第13話 寝てません!!

 そして――地獄のような恐怖のひとときが終わった。


「おい、起きろ。終わったぞ」

「もうちょっと…」


 トロッコの中で椎崎はぐったりと項垂れ、まるで電池が切れた人形のように力なくもたれかかっている。軽く声をかけたくらいじゃびくともしない。完全に魂が抜けた顔だ。


「……すいません、運びますね」


 俺は軽くため息をつきつつ、椎崎の身体を抱き上げた。意外と軽い。だが、それ以上に驚いたのは、彼女が無意識のうちに俺にしがみついてくるその腕の強さだった。しっかりと、まるで安心を求めるかのように、腕を俺の背中に回している。


 ……これはこれで、悪くない。


 ――なんて感傷に浸ってる場合じゃなかった。


 問題は周囲の視線だ。甘ったるい空気を纏ったカップルたちが行き交う中、俺は女子をお姫様抱っこしたまま、ゆっくりと進んでいる。明らかに目立つ。目立ちすぎる。


 ジロジロと見られる。ヒソヒソと囁かれる。指までさされてる気がする。


 耐えがたい。耐えがたいほどの羞恥心が、体温と共に俺をぐんぐん熱くさせる。


(ち、違うんだ!俺たちは、そういう関係じゃ――)


 心の中で必死に弁解するが、そんな言い訳が届くわけもない。ましてや俺自身が一番、どうしてこうなったと戸惑っている始末だ。俺は必死で視線を逸らし、なるべく無表情を貫こうと努めた。


 だが――さらなる危機が背筋を這い上がってくる。


 この人混みの中に、なぜか同じ学校の気配を感じる。制服の一部、髪型、会話のクセ……偶然か、それとも最悪の運命か、知った顔がこの場にいてもおかしくない。


(終わったな……)


 恐怖アトラクションは終わったはずなのに、俺の心は今まさに、別の意味でゾッとしている。


 咄嗟に、俺は彼女の頭に持っていたタオルをそっとかけた。顔が隠れれば、身バレのリスクは少しは減る――はず。


(……いや、むしろ怪しくなってないか?)


 抱きかかえた女の子の顔を隠す男。状況だけ切り取れば、完全に事件だ。だが、もう後戻りはできない。


 必死に人目を避け、ようやく見つけた人気のないベンチ。俺は腰を下ろし、彼女をそっと座らせようとした。が、密着していた分、椎崎は俺に絡みつくように力を抜いている。


「よいしょ……っと」


 ようやく彼女を引きはがし、ベンチに座らせた。そして、おそるおそるタオルを外す――。


 その瞬間。


「…っ!」


 ばっちり目が合った。


 椎崎の目は、まるで一瞬でスイッチが入ったかのようにカッと見開かれていた。無言。無表情。なのに、その瞳だけがぎょろりと動く。人形のような静寂と、突如動き出したホラーのような不気味さが、俺の脳を直撃する。


「うわあっ!!」


 思わず、情けない声を上げて飛び退いた。


「ちょっ! 大きな声出さないでくださいよ!」

「お前が出させたんだろ! なんで起きてんだよ!」


 椎崎は慌てて両手を振り、なんとか誤魔化そうとしてくる。その顔には、ほんのりと赤みがさしていた。


「えっと、その、私……寝てなかったんですよね」

「寝てただろ。完っ全に、沈黙してたぞ」

「いや、目はつむってましたけど、意識はあったんです!ほら、あれですよ、リラックスしてただけで――」

「もういい。その言い訳、聞くに堪えないから」


 俺は苦笑を浮かべながら、彼女の空回りを制止した。


 すると、彼女は小さく息を吐き、視線を伏せる。


「……すみません、寝てました」


 正直な一言に、俺は思わず吹き出してしまう。怒る気にもなれない。むしろこの脱力感が、妙に愛しい。


 が、彼女はすぐに追撃を加えてきた。


「でも、タオルかけられた時に目が覚めたんです。で、起きたら……抱きかかえられてて……何かもう、そのままでいいかなって」

「そのままでいいかなって……お前、どれだけ流され体質なんだよ」


 もう、呆れを通り越して笑うしかない。俺は額に手をやり、空を仰ぐ。


「まあ、もういいよ。とにかく、少し休め。マジで顔色悪いから」


 俺がそう言った瞬間、椎崎は立ち上がろうとして――


「わっ」


 ふらりと体勢を崩した。とっさに俺が支えなければ、完全に崩れ落ちていただろう。


「す、すいません……」


 彼女の声は小さく震えていた。さっきまでの強がりが嘘のように、今は頼りない。


「帰るか?」

「……嫌です。帰るのは絶対に嫌。休みますけど、まだ帰りたくないんです」


 その言葉には、妙な説得力があった。恐怖を乗り越えたあと、何かを得たような、少しだけ強くなった瞳が俺を見つめていた。


「……分かったよ。でも、次はちゃんと休んでから行こうな」

「はいっ!」


 今度は明るく、力強く返事をした椎崎。その笑顔には、ほんの少しの疲れと、それ以上の達成感がにじんでいた。


 俺がふと視線を横にやると、次のエリアの看板が目に入る。


『ロボット・ラビリンス』


 ホラーとは違う、けれどまた一筋縄ではいかなそうな名だ。


「へぇ、あのロボットって、あんなこともするんだな……」


 恐怖を乗り越えたばかりの俺たちを、新たな試練が待ち受けている――。


 だが、不思議と足取りは軽かった。俺たちは次なる迷宮へ向けて、再び歩き出したのだった。

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