第8話 波乱のバレンタイン 8/8

「輝良」


 見れば、制服から私服に着替えた明恵が自分の家から出て、俺の家へと歩いてくるところだった。


「なんだ、どうした?」


 玄関のドアから手を離し、明恵の方へと向かうと、手が届く距離に辿り着ついたとたんに、明恵は持っていた紙袋をズイッと俺の目の前に差し出してきた。


「はい、これ」

「おわっ!なんだよ、一体」

「バレンタイン」

「……へっ?」


 思わず受け取り、袋の中を覗いた俺は、頬が緩むのを抑えきれなかった。

 中に入っていたのは、俺の大好きなスイーツ。プリンだった。


「初めて作ったから、あんまり上手にできなかったけど、味は保証する」

「なぁ、今ちょっと食べてみてもいいか?」

「どうぞ」


 明恵は紙袋の中に、親切に紙のスプーンまで入れてくれていた。

 行儀が悪いのは承知のうえで、俺は紙袋の中からプリンをひとつ取り出し、紙のスプーンを使ってさっそく口に入れてみた。


「う……」

「……う?」

「旨いっ!」

「それは良かった」


 明恵が珍しく、少しだけ嬉しそうに目を細めて口角を上げる。

 明恵がくれたプリンは、俺が大好きな、ちょっと堅めでほろ苦カラメルたっぷりのレトロな感じのプリン。

 俺の好みにドンピシャだった。


「お前、こんな旨いの作れるんだな、すごいな!これだったら、胸張って本命に渡せるぞ?俺が保証してやる!」

「……は?本命?」

「うん。だってこれ、義理だろ?試作品の味見、っていうか」

「試作品?味見?」

「あぁ。だってさっき灯ちゃん言ってたぞ?料理部って美味くできるまで何回も試作するんだろ?」

「灯⁉」

「あぁそうそう。お前覚えてた?同じ保育園だった灯ちゃん。俺、すっかり忘れてたんだけど、さっき話して思い出したんだよ。つーか、まさか同じ高校だったとはなぁ……同じ料理部なら、明恵も教えてくれれば良かったのに」

「それ、灯に貰ったの?」


 いつの間にか、明恵の視線は俺が手に持っていた灯ちゃんからの紙袋に移っていた。

 気のせいか、表情が少し険しいような気がする。


「うん。帰り際に学校の廊下でな」

「ふ~ん」


 気の無さそうな返事をすると、明恵はまたスンとした顔をして、来た道を戻って行った。


「明恵、ありがとな!」


 そう声を掛けるが、振り向きもせずに家の中へと入ってしまう。


 俺、なんか明恵の気に障るような事、言っただろうか?


 不安に駆られながらも、俺は明恵から貰った食べかけのプリンにそっと蓋をして紙袋に戻すと、家の中へと入った。


 それにしても、明恵が俺の大好物を覚えていてくれたとは。

 しかも、手作りなんて!


 リビングの椅子に座って、さっきの食べかけのプリンの残りを食べる。

 ほろ苦いカラメルと甘いプリンが程よく合わさって絶妙な味で、俺は暫しの間全てを忘れて幸せの余韻に浸っていたのだった。

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