第3話 偽装夫婦
「ちょ、ちょっと待ってください。この男と夫婦? まったく話が見えてこないのですが!」
路地裏からレイを連れ戻し、先程の執務室に戻った矢先にティナはサイラスに詰め寄った。情報局から捜査本部に呼び出されたと思ったら、悪徳警官の男を紹介され、おまけにソイツと夫婦になれという。一を聞いて十を知る頭脳派のティエリーナにもこの展開は予想外だった。
「私はまだここに来たばかりなんですよ? 捜査本部の仕事だって知らないことばかりですし。いきなりそんなことを言われても困ります!」
「ハハ、急な話でびっくりさせたね。でもティナ、君のデータベースを見た瞬間から決めていたんだ。レイの妻になるのは君しかいないって」
「なんでちょっとロマンチックな言い方をしているんですか。説明を求めます」
バン! とデスクに両手をついて詰め寄るも、サイラスはニコニコとティナに笑顔を返している。ティナの隣にいるレイヴンも意味がわからないとばかりに肩をすくめていた。
だが二人の戸惑いをよそに、サイラスはのほほんとした人好きのする笑みを浮かべている。
「そうだねぇ、どこから説明したらいいのかな。まずこの秘密警察という組織は、一般の警察組織とは違って、主に産業スパイやテロリストなどを取り締まる。普通の犯罪者よりももっと凶悪な奴らを相手にするということはわかるかい?」
「ええ、秘密警察の存在意義は存じております」
「じゃあそれを踏まえた上でこれを見てほしい」
そう言ってサイラスがデスクの上にコトリと何かを置いた。手のひらに乗るサイズの薄い、金属製の塊だ。手にとって見てみると、見覚えのある紋章が刻まれている。
「これは秘密警察のエンブレムですね。捜査官なら必ず身につけているもの。私も先日同じものを支給されましたが、これが何か」
「そうだね。一見するとこれは単なるエンブレムだ。だがこれが先日取り締まった密輸現場に落ちていたと聞いたら、君はどう思うかな」
「密輸の現場に……取り締まる際に捜査官が落としたのだと推測しますが」
なんとも要領を得ない質問だ。状況が飲み込めないままティナは思ったことを口にする。だが何を思ったのか隣に立つレイがおもむろにティナの手からエンブレムを受け取った。
そのままエンブレムをひっくり返して裏を見たレイが不快そうに眉をひそめる。
「……ナンバーが削り取られている」
「ナンバーが? それはどういうことなの」
「このナンバーは捜査官を識別する為の番号で一人ひとり違うものが割り当てられている。それが故意に削り取られているということは、このエンブレムの持ち主は自分の正体を秘匿したいということだ」
「で、でもそれが現場に落ちていたのは偶然じゃないんですか? 確かに自分のナンバーを消すという行為は不自然ですが、捜査をしていればエンブレムを紛失する可能性は十分に考えられることです」
「そうだね。自分に当てられた数字が気に入らなかった捜査官がナンバーを削り取り、取り締まる際に現場に落とした可能性もなくはない。この現場に真っ先に踏み込んだのが私で、このエンブレムを見つけたのも私ではなかったら、私もここまで深刻に考えていなかったかもしれないかもしれないね」
サイラスの言葉にティナは息を呑んだ。もし彼の言うことが本当ならば、そのエンブレムはその密輸現場にもともと落ちていたものだということだ。
「そしてもう一つ。実はここに恐ろしい事実があるんだ」
デスクの椅子に腰掛けたサイラスが慎重な顔つきで口を開く。
「これはまだ多くの捜査官が知らない重要機密なんだけど、実は最近、秘密警察の内部情報が漏洩しているみたいなんだ。詳しいことは伏せるけど、ほぼ間違いなく組織の中に内通者がいると私は見ている」
「内通者? 秘密警察の組織内に犯罪者と密通している者がいると言うことですか」
「そういうことになるね。この疑惑は数年前からあってね、私も密かに内部調査をしていたんだが、このエンブレムが現場にあったことで疑惑がほぼ確信に変わった」
「で、ではエンブレムを紛失した者を探し出せばよろしいのではないでしょうか」
「もちろんデータベースと照合したよ。だけど該当するものはいなかった。本当に内部に密通者がいるならば、エンブレムの偽造や再発行はわけないだろうね。そんなところから足をつかせるほど相手も馬鹿じゃない」
「事情はわかりました。でもそれと今回の結婚はなんの関係があるのでしょうか。話がまったく見えてこないのですが」
「おおティナ、よくぞ聞いてくれたね。それを今から説明しようじゃないか」
そう言ってサイラスが机の上に肘を置き、手を組んでその上に顎を乗せる。
「君達二人にはこの警察署内にいる裏切り者を探り出してほしい。そしてその為に君達には偽装結婚をしてほしいんだ」
「ちょっと待ってください! 偽装結婚? 前者の事情はわかりましたが、後者の理由がまったく理解できません。そんな、いきなり結婚しろなんて言われましても」
「この任務にはレイの力が必要なんだ。彼は少し手を汚すこともあるけれど、犯罪の検挙率は他の追随を許さない。優秀な捜査官である彼ならきっと内部の密通者を捕まえてくれるはずだ。そして彼のサポートには君の力が必要だと判断した」
「この任務に彼が適任であることはわかりました。ですが私は関係あるのでしょうか? この重要な
「もちろん彼一人でも大きな活躍はしてくれると思うよ。ただね、レイには致命的な欠点があるんだ」
「欠点?」
「彼は絶望的に人の名前と顔が覚えられない」
「はぁーー!?!?」
デキる優秀な新人捜査官という設定も忘れてティナは吠えた。そんなアホみたいな理由で結婚させられる身にもなってほしい。
「……あいにくですが、その話はお断りします。顔と名前を覚えるくらいなら他の者もできるでしょうから」
「いや、この件に関しては君以外に適任はいない。先程内通者を捕まえるのはレイと言ったが、内通者を見つけるのは君だと思っている。私は少々不精な性格だけどね、人を見る目だけはあるつもりだよ」
優しい口調で、だがきっぱりとサイラスが断定する。
「ティナ、君の仕事ぶりを見たけど、君はプロファイリングの才能があるね。相手の表情やクセを見て性格や行動を分析する能力に長けている。君が提出した報告書をいくつか見たけど、着眼点が他の者とまるで違った。君はペン一つでも持ち主を特定できるほどの洞察力とプロファイルのスキルがある」
サイラスの言葉にティナは内心で唇を噛んだ。ボスのもとにたどり着く為に、手っ取り早く組織内で昇格しようと少しだけ本気を出してしまったのがまずかったようだ。
ティナにプロファイルのスキルがあるのは当然。なぜならそれはターゲットにハニー・トラップを仕掛けるのに必要な技術だから。
「なるほど、犯人の特定をコイツが、実際に犯人を捕まえるのが俺というわけか。そうだな、サイラス」
「ご名答だよレイ。だから君達にはこれから常に行動を共にしてほしい。公務も、プライベートもね。敵はいつどこに潜んでいるかわからない。だからこその偽装結婚さ」
「だがそれに関してはわざわざ結婚せずとも良くないか? 単にバディを組むということで十分だろ」
「いいかい。容疑者は君達二人と私以外の組織の人物全員が対象だ。君達がバディを組んで秘密裏に内部事情を探っていることは誰にもバレてはいけない。怪しまれてもいけない。ターゲットが身内だということは、逆に君達の行動も相手に筒抜けということだ」
なるほど、やっと状況が飲み込めた。「夫婦」という肩書で「バディ」の関係を隠すための偽装結婚というわけだ。警察組織内という身近な人物がターゲットだからこそ、二人が内密に動いていることを隠しきらなければならない。
やっと合点がいったレイが小さくため息をつく。
「サイラス、これは俺一人でもできることだ。わざわざ新人の手を借りる必要はない」
「でもレイ、君に任せていたら一生内通者は特定できないよ。だって君、先日捕まえた麻薬の密売人と間違えて情報局の課長を尋問しようとしただろ? 私がなんとか止めたけど、一歩間違えれば始末書もんだよ」
「あれはアイツの顔が地味すぎるだけだ」
「まぁでも君の絶望的な顔面識別能力を差し引いてもこの任務にティナの力が必要なのは確かだ。それにお前だって悪くない話だぞ。もし本当に内通者をあぶり出せたら、ボス直属の幹部へ昇進できるように取り計らってあげよう」
「本当ですか!?」
思わずティナが声をあげ、サイラスとレイが驚いたように彼女を見る。だがティナにとってそれは悲願だ。この任務を達成すれば、どう探っても手がかりを得ることができなかった秘密警察のボスに一気に近づける。
「わかりました。その条件であれば私は引き受けます──この任務、やってやろうじゃないの」
※
サイラスの言う通り、既に夫婦生活を共にする基盤は整っていた。婚姻届にサインをし、役所に提出する。バディ解消の際にバツイチの経歴は残ってしまうが、もとよりこの職業に就いている以上結婚などする気がないティナにとっては無問題だ。
サイラスから住所を聞き、レイと共に向かったのは高級住宅街に佇む一件の家だった。小さいながらも品のある戸建ての家は、いかにも新婚の夫婦が選びそうな外観だ。
レイと一緒に中に入ると、家具や最低限の生活必需品はすべて揃っていた。
「いい? 成り行きで結婚することになったけど、私とあなたは本当の意味での夫婦じゃないの。だからお互いに不用意な接触は避けましょう。私には指一本触れないで頂戴」
黒い革張りのソファに身を投げ出してくつろぐレイに、ティナがビシッと人差し指を突きつける。偉そうにふんぞり返るティナを見てレイがクツクツと笑った。
「へぇ、手ぇ出される前提か。ずいぶんと自分の容姿に自信があるんだな」
「当たり前でしょう。そこは否定しないわ」
「良いな。キツイ女は嫌いじゃない」
「悪いけど、私はあなたにあまり良い印象を抱いていないわ。犯罪の検挙率が高いのは優秀なことだと思うけど、あまり褒められたやり方ではないわね」
「世の中に嘘をついたことがない人間がいると思うか? そういう意味ではお前も同類だろ」
レイの言葉にドキリと胸が鳴る。一瞬自分がスパイであることを見抜かれたと思ったが、どうやら彼は一般的な話をしているようだ。特に何事もなくソファから立ち上がって上着を脱いでいる。
それなりに鍛えているのだろうか。上着の下のノースリーブのインナーから見える腕はやや細身だがしっかりと筋肉がついていた。
なんとなく目のやり場に困り、ティナは腕を組みながらスッと視線をそらす。
と同時にトンと壁に手をつかれ、いつの間にかティナは壁に追いやられていた。
「何かしら」
「いや、綺麗な奥さんができたと思ってな」
「口説いてるつもり? 悪いけどあなたと深い関係になる気はないの。この任務が終わったらさっさとバディも解消するつもりよ」
「そんな連れないこと言うなよ。仲良くやろうぜ」
クツクツと笑いながらレイがティナに顔を近づける。お互いの息遣いが交わる距離。だがティナは主導権を取られない為に真正面からレイを見据えた。
(この男、私を壁に追い詰めて何がしたいのかしら……)
呼吸を乱さないように気をつけながらレイの一挙手一投足に神経を研ぎ澄ます。端整な顔に見つめられながら壁に背をついて立っていると、レイの手がするりとティナの髪を梳いた。その手つきが存外優しくて、ほんの少しだけ毒気が抜かれる。
「何を……」
──するつもりなの。と言いかけた瞬間、鋭い殺気を感じてティナは反射的にレイの腕を掴んで後ろ手に捻り上げた。
もう片方の手で掴んだレイの右手には小型の銃が握られている。
「なるほどな」
両手を封じられているのにも関わらずレイが不敵に笑う。
「咄嗟の襲撃に対する防御と反撃、どんな状況においても失わない警戒心と冷静さ。この手慣れている空気、新人の捜査官ではないな──お前、何者だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます