ケスト~俺を弟と呼ぶクローンの最期~

MU10

第1話

 ベッドに横たわる肉体に、無数の管が伸びている。栄養、あるいは鎮痛剤、あるいは血液。クローン特有の肉体の劣化はここ数日を境に加速するばかりだった。知識としては知っていたが、しかしそれを事実として直面することはやはり趣を異にする。

 「……なんだ、随分しおらしい面じゃないか」

 しゃがれた声が、細い喉から精一杯空気を振り絞って吐き出される。ケスト、遺伝子操作を受けた元の肉体のデータから複製された彼女は肉体年齢よりも遥かに衰えた顔でそう毒を吐いた。艶やかだった白髪は、今はすっかりその艶めきを失っている。血色もすっかり失せ、小柄な体躯からはすっかり肉が削げ落ちてしまい見るも痛々しい姿だった。

 対する俺は。俺は……。

 「ふん、うざったい姉貴面するヤツがくたばろうってところを拝んでやろうってだけのことだ」

 そう返すと、ケストはさして面白くなさそうに「そうか」とだけ溢して再び天井に視線を戻した。まあ、戻すも何も、現在のケストの五感は常人のそれを遥かに下回る機能しか発揮できていない。俺がこうしてベッドの近くにいるのは、決して心配で傍にいるからというわけではなかった。うっかり俺が「心配だから」なんて呟こうものには弱弱しい顔で笑われるに決まっている。医療機器の無機質な電子音だけが、清潔に保たれている病室の中で寒々しく響く。所作なさげな俺は、ケストの顔を直視できないまま、手元に視線を落としていた。言わなくてはいけない言葉をここまで運んでくるまで、一体どれだけの月日を要したことだろうか。今ならまだ後悔しなくても済む、そう頭では分かっているはずなのに。天才ともてはやされ、今や英雄とまで呼ばれる俺の本心は何とも心もとなく臆病風に吹きすさばれていた。



 「お前、アタシの弟になれ」

 「は?」

 それは酷い雨の日だった。その頃はついにお尋ね者になっていた俺は、暗殺から逃れて命からがら人気のない路地で雨に打たれていた。裏社会、夜の世界において俺は恐怖の象徴だった。色んな人間が、俺をアサシンとしてこぞって雇おうとした。そして、俺はその期待を裏切らないだけの結果を次々と残していった。誰が呼んだかレッドバレット。俺の噂が、闇社会に広まるのはそう時間のかからないことだった。

 けれど、そんな日々はいつしか俺の心を苛んでいく。

 無心で引き金を引く。そんな日々が続く中で、己の中で何か生物として大事なものがどんどん削れていくような感覚を日々覚えた。丁度、砂の山を削りながら棒倒しのチキンレースを繰り広げるような、そんな感覚。銃口が火を噴く、闇社会の住人たちが恐怖に歪んだ顔を晒しながら息絶えるその瞬間を幾度となく見届ける度に、身体がどんどん重くなっていく。

 そして、俺はもう一つの事実に直面する。闇社会は、みなそれぞれが独立しているようで、実は互いに身を寄せ合っているコミュニティでもある。誰が、誰を殺した。そういう怨嗟が一度広がれば、その根を断つまで奴らは止まらない。最初こそ持てはやされど、用が済めば使い捨て。分かっていても、その理不尽さにはどうにもまいった。だからだろうか、俺は雨の中で不敵に笑う彼女の誘いに、半ばやけになりながら答えた。

 「……誰だよ、お前。こんな雨の日に、傘も差さないで。それとも、こんなドブネズミを助けて悦に浸ろうって物好きか」

 「ははっ、それはいいな。けどまあ、アタシにはそういう感情を理解するためのシステムが欠落しててね。それに、人からの親切は喜んで受け取ったほうがいいとドクターは言っていた」

 「……なんだそりゃ」

 見知らぬ誰かの受け売りを、彼女は嬉々として講釈を垂れた。まるで、それを宝物であるかのように誇らしく。だからというわけではないが、しかし俺の身体から緊張がフッと抜けたのは気のせいではなかった。

 「……いいさ、勝手にすればいい。ただし、その寝首を掻かれても文句は言うなよ」

 「いいねいいね! 反抗期の弟なんて、さいっこうじゃないか!」

 「はあ……」

 何がそんなに嬉しいのか分からなかったが、それ以来俺は数年来彼女の弟として表の世界で生きることとなった。日の光を浴び、流血とも無縁の世界で俺は自分が人間であることを取り戻せた。時折、そんな毎日が夢ではないのかと思ってはケストに喧嘩を挑み、そしてボコボコにされる度これが現実なのだと人知れず噛みしめたものだ。

 


 「……んあ、しまった」

 安物のパイプ椅子のせいか、船を漕いでいるうちに少し寝てしまって身体が軋む。ぼんやりとした頭を、少しずつリブートしていく。顔を上げれば、そこにはケストが上半身を起こしてぼんやりとまだ日の上がらない外を見つめていた。

 「ケ……」

 「ん、なんだ。起きたのか。まだ寝てりゃよかったのに」

 「ばっ、お前横になってなくていいのか!」

 「そんなに大きな声出すなよ。個室ったってここは病院だぞ」

 「ぐっ……」

 正論を言われると弱い。ケストに弟と呼ばれるようになって以来、最初の頃こそケストの寝首を掻いてやろうと意気込んでいたが、政府秘匿機関PCBチームの最高傑作とも呼び声高いケストに早々に敵うわけもなく、かつて闇社会の始末者と恐れられた俺は見る影もなく反抗期をひっそりと終えた。いや、そもそも始まっていたかさえも怪しいところだが。

 俺の心配をよそに、ケストは「くぁ」とあくびを一つすると、おもむろに腕に刺さるチューブを次々と外していく。あまりにも自然に外し始めるものだから、俺もワンテンポ遅れて再度大声を出しそうになった。

 「ばっ、何やってんだお前!」

 「見りゃ分かるだろ。なんだ、寝ぼけてるのか?」

 「いやっ、ていうかそれを言うならお前の方だって……」

 俺の主張をサラッと無視しながら、ケストは眉間に皺を時々寄せながらチューブを外していく。時折自分の腕の有様を見ては苦笑していたが、その横顔は苦痛というよりも満足しているような顔にも見えた。

 「……本当に死ぬ気か」

 「もう時間の問題だ」

 ニッと、ケストは歯を見せてはにかむ。痩せこけた顔に、その表情はズルかった。そういわれては、何も返す言葉がない。分かっていっているのだろうか。感情が欠落していると言っていたケストは、俺と過ごしていくうちにすっかり人間としての機能を獲得していった。得てして、クローンと呼ばれる存在は人間的な生物を複製することに適していない。或いは、それは観測する側の主観でしかないのかもしれなが、人間らしい感情や機能が欠落していることが多いと言うデータもあった。

 そして、それはケストも例外ではなかった。だからこそというべきなのか、後天的にケストはクローンでありながら、人間らしいクローンになったという実例なのだろう。俺の内心を知ってか知らずか、そういう振る舞いがごく自然にできるようになったというあたり、ケストもまた俺と生きるうちに進化したということなのだろう。

 グッと伸びをして、ケストはベッドを降りる。ペタペタと裸足のまま歩き、ドアを開ける。

 「どこに行く気だ」

 「ん、約束を守りにだよ」



 日の昇らない屋上は寒風が吹きすさんでいた。常ならば昼のうちは洗濯ものだの、入院している患者の憩いの場であろう屋上も明け方間近の今ならば寂しいものだ。少し首を竦めながら外に出ると、先に上っていたケストは屋上を囲っている柵に手をかけながらボーっと遠くを見つめていた。

 「約束って、何かあったか。遺産の話しとか?」

 「バカいうな。大体、お前は金に困るようなクチじゃないだろう」

 「そりゃあそうだ。だったら……」

 ケストは振り返ると、その手には双剣が握られていた。赤い刀身は、鈍く光り俺の命を睨みつけているようだった。闇の世界を離れてもなお、命に向く危険には人一倍敏感である。

 ケストから滾るのは、俺への明確無比な殺意に他ならなかった。さっきまでベッドで横たわり、弱々しい姿を晒していたとは到底思えないような気に満ちている。

 ゴクリと、思わず喉が鳴る。そっと越しに手を伸ばし、無骨な双揃いの相棒へと手をかける。今まで、ケストと付き合ってきてこんなにも殺意をあからさまに向けられたことはなかった。

 「必死になれよ、死ぬぞ」

 そう聞こえた瞬間に、ケストが俺の懐へと入り込むイメージが脳裏を過った。脳が命令するよりも早く、身体は二人分ほど身を後退させる。そして次の瞬間にはケストが振るう双剣の片割れがヒュンと空を切り裂いた音がこだまする。

 「いいぞ、鈍ってないな!」

 ケストが破顔する。それはケストというクローンの、本来持つ性質。かつて英雄と呼ばれた人間を、科学で蘇らせようとした計画があった。何世代にもわたり、資金を湯水の様に投入し続け、そして生まれたクローンたちで更に殺し合わせることで完成する蟲毒の研究。俗にいう『ケース2計画』。現在では既に凍結された研究だったが、ケストはその中でも群を抜いていた研究の産物だった。肉体、センス、頭脳。それらは基準を遥かに上回るスペックを誇っている。

 だが……。

 「ぐうぅ……!」

 「——ッ!」

 ケストの乱舞する双剣を、俺は銃ではなく足技で捌いていた。双銃が近接戦にはやや不向きだということもあったが、それ以上にケストを必要以上に傷つけないためだった。殺気も戦闘意欲も通常時以上。しかしながら、クローンの摩耗した肉体は彼女のスペックをフル稼働できるほどの性能を最早出力できずにいた。

 「どうした、舐めてるのか?」

 「違う、違う……!」

 脳裏を、ケストと過ごした日々が流れていく。最初は嫌々彼女の言葉に従ったはずだった。弟などといっても、所詮は血のつながりなどない。反故にしようと思えば、いくらでも反故にできたはずだった。

 だというのに。

 今日という日まで、ずるずるとやってきてしまった。惰性だっただろうか。ぬるま湯が居心地が良かっただろうか。

 けれど、その思いの全てを本当の自分が否定する。

 才能はあった。だけど、本当はそんなこと望んでいなかった。殺すたびに、その人間の人生が見えた。残された人間、悲しむ表情。悪党だと分かっていても、人は人だ。一人で生きている人間などいるはずもない。

 救われたのだ。あの、暗闇の底から。

 『弟になれ』

 その言葉が、今も胸の奥で温もりを抱いている。そんな温もりをくれた相手に、銃口を向けるなどできるはずもなかった。

 額を汗が滑っていく。壊さないようにグラスの塔を運んでいるような錯覚を覚えた。だが、そんな逡巡は長くは続かなかった。

 ガクンと、ケストの身体が糸が切れたマリオネットのようにつんのめる。

 「ケスト!」

 咄嗟に腕を伸ばし、ケストの身体を支える。同時に、まるで紙に触れているような重量感に顔からサッと血の気が引いた。

 (こんな軽い身体から、あんな一撃を)

 後にも先にも、こんなクローンは生まれまい。だが、そんなクローンはケストの腕の中でどんどん生命力が失われていく。

 「だっ、ダメだダメだ! 逝くな、まだ死なないでくれ……!」

 目頭が熱くなる。ああ、俺ってそんなに熱いキャラだったっけか。普段はタバコふかしてスーツをビシッと決めて。んでもって、戦う時にはバキューン。かっこよく決めるのが俺だっただろう。

 だというのに、だっというのに。

 何なんだ、この体たらくは。

 「……は、男が泣くんじゃねぇよ」

 掠れるような声で、ケストはそう呟く。もう瞼も空けていられないほどに衰弱している。握っていた双剣は、とうに彼女の手を離れて転がっていた。

 「だって、だって……!」

 「……ありがとう、アタシを姉と呼んでくれて」

 「ケスト……?」

 サワサワと、明け方の空気が頬を撫でる。吹き通る風が、ケストの命を攫っていくように。頬を熱いものが流れていく。同時に、言い出せずにいた言葉がやっと、喉から振り絞ることができた。

 「俺の方こそ、ありがとう……弟と呼んでくれて!」

 「……」

 「ケスト? ケスト! なあ、おいケスト!」

 返事はなかった。ただ、俺の必死に叫ぶ声だけが屋上へとこだまする。命は果たして、死んだらどこにいくのだろう。クローンはそもそも、命と呼んでいいのかさえも曖昧だけれど。こうして、俺を弟と呼んだ姉は亡くなった。享年27歳。クローンの平均寿命である19歳を、遥かに上回った大往生だった。


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