第4話 身バレと駆け引き
「やめて。言いがかりだわ。とりあえずその銃を捨てて頂戴」
ティナが鋭く言うと、レイはあっさりと手を離して銃を床に捨てた。だが同時にぐっと腕を押される感覚があり、スカートの上から大きな手でするりと太ももを撫でられる。
「言いがかりねえ。普通の女は内股にナイフと薬を仕込まないだろ」
「美人すぎると色々と危ない目にも遭うのよ」
「護身の仕方がどう見ても玄人すぎんだろ。ナイフも薬も上手く扱えないと意味がないからな。お前、素人ではないな。自衛官か、兵士か、はたまたスパイか」
ティナの耳元で囁き、レイがニッと口角をあげる。その余裕な表情に、彼が憶測ではなく確信を持って言っていることがわかった。
「どうする? 今ここで吐けば話くらいは聞いてやってもいい。だがしらを切るつもりなら俺は秘密警察の捜査官としてお前を上に報告する。お前も中年の小汚いオッサンにスケベな尋問をされたくないだろ。今なら色男の俺が話を聞いてやれる。大サービスだ」
「〜〜〜っ! 馬鹿にするんじゃないわよ!」
だがティナが追い詰められているのは事実だった。ふざけた言い方をしているが、これはレイが得意とする駆け引きなのだ。ティナに与えられた選択肢は、大人しく捕まるか、彼の前で白状するかの二択しかない。
「わかった、認めるわ。あなたの想定通りとだけ答えておく」
「やはり秘密裏に潜り込んできたスパイか。存在は公になっているものの、秘密だらけのこの組織に潜入してきた実力は買ってやる。何が目的だ?」
「そこまで言う必要はないでしょう? さっきの取り引きは今ここで私の正体をバラすかバラさないかの話だったはず。それ以上を聞きたいなら、あなたが私にエッチな取り締まりでもしてみなさいよ。逮捕される前にあなたの性癖を署内にばら撒かれてもいいならね」
「悪いが俺の性癖はオープンでね。まぁ言われなくてもあらかた想像はつく。プロファイリングのプロを送り込んでくる上に幹部への昇進を狙っているということは、大方秘密警察の弱点を握るか、ボスを手懐けるつもりなのかのどっちかだろ」
「そこまでわかってるならいちいち聞かなくてもいいでしょ!」
態度はいけ好かないが、レイが優秀な捜査官というのは本当らしい。のらりくらりとはぐらかしたも、彼の前では遅かれ早かれ全部吐かされてしまうだろう。
グッと唇を噛んでレイを睨みつけるが、彼はフンと笑って一蹴する。
「私を捕まえるの?」
「スパイとは言え正式な方法でココに入ったならそれ自体は罪に問えない。だが数年前に法律が改正されて、今やスパイという職業そのものが取り締まりの対象だ。目の前に捕縛対象がいるなら、そうせざるを得ないだろうな」
「そう。なら私はあなたから逃げ切るしかないようね」
「だがサイラスが今回の任務にお前の力が必要だと判断したからにはすぐに捕まえるのも早計だろうな。お前の存在が内通者のあぶり出しに必要とアイツが判断したからには、その問題が解決するまでは見逃してやってもいい」
クツクツと笑いながらレイがティナに挑発的な視線を向ける。あの路地で犯人を追い詰めていた時と同じ目だ。人を惑わすような赤い瞳が至近距離でティナを見つめている。
「騙されないわよ。一度見逃しても、今回の任務が完了したら私を上に報告するつもりでしょう。そうとわかっていてあなた達に協力すると思う?」
「確かに今のお前は秘密警察の正式な捜査官だ。そのエンブレムを持ったまま逃亡されても、また厄介事の種が一つ増えるだけだからな。だがもし、お前が俺自身に有益な存在だと証明できればこの件は黙殺してもいい」
「あなたも大概食えない男ね」
「生き方が上手いと言ってほしいね」
フンと鼻を鳴らす小憎らしい顔をティナは正面から睨みつけた。悔しいことにここまでで主導権を完全に彼に握られている。だがまだ挽回の余地はあるはずだ。やられっぱなしは性に合わない。
頭の片隅で電卓を弾きながら背筋を伸ばして胸を張る。
「私があなたにとって使える存在になるかはすぐには証明が難しいわ。でも私はハニートラップのプロなの。今まで数々の男を落として重要な情報を引き出してきたわ。あなたがお望みならこの実力を見せてあげるわよ」
「新婚早々不倫宣言たぁ度胸があるな。俺という伴侶がいながら他の男と寝るなんて、まったく妬かせる女だぜ」
「何言ってるの。ハニートラップを仕掛けるのは他の男じゃないわ。あなたよ」
「何だと?」
ビシッと人差し指をつきつけると、レイが僅かに目を見開いた。微かな驚きの表情に、主導権を奪い返したことを聡ったティナは内心でにやりとほくそ笑む。
「いい? この婚姻期間中に私が必ずあなたを落として見せる。私に惚れたら、愛する女を上につき出そうなんて馬鹿なことを思わないでしょう?」
「へぇ俺がお前に惚れるって? 面白い。実力を見せてもらおうか」
「私を舐めていると痛い目に遭うわよ。あなたも用心しなさい。過去に私にひざまずいてペラペラ情報を吐いた男のリストに名前を連ねたくないならね」
「相当自分の実力に自信があるようだな。もし本当にそれができたなら、お前のお望み通りボスへのコンタクトもとってやるよ」
「あなた秘密警察のボスを知っているの?」
思わず声が出て、ティナは慌てて口をつぐんだ。秘密警察組織がフィールドでは、どうしてもティナの方が使えるカードが少ない。
再び主導権を握ったことを感じ取り、レイがニッと口角をあげる。
「ああ、俺はこの組織ができた頃からいる最古参の一人だからな。秘密警察の内部事情を探るという点では、サイラスよりも適任だぞ、俺は」
「そう、どうやら私はアタリを引いたようね」
「交渉成立ってことでいいか? 俺達は夫婦でありながら敵同士というわけだな。足元を掬われるなよ」
「そっくりそのまま同じ言葉を返すわ」
バチバチと火花を散らしながら赤と紺の瞳が交わる。面白そうな表情でティナを見るレイの顔を見ながら、ティナはグッと拳を握った。
目の前の男が鼻からティナに惚れるつもりがないのは一目瞭然だ。使うだけ使って、最後にはティナを上に突き出すのは間違いない。
だがその駆け引きはティナのプロ魂に火をつけた。彼が自信に満ちているのは、ティナの実力を知らないからだ。だがティナとていくつもの修羅場を掻い潜ってきた自負はある。
(今に見てなさい。利用されるのはあなたの方よ)
キッと赤い瞳を睨みつけた時だった。
ピンポーン。
なんとも気の抜ける音が一触即発の空気を破る。どうやら来客が来たようだ。ビリビリした殺気を解いてティナは慌てて玄関へ向かう。
「はーいどちら様でしょうか」
いかにも人の良さそうな笑顔を貼り付けてドアを開けると、そこにいたのは中年の女性だった。
どこにでもいるような小柄な女性だが、その目は好奇心に輝いている。
「ああアンタ達が新しく引っ越してきた人ね。アタシはカーラ。ここの家の大家だよ。新しい夫婦が引っ越してきたっていうからちょっと挨拶に来てみたのさ」
「まぁ大家さんなの。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私達、今日からここに住むことになりましたティエリーナと申します。どうぞよろしくお願いしますね、カーラさん」
「へぇこれまた綺麗な子が入ってきたもんだねえ。可愛い子が入ってくるのはアタシャ嬉しいよ。夫婦って聞いていたけど、旦那さんはいるのかい」
そう言いながら、カーラが開いた扉から不躾に部屋の中に視線を送る。いかにも興味津々である様子を隠そうともしないカーラをどういなせばいいか考えていると、不意に後ろから肩を抱かれた。
「これはこれはご挨拶が遅れて申し訳ありません、マダム。僕はレイヴン。ティエリーナの夫です。どうぞよろしく」
ティナの肩を引き寄せながら、レイがにこやかに挨拶する。その爽やかな笑顔は一点の曇りもなく、人を惹き付ける魅力に溢れていた。
(アンタ誰よ)
レイに肩を抱かれながら、ティナは呆れた視線を送る。この爽やかな笑顔の裏に悪徳警官の顔があるとは誰も思うまい。
だがこの色男の登場は、カーラの好奇心に火をつけたようだ。
「まあまあまあ、旦那もハンサムじゃないかい。若い夫婦で美男美女だなんて羨ましいね。さぞ夜もお盛んなことだろうよ。イーヒッヒッヒ」
「ええ、ま、まぁ……」
「ハハ、お陰で毎晩寝不足ですよ。でもまぁ、可愛い妻におねだりされて断れる男はいないと思いませんか。おっと夫婦の話を他人にするものではありませんね」
にこやかに笑いながら口の端でニヤリとするレイの足を、カーラに気づかれないようにグリグリと踏みつける。「痛って……」と呟くレイの顔が僅かに引きつったがティナは華麗に無視をした。
「まぁまぁ仲が良いのはいいことさね。前に住んでいた夫婦はねぇ、毎日毎日大喧嘩して挙げ句の果てにお互いに別々の相手を見つけて不倫三昧だったんだよ。だからアタシもどんな人が来たんだろうと気になっていただけど、アンタ達なら安心だ」
「その点については大いに安心してください。僕達は喧嘩すらしたことがないんですから」
「それは見たらわかるさね。じゃあアタシはあそこの角の家に住んでいるから。困ったことがあればいつでも頼りに来なよ」
「お気持ちに感謝いたしますマダム。では僕達はこれで」
そう言ってレイがにこやかに手を振って扉を閉める。扉を閉めた途端に気怠げな顔で頭を掻くレイの姿をティナは呆れた目で見ていた。
「あなたはその体の中にもう一人別の人格がいる設定だったりするの?」
「余計な勘ぐりをされない為にも仲の良い夫婦を演じておいた方が都合がいいだろ。むしろ仲が悪い方が人に探られる。ああいう女性はゴシップが生きがいだからな」
「まぁその点については同意するわ。外出時くらいは仲の良い夫婦を演じてもいいかもしれない。でも家では寝室も別よ、わかっているわね」
「仰せのままに。俺はあっちで煙草でも吸ってくる」
首をコキリと鳴らしながらレイがベランダに向かう。その後ろ姿を見ながら、ティナは先程の会話を頭の中で反芻していた。
(夜……ね。まぁあの男に簡単に色仕掛けが通用するとは思えないけど、少し仕掛けてみる価値はあるかもしれないわ)
何かを思いついたティナは形の良い唇を持ち上げる。
何もわざわざのんびり結婚生活を送る必要はないのだ。手っ取り早くレイから情報を引き出せるのであれば、さっさと結婚生活も終わらせることができる上に本来の任務に注力もできる。
意外と逞しい背中を見つめながら、ティナは人知れず不敵に笑った。
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