第16話 距離感の争い

「あの、近すぎます! 離れてください!」 「あなたこそ、なれなれしく距離を詰めてきてるじゃないですか!」


 ここは学校の食堂。ただ双葉と昼食を取ろうとしただけの俺の平穏な時間は、椎崎の乱入によって木っ端微塵に砕け散った。そして、気がつけば、俺・双葉・椎崎という、どう考えても一緒に飯を食うような関係性ではない三人が、なぜか同じテーブルに座っている。今この瞬間も、俺の左右では隣の席をめぐって静かに、だが猛烈に火花が散っていた。


「私は良いんです。草加くんの隣に座る資格がありますから」 「私はただ、皆さんと仲良くしたいだけですので、別に問題ないかと」


 言っていることは穏やかそうに聞こえるが、声のトーンと視線の鋭さがまるでナイフの応酬。たかが席の距離感ひとつで、どうしてここまでの戦争が起きるのか、正直理解に苦しむ。


「……当の本人はどう思います?」


 椎崎が、涼しい顔で俺に視線を送ってくる。巻き込むな。こっちに振るな。何なら話題ごと食堂の外に置いてきてほしい。でも俺が言葉を発する前に、二人はさらに俺の方へと詰め寄り、肩が触れるか触れないかの距離にまで迫ってきていた。ここ、四人掛けのテーブルだよな? 俺のスペース、もう無くなってない?


「……とりあえず、一人は前の席に移ってくれ。最悪、俺がそっち行くから」


 この提案で決着がつくだろうと思ったが、甘かった。


「それ、良いアイデア! じゃあ倫太郎君がこっち来てくれれば解決だよね!」 「……それ、あなたが草加くんの隣を確保するための策略じゃないですか?」


 椎崎の鋭い指摘に、双葉は一瞬だけ視線をそらし、頬を膨らませた。


「……でも、このままじゃお昼、終わっちゃうよ?」 「……それは、否定できませんね」


 若干口論の熱が和らいだところで、俺はお盆を持ち上げ、ため息交じりに席を移動。だが、解決にはまだ早すぎた。


「じゃあ、私は左に座るから!」 「私が左です!」


 ――俺の正面をめぐる、新たな争奪戦が幕を開ける。ほんと、勘弁してくれ。


「……双葉、俺の正面でいいだろ」 「やったー!」 「……まあ、草加くんがそう言うなら、仕方ありませんね」


 ようやく火が消えた。二人は素直に食事を始めるが、さっきまでの緊張感は、まだ空気にうっすらと残っている。


「ところで双葉さんって、どうしてこの時期に転入してきたんですか? 一年の夏って、珍しいですよね?」


 椎崎が、ふと話題を変える。だが、その一言に双葉の手が止まり、箸の先が空中で硬直する。目が泳ぎ、笑顔がわずかにひきつるのがわかった。


「え、えっと、その……」


 何かを隠しているのは明白だった。けれど椎崎は、すぐに表情をやわらげる。


「……ごめんなさい。思い出したくないこともありますよね。つい、聞きすぎました」


「う、うん。大丈夫、大丈夫……」


 双葉は無理やり作ったような笑顔を見せる。その目にうっすらと陰が差したのを、俺は見逃さなかった。椎崎も、もうその話題には触れず、再び穏やかな声色に戻す。


「それにしても、双葉さんって草加くんにべったりですよね。いつも一緒にいますし」


「だって、倫太郎君が一番信頼できるから。椎崎さんには……その気持ち、わからないでしょ?」


 双葉の挑発は、言葉よりも笑顔の鋭さに宿っていた。あまりに自然な態度に、背筋がぞくりとする。


「そうですか。……では、私はこれで失礼します」


 椎崎は怒るでも、苛立つでもなく、静かに立ち上がってお盆を持つ。そして、静かに背を向けた。


「……よかったのか?」


 俺が尋ねると、双葉は俺の目をまっすぐに見て、にっこりと笑った。


「私は倫太郎君がいれば、それで十分だもん」


 その笑顔は、太陽のように眩しい。……はずなのに、なぜか、首筋に冷たい風が通り抜けたような感覚がした。ほんの一瞬だったが、俺の中の警報が微かに鳴った気がした。


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