ディザイアー・スプリット

黒月水羽

case1 睡眠

1-1 ラーメン屋/ニュース

 眠い。とにかく眠い。

 

 頭も体も重く、日差しが眩しくて目眩を覚える。鉛のように重たい鞄を持ち、ふらふらした足取りで歩いていると横を通り過ぎた知らない男に舌打ちされた。それに対して何かを思う気持ちもわかない。俺の心はとっくに死んでいるのかもしれない。

 ただ眠い。今すぐに眠ってしまいたいのに、会社にいかなければいけない。体も心もボロボロなのになぜか勝手に足が進む。そういう風にインプットされた機械のように、ベルトコンベアに乗せられた荷物のように、無気力に無感情に会社への道のりを進んでいく。


 ふいに足がもつれた。体勢を整えることもできずに体は倒れ、コンクリートに強かに体を打ちつける。痛いはずなのに痛いという感覚がない。ただ眠い。眠ってしまいたい。


 周囲のざわめきが頭に突き刺さる。頭が痛い。気持ちが悪い。様々な声が聞こえるが、何をいっているのか分からない。起き上がらなければと思うのに体に力が入らず、今すぐここで眠ってしまいたいという願望が強くなる。


 その瞬間、体から何かがずるりと抜けた。

 周囲のざわめきが大きくなった。悲鳴混じりの声の中に聞いたことのある単語が混ざる。


願望ディザイアーだ!」


 その言葉だけがやけにハッキリ聞こえ、眠気で今にも閉じそうな目を開き、俺は周囲を見渡した。目の前にやけにもこもこした服を着た少年が立っている。背丈も違うし、後ろ姿しか見えないのに俺には分かる。あれは自分だ。


 悲鳴と共に周囲が逃げていく。しかし数メートルも逃げないうちに、ドミノ倒しのようにバタバタと倒れていった。恐ろしい状況なのに俺は安堵する。これで眠れる。会社に行かなくていい。

 眠気に抗わなくていいのだと理解した俺は、安堵と共に眠りに落ちた。



※※※



『◯◯市にて、ストレス性心身離脱異能症の患者による集団睡眠事件が発生しました』


 行きつけのラーメン屋で、もやし味噌ラーメンを食べていた八木原希やぎはら のぞみは、聞き馴染みのある単語に思わず顔を上げた。

 黒髪の隙間から一見眠たそうにも見える目が覗き、テレビ画面を見つめる。二十代前半ほどの青年で浅黒い肌が目をひいた。


 カウンター席から見やすい位置に置かれたテレビに、昼のニュースが映っている。真剣な顔をしたアナウンサーが読み上げるニュース内容に、希と同じくラーメンを食べていた客、いかつい顔をした店主までもが顔を上げ、テレビに注目し始めた。


『その場に居合わせた十二人の被害者と、発症者は病院に搬送。被害者はすぐさま目を覚まし、いずれも擦り傷などの軽症のようです』

「また異能者か。嫌になるな」

「ストレス緩和法とかいってないで、国は異能者取り締まれよ」


 離れたカウンター席に座っている、昼休憩らしいサラリーマンたちが、ニュースの内容に顔をしかめながら文句をいった。こういう輩には慣れているので軽く聞き流していたが、希の職業を知っている店主がチラリとこちらを見る。見た目はいかついが、なかなか人情に厚い人なので気を遣ってくれたらしい。希は大丈夫という答えの変わりに軽く手を振る。


『発症者は睡眠不足に栄養失調の傾向が見られ、通勤中だったこともあり異能局はストレス緩和法違反の疑いで発症者の勤務先を捜査する旨を発表しました』

「なくならないなー。ブラック企業」


 隣で黙々とラーメンをすすっていた連れ、本宮満もとみや みつるが呆れきった顔をした。高級フレンチでも食べそうな顔で堂々と脂ぎった豚骨ラーメンを食べている姿は良い感じに間抜けだ。しみ抜きが面倒くさそうな全身真っ白な服というのも酷い。今日はラーメンだが満はカレーでも気にせず全身真っ白コーデで食べる。残念なイケメンとはコイツのためにある言葉だと希は思う。

 

 隣に座った友人にそんなことを思われているとは想像もしていない満は両手を合わせてご馳走様でしたと挨拶した。この仕草だけみると顔に似合った育ちの良さを感じるが、同時に食べ始めた希はまだ半分しか食べていない。細身の体のどこに吸い込まれていったのか何度見ても謎である。

 気にはなるが気にしているとせっかくのラーメンが伸びてしまうので希は珍妙生物の観察をやめてラーメンに向き直る。満の方は暇つぶしなのか、興味を引かれたのかテレビ画面を凝視し始めた。

 

「十二人って強異能だな」

「それだけ発現したディザイアーが強いってことだろ。ストレス値百ぐらいいってるんじゃないか」

「これだからブラック企業は。今どき流行んないって」


 顔をしかめて満はそういうとカウンターに肘をつき、ニュースを読み上げるアナウンサーを睨みつけた。アナウンサーに罪はないが、ニュースの内容に苛立ちを覚えるのは同じなので放っておく。


「ストレス緩和法違反は重罪なのに、凝りないよなあ」

「そもそも違反だと思ってないんだろ。他人にストレスを与えている側はだいたい無自覚だ」


 希の言葉に満は嫌そうな顔をする。生まれ持った面が良いからギリギリ保てているレベルのしかめっ面だ。自分だったらさぞブサイクになるだろうと思いながら希はラーメンを啜る。


「所長が興味もちそうだよな」

「異能局もじゃないか。一気に十二人ってなると効果範囲が広い。遠距離から厄介なディザイアーと発症者を無力化出来るのは強い」

「異能局向きな性格じゃないと思うけどなあ」


 最後の一口をすすりきった希は隣の満を見た。満は未だにテレビを見つめ続けている。アナウンサーの読み上げるニュースは「もうすぐお花見シーズンです」というのんびりしたものに変わっていた。先ほど真剣な顔でニュースを読んでいた人物と同一人物とは思えない和やかな表情だ。堂々と発症者差別をしていたサラリーマンたちは会社の愚痴を言い合っている。

 その姿はこの世界において発症者、ディザイアーの存在が日常だと物語っていた。異能の存在に気づいた時の混乱などもはや過去のこと。今や社会はストレスとそれにより発現する異能と共に生きている。


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