第221話 夏の始まり

夏休みが始まってすぐ、妹の琴音が落ち込んで部屋にこもっているという話を耳にした。中学最後の全国大会をかけた県大会に挑んだ琴音は、普段なら勝てる相手だったにもかかわらず、試合中に相手からの妨害で突き飛ばされ、足をケガしてしまった。陸上界でも注目を集める実力者だった彼女は、期待に応えられなかったことのショックと、スポーツマンシップに欠ける相手の行為に対する怒りが入り混じり、悔しさを抱えていた。学校ではかろうじて普段通りに通っていたようだが、夏休みに入ってからは完全に部屋にこもってしまった。話を聞いて、特に予定がなかった俺は、彼女の力になろうと実家に戻ることを決意した。


「琴音、入っていいか?」

実家に帰り着いた俺は、早速琴音の部屋の前に立ち声をかけた。

「今は誰とも話したくない。帰って」

返ってきた声は、いつもの元気さが失われており、深く落ち込んでいる様子が伝わってきた。

「だが、入るぞ」

俺はそう言いながら、鍵もかかっていない扉を押し開けた。部屋の中に入ると、足に包帯を巻いた琴音がぼさぼさのショートヘアを無造作に垂らし、目の下には深いクマが刻まれていた。その姿に、心が痛んだ。

「色々聞いたよ。大変だったな」

あえて詳しく聞くことは避けた。彼女の今の状態を見れば、無理に聞き出すことが逆効果だとわかる。

「お願いだから、帰って。今は誰とも話したくないの」

「それはお前の勝手だが、俺はお前と話したいんだ」

琴音は簡単に他人の言うことを受け入れるような人間ではない。だから、俺も譲らなかった。


「今、どう思ってるんだ?」

「……あいつらは失格になった。でも、そんなのどうでもいい。結局、私は大会に出られなかったんだ!あんなやつらのせいで夢が壊れたのに、奴らは何事もなかったように生活してる!許せるわけないでしょ。もしもチャンスがあれば、あいつらに……」

琴音の怒りは抑えがたいものだった。今までに見せたことのない憤りと、人間不信のような目つきで俺を見つめた。


「なるほどな。でも、そのまま終わらせて、本当にいいのか?」

「何も知らないくせに!」

琴音は激しく睨みつける。その目には深い傷と怒りが混在していた。


「俺は何も知らねぇよ。でも、お前はこれからどうするつもりなんだ?陸上を続けるのか、それとも別の道を選ぶのか?このままここに閉じこもっていて、何かが変わるのか?」

慰めようとしていたはずが、少し苛立ってしまった。琴音の才能が、怒りに飲まれて消えていくのを見たくなかったのだ。


「陸上がなくなったら、私の生きる価値なんてない……」

「本当にそれほど好きなんだな。俺には、そんなふうに熱中できるものはなかったから、ちょっと羨ましいよ」

琴音は黙り込んだ。その沈黙には少しの迷いが感じられた。


「でもさ、いずれ陸上を離れる日が来る。その時、お前はどうする?コーチやトレーナーとして関わる道もあるかもしれない。今から少しずつ準備しても遅くはないんじゃないか?」

「勉強は苦手だし、無理だよ……」

「少しずつでいいんだ。分からなければ、俺が手伝うから」


琴音は再び黙り込んだが、その表情には僅かな変化が見られた。少しは届いたように感じる。

「今日はこのくらいにしておく。また何かあったらメッセージを送ってくれ。無理やりはもうしないからさ」

そう言い残して、俺は彼女の部屋を後にした。

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