにカウンセラーへ」「ディザイアーの相談は異能局まで」なんて看板やらチラシやらを目にしない日はない。

 それがどれほどの効果を発揮しているのか知らないが、やらずにはいられないのだろう。


 かつて異能は空想上の産物だった。こんな力が使えたらいいなと夢に見ることはあっても本当に異能力を手に入れることは出来ない。そう誰もが理解していた。

 数百年ほど前、とある学者が元々人間には異能力が備わっており、外部から過度のストレスを与えられると身を守るために異能力が目覚めるという論文を発表した。当時の学会はこれを否定、学者の論文は妄想だと一笑された。

 それから月日が流れ、技術の急成長に伴い社会は体制を大きく変え、ストレス社会と呼ばれるものへと変化した。時間におわれ、仕事におわれ、人間関係に悩む。現代を生きる人類は大きなストレスにさいなまれた。


 それに伴い世界各地で超常的な力に目覚めるものが急増した。

 百年以上の時を経て、かつては誰も目にとめず妄想だとバカにした論文が事実だったと証明されたのである。


 ストレス性心身離脱異能症。そう命名された病気は現代人の生活に溶け込み、誰もが発症する危険のある病気として社会を脅かしている。

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