09話 絶望郷の青い空 後


 空を見たい。だから環境改善が必要。そのためには絶望郷に余力がなければならず、余力を作るためには目下一番邪魔な反乱軍を潰すのが効率的。だから潜り込んで情報をディストピアに売り渡した。しかもその功績が認められれば、絶望郷の臣民に戻ることができる。


「親がやらかして放逐民になったから。クラウンネット登録があれば別の方法とってたかも」


 世間話でもするような気軽さで言い放ったシアンだが、語る内容は重い。

 ディストピアの住民は、クラウンネットと名付けられたデータベースにパーソナルデータが登録され管理されている。当然規律違反には罰則があり、それが繰り返されると、減給などのペナルティより遥かに重い厳罰が下される。その場合違反者は、ペナルティ返済までの強制労働かクラウンネット登録抹消かを選ぶことになる。さらに違反内容が酷ければ死刑となるが、そのケースは多くない。


 クラウンネット登録が消されるということは、絶望郷の一員であるとはもはや見なされない。配給食は配られず、住居も取り上げられ、職も剥奪される。絶望郷の臣民であれば受けられる庇護が全て無くなり、捨てられるのだ。こうなった落伍者を『放逐民』と呼ぶ。


 放逐民となれば、ディストピアから電力や物資を盗み隠れ住むしかない。ディストピアの外には文明の跡地しかないのだから、ネズミのように生きていくほかに道はない。反乱軍はこの放逐民を吸収し、大きくなっている。


「両親とか反乱軍はディストピアが自由をどうのこうのって言ってたけど、明らかに登録消えて生活不自由になったしね。規則を守って自由な生活をするか、何の制約もない不自由な生活するかって言われたら、あーしは前者って即答するよ」


 ここディストピアの法律は、最悪の自由時代以前のものを引き継いでいる項目もちらほらある。状況に合わせ、変更すべき部分を吟味するため重要でない項目はそのままにしたのだ。しかしその結果、親が規律違反を何度も犯しクラウンネット登録抹消に至った際、子の処遇を決める権利が親にあるため子供の登録も消されてしまうことがあったらしい。


「巻き添え放逐は大体一年前に改定されたんだっけ。よくなって良かったと思うよ」

「……貴方の両親は今どうしているのです?」

「マフィアとの抗争に巻き込まれて死んじゃった。合理的な人たちじゃなかったし、そんなに仲よくはなかったね」


 淡白に言い捨て、シアンは次の配給食に手を伸ばした。「次は何味かな?」と、己の両親の顛末よりも目の前の食事が重要だと言わんばかりだ。

 リツの両親も既にこの世を去ったが、リツに可能な限り愛情を注いでくれた。故にうまく想像できなかったが、あまり追及すべき事柄でもないだろう。


「あれ、また同じ味だ」

「その箱の中身全部チョコ味ですよ」

「えっ。無駄な期待しちゃったじゃん。……他のないの?」

「ありません。違う味がいいならそう申請しておきますね」


 端末を弄ろうとしたが、やはりすでに申請データが変えられていた。自分でやりますって。


「まさか今までチョコ味しか食べてなかったり?」

「……そう言えばそうですね。一番好きですし変えなくてもいいか、と」

「飽きるでしょ……。案外細かいこと気にならないタイプなんだね。部屋散らかってるし」

「部屋は関係ないです」


 ちょっと……ちょっと油断していただけだ。


「話を戻しますよ。絶望郷には貴方からコンタクトを取ったのですか?」

「うん。や、情報売った後、魔法少女に誘われた時はあーしもびっくりしたよ。でもメリットが多かったから受諾した。環境改善に直接貢献したかったけど、あーしそんなに勉強できないしそっちの方には向いてないらしくて。だから自分の適正で一番貢献できることがしたかったんだけど、それが戦闘方面だったんだよね。強くなれるんならなっておくべきでしょ」

「なるほど。それは同意します」


 会話の合間にもぐもぐと口を動かすシアンを見て、リツも小腹が空いてきた。夜食になるが少しぐらいはいいだろう。


「ところでリツはなんで魔法少女になったの?」

「反乱軍に誘拐されかけて、必死で抵抗していたらクラウン様に助けてもらい、その時についでに魔法少女になりました。なのでまあ……成り行きですね」

「誘拐……そ、そうなんだ。施術関連で狙われてるって話はクラウン様から聞いたけど、そんなことがあったのは知らなかったな。今度詳しく教えてよ」

「クラウン様に了承を得て、私の知る限りでよければ。……恐らく許可も下りるでしょう」


 主たる道化師がどこまでシアンに話したのかは知らないが、開示した情報はあまり多くはないらしい。リツとて聞いていないことは山ほどあるだろう。


「あ、そうだ。明日、国家運営局地下の実験場で、あのアジト襲撃作戦の後調査について教えてくれるって。ついでに魔法少女の力についてもレクチャーがあるみたい」

「時刻は?」

「十時。前は基礎的な訓練だけだったしね。魔法少女としてはまだまだだから助かるよ」

「……逃してしまいましたからね」

「だね……痛恨だよ。うまく行けばあそこで根が断てたかもしれないのに……」

「気持ちは分かりますが……クラウン様の言う通り、情報を得れたことを幸運と思うべきでしょう。あの場にファントムがいなければ、奴の情報は何一つ手に入れられなかったのですし」

「だね。ただなぁ。調べた時、もうちょっとちゃんと見てれば、列車とかを用意してるって気づけたかもしれないのに」


 うーんと渋面を作るシアン。ボックスに入っていた布巾で指先を拭い、ソファーに置いてあったクラウンのぬいぐるみを引き寄せ、手慰みにふにょふにょと揉み始めた。


「それなりに自由に見て回れたと言っていませんでしたか?」

「や、あれは半分嘘。ウィルムへの挑発だね。うまいこと見て回れた区域も結構あったけど、肝心の工場部分とかの中枢については駄目だったの。もっと深い立場になれば話は別だったけど、絶望郷への裏工作とかしたせいでマークされたとするじゃん? そうしたらちょっと情報売った程度じゃクラウンネットの再登録してくれなさそうと思ってさ」

「確かに不利にはなるでしょうね。潜伏中、細かく情報を売ったりはしなかったのですか?」

「反乱軍が警戒するでしょ。それで色々負担かけるって手も考えたんだけど、一気に情報を渡して根こそぎやったほうが効率的かなって」


 胸の内の燻りは鳴りを潜めていた。

 自由、という言葉、目的に引っかかりはあるが、あれほど全力で絶望郷のために戦う姿を見れば、反乱軍という考えなしのクズ共と違うことはよく分かる。


 が、リツは引き換えにシアンの思考に対してある種の恐ろしさを感じていた。


 ……仮に、シアンが放逐されていなかったとしても、反乱軍が最も邪魔だと判断した場合、わざと放逐されスパイとして潜り込みに行きかねない。

 なぜなら効率的だから。

 先程「別の方法とってたかも」と言っていたが、『かも』だ。


 クラウンから命令が下って、というならまだ理解できるが……シアンはそんなものなしに、己の意志で勝手にそういう行動を取るだろう。


「バレない範囲で反乱軍に対して妨害工作もしたしね。色々杜撰だったから、その辺細工するのはそこまで難しいことじゃなかったよ。あーしがいることで反乱軍が得たメリットが帳消しになるか、ちょっとマイナスになるぐらいにはやれたんじゃないかな」

「徹底的ですね」

「環境問題なんて何年掛かるか分かったもんじゃないじゃん。だから切り詰められる所はちょっとでも効率的にしないと」

「……貴方の発言からは、他に効率的な道があれば絶望郷と敵対することも厭わない……そんな色も見え隠れするのですが」

「まあそうだね」


 瞬間、リツは敵意すら滲ませシアンを睨む。そうだね? ふざけるなよ。

 しかし、本人はどこ吹く風と呑気に水をごきゅごきゅ飲んでいた。


「ぷぁ。でもこっちを選んだからには何かロスがあろうと全力を尽くすよ。環境改善まで辿り着けそうな勢力はディストピアだけだし。他の勢力がそこまでの力をつける前に叩いて、支配体制を盤石にした方があーしの夢にとっても効率的」

「……何であろうと、絶望郷に尽くして貰わなければ困ります。魔法少女なのですから」


 己の夢に向かう効率が至上。

 暗にそう言い切った。ひたすらに効率を求める姿勢から分かっていたことではあるが。

 絶望郷への帰属意識は一応あるようだが、どこかで警戒しておいた方がいいだろう。


「そうだ、リツのことも教えてよ。バディなんだから、互いのことを理解してた方が色々いいでしょ。隠し事してるとどうしても壁ができるし、一緒に暮らさないといけないわけだし。コンビネーションの習熟とかも効率良くなるでしょ?」


 リツは一瞬、何を言えばいいのか分からず固まった。


(――そうか。コイツが怖い理由が分かりました。その気になればいくらでも効率のために他者を切り捨てられるのに、信頼を深めることに躊躇いがないから。そして、効率のためであれば築いた信頼を裏切ることに何の罪悪感もないから、ですね……)


 仮に、シアンの両親――本人曰く仲は良くなかったそうだが――が存命で、反乱軍に所属していようと平気で情報を絶望郷に売り渡すことだろう。


 ウィルムの態度もそうだ。妨害工作をしていたせいで疑われていたり、反乱軍に非協力的だったのなら『やっぱりお前か』というような反応をしたはず。あの驚愕は本物だった。

 ……つまりは、そういうことだろう。


「リツ?」

「……ああ、いえ。私のことですか」


 再度の問いかけ。だが。


「反乱軍が嫌いです。一人ずつこの手で縊り殺してやりたいとすら思います。……それだけ知っておけば十分だと思いますが」


 そう言い切り、リツはシャワールームに向かう。

 服を乱雑に脱ぎ捨て、籠に放り込む。


 聞きたいことは聞けた。これ以上は、あまり話す気分にはなれなかった。

 シアンの思考を知り、恐れとある種の疲労を感じたのも事実だ。

 だが、それよりも己のことを語りたくはなかった。なぜ嫌いか、それを深掘りされても、出てくるのは積もり積もった怨恨だけ。


 絶望郷のため、国家憲兵を目指し適正のあった国軍学校へ入学した。だが、革命軍……ひいてはその意志を継いだ反乱軍への復讐心がその原動力だった。


 故に、魔法少女となり一足跳びに直接反乱軍を攻撃できるとなった時は狂喜した。

 リツの夢はそこで叶ったと言ってもいい。

 ようやっと、この憎悪を振り下ろせるのだから!


 ――だが、そんなことを延々と語ったとして、何になるのか。


 シャワーに打たれ、備え付けの鏡で己を見る。

 相も変わらぬ、刃じみた仏頂面と目が合った。その奥に、渦巻く憎しみの火を幻視する。


 やめだ。

 さっさと洗って、シアンに部屋の割当てについて話して寝よう。

 そう思ってシャンプーに手を伸ばし――。


「やっほー!」

「ちょ、え、はぁ!? なんで入ってくるんですか!!」


 衣服を脱ぎ捨てたシアンが扉を開けた。発育のいい体を隠すつもりは全く無いらしく、仁王立ちである。くそ、もいでやろうか。リツの胸は小さくはないが、羨む気持ちは当然ある。


「やー、ほらアレだよ! 裸の付き合い! あと食べ終わってヒマになったし」

「何が裸の付き合いですか!」

「えー、いいじゃん女同士なんだから。……あれ? お風呂張ってないの?」

「元々今日はシャワーで済ますつもりだったんですよ!」


 湯船は空だ。シアンは些かしょんぼりした顔になった。


「せっかく絶望郷の臣民になって水が自由に使えるようになったのに……」


 そういえば、つい先日まで放逐民だったのだ。本人の言を信じるなら、親の巻き添えで。

 リツの良心が少しだけ傷んだ。


「……じゃあ張ればいいでしょう! リモコンの使い方ぐらい分かりますよね!?」

「やった! じゃあそれまでに体洗おう!」

「今私がシャワー使ってるでしょうが! 外で待ってて下さい!」

「服脱いじゃったし……」

「いいから出てけっつってんだよ!」

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