第三話 鬱蒼たる森の魔女

 鬼灯の如き赤を灯した夜空の下、飛び出してきた少女は見事なブロンドの髪を横に結んで、大きな花緑青はなろくしょうの目を輝かせながらソフィアに抱きついた。


 ソフィアが四百年前に訪れたと言った以上、この娘も只者ではあるまい。彼女は主人に甘える猫のように、暫くソフィアへ顔を擦り付けて、ようやくクインシーに気がつくと、その端正な顔を緩めて花のように微笑んでみせた。


「はじめまして、ハンターの方ですね? 魔導具師のヴィオラです。よろしくどうぞ」


 娘は鈴を転がすような声で言う。


 魔導具師とは、さまざまな効果のある魔法の道具を作り、教会を通してハンターへと卸す職業である。無論、産業革命以降科学の進歩したこの時代に於いては魔法などは殆ど衰退して、魔導具師はその煽りを受けて尽く姿を消した職業ではあるのだが、まだ一部の卓越した技術を持ったものが、当時の科学では成し得ぬ範囲を穴埋めするように、衆生から身を隠しつつ細々と活動を続けていた。


 クインシーもまた挨拶を返すと、彼女はもう一度微笑んで、ソフィアへと向き直る。


「さ、立ち話もなんだし入って!」


 はしゃぐヴィオラの、緩いローブの紺の袖に誘われて、ヒビだらけの家の古ぼけた扉をくぐり中へ入ると、そこには外見にそぐわぬ豪華なホールがあった。一面に広がるロイヤルブルーの絨毯の中央には無限の慈愛を湛えた聖母マリア像が建てられていて、そのすぐ左右に二階へと繋がる金縁の白い階段が伸びている。


「ようこそ、私のアトリエへ」

「これは……」


 クインシーが圧倒されるような思いで言葉を零すと、それに反応して少女が得意げに指を鳴らした。


「驚きました? これは簡単に言えば重力を操作して、扉を境に異なる空間同士を繋げているんです」


 先に述べた、卓越した技術とはこういったことである。一般相対性理論が発表されて一年経つか経たないかの時代の人間の科学で、このような芸当ができるはずもない。それを、彼女は可能としていた。


「さ、こちらへ」


 ヴィオラに案内されるまま少し歩くと、応接間へと着いた。こちらはある種威圧的、圧倒的なホールとは打って変わってシンプルな部屋でありながら、ソファーや机、その他装飾などに気を遣われているのが一目でわかる構成で、安心感と共に自然と背筋が伸びるような感覚を覚える。


 彼女は二人を席に促し、自身も対面に座ると、指をパチリと鳴らした。


 すると、ティーセットが何処からかカチャカチャと楽しげな音を立てながら飛んできて、まるで社交ダンスでも踊るかのようにクルクルと宙を回ると、ティーポットがコウルドン製の上品なカップに紅茶を注ぎ入れる。カップは彼女の指揮に従ってふわりと二人の前に提供され、最後に虚空からサンドイッチを載せたスリーティアーズがマジックショーの演出が如くボワンと出現した。


「ふふっ、どうぞ」


 彼女はいたずらぽく笑って見せると、若干表情を引き締めて、言った。


「さて、改めてようこそ。早速だけど、あなた達がここに来た理由はわかっているわ。チェイテ、大変なことになってるみたいね」


 何故知っているのかと、クインシーは訝しんだ。それを察したのか、ヴィオラは言う。


「さっきソフィアに抱きついた時に記憶を見せてもらったの。単刀直入に言って、バートリ・エルジェーベトは復活しているわ。間違いない」

「どうしてそう言い切れるのです?」


 クインシーが問うた。


「中世の時代に、貴族として顕現したバートリ・エルジェーベトを滅ぼしたのが私だから。もちろんドロテアとも戦った。貴族の配下となった吸血鬼は、主人の魔力があって初めて復活する。彼女が復活しているということは、その主人の復活も確実」


 彼は信じられぬという思いと、なるほどという思いがあった。確かに、この家の構造を一人で管理し得る程の人物なのだから、ハンターとしての力量があってもおかしくは無い。しかし、ならば何故彼女が魔導具師をやっているのか、それが分からなかった。


「私は引退した身。もう戦えないのです」


 ヴィオラはクインシーを見ながら言った。どうもこの娘は人の心を読むきらいがあるらしい。兎も角、バートリ・エルジェーベトの復活が確かならば、ドロテアの言にも信憑性が出てくる。チェイテ村の集団失踪事件の真相は黒幕に直接聞く他あるまい。


「私にできるのは支援をすることだけですが、私のできる範囲であれば、全力を尽くしましょう」


 彼女は自嘲の気分をなんとか隠して言った。


「感謝します、ヴィオラさん」

「いえ、ソフィアには返しきれない恩もあります。これは私にとって当然のことなのです」


 ソフィアに向けられる感謝と尊敬の眼差し。しかし当のソフィアは何も言わず、考え込むように顎に手を添えて、ただ黙っていた。クインシーは黙る彼女をちらと見ながら、質問を投げかける。


「今の我々には情報がありません。良ければ、奴らのことを教えてはいただけませんか」


 質問の答えとして返ってきたのは、城の内部は貴族が復活する度に変わるためヴィオラにも分からぬということ。しかし侵入経路だけは変わることはなく、チェイテ城は正面の城門から入る方法と、教会の地下墓地から侵入する方法があるとのことだった。


 城というものは要塞の役割を兼ねている。ソフィアやクインシーがどれだけ強かろうが、正面から突破するのは現実的ではあるまい。だが教会から侵入しようにもやはり問題があった。


「……あの扉、呪いによって封じられていた」


 ソフィアが口を開いた。あの扉とは教会の門のことである。


「わかった。こっちで解呪の魔導器を作っておくわ」

「頼んだ」

「ええ、明日の朝までには渡せると思うわ」


 先程の自嘲から打って変わって太陽の様な笑みを浮かべて、ヴィオラは首を縦に振った。扉から出てきた時といい、今の会話といい、彼女はソフィアに大変懐いているらしい。その彼女としては、ソフィアに頼られるということはそれだけで喜ばしい事なのだろう。


「奴ら、バートリ・エルジェーベトとその配下五名は、復活したことにより私が対峙した時よりも力を付けている可能性があります」

「五名?」


 クインシーの問いにヴィオラは真剣な顔で頷く。


「ええ。執事のヨハネス、乳母のイロナ、森の巫女ダルヴァリ、下男のツルコ、女魔術師ドロテア。この五名は昔から眷属として存在していて、担当するエリアを支配しながら主人を守っているわ」


 よもや、普通のハンターであれば、一人でも苦戦する吸血鬼を、あろうことか貴族も含めた六人も討伐しなければ解決できぬ事件だったとは。これは報酬を引き上げて貰わねばなるまい。クインシーがそんな呑気なことを考えながら、スリーティアーズに並べられたサンドイッチを眺めるともなく眺めていると、難しい顔をしたソフィアが口を開いた。


「……本当にバートリ・エルジェーベトは復活しているのだな?」

「うん。それは確実だと思う」

「本来、正しく滅びた吸血鬼が蘇ることはあり得ぬ。それこそ、誰かが儀式でもせぬ限りは」


 彼女の呟くような声が、しかしはっきりと部屋に響く。静寂に包まれた部屋は、気温が二度ほど下がったように思われる。クインシーは自分の額にじっとりとした嫌な汗が流れるのを感じた。あり得ると、心の何処かで思ってしまったからだ。


 彼は第一次大戦が起こるきっかけとなったサラエボ事件の一ヶ月前、ある依頼が届いたのを思い出していた。その依頼の内容は、ペーター・プロゴロヴィッチという二百年前に滅びたはずの吸血鬼の退治。思えば、それを皮切りに他のハンター仲間も同じような依頼を受ける事が増えていたはずだ。


「つまり、誰かが何らかの目的でバートリ・エルジェーベトを復活させたと? そして、もしかすれば他の貴族も蘇っているかもしれないと?」


 クインシーの問いに、ソフィアは静かに首を横に振った。


「……断言はできん」


 それを聞いたヴィオラは、顎に手を置きながら暫く視線を左下に滑らせて、花緑青の瞳を細くすると、やがて気を紛らわせるようにサンドイッチに手を伸ばして言った。


聖然教しょうぜんきょうって知ってる?」


 無論、これは怪しい宗教勧誘の文言ではない。


「人類文明のリセットを目論む恐ろしい組織よ」


 産業革命以降、発展する技術の中で人類は科学への信仰を是とし、そこにこそ未来があると信じ込んできた。そこで、神格化された歯車の前には地球さえ生贄であるという暗黙の傲慢を嫌って、人と地球の百年を見据えて作られたのが聖然教だった。

 しかし、例えどれだけ崇高な考えがあったとしても、エゴに塗れた愚民共に触れられればそれは堕ちる。悲しいかな、今の聖然教はやり方を間違えたテロリスト集団なのだ。


「聞いたことがないな……その、聖然教が?」

「私の父、ミフネアがそこにいて、連絡が取れなくなったんです。丁度吸血鬼が復活し始めた辺りです」


 ヴィオラは明るい表情を曇らせて、それを隠すように俯くと、紅茶を一口飲んだ。ふんわり薔薇の香りのするそれはややぬるい。


「……わかった。そちらも気にしておこう」

「お願い」


 ソフィアの言葉にヴィオラは申し訳なさそうにコクリと頷いてそう言うと、もう一度紅茶を口に含み、やはりそのぬるさに顔を顰めるのだった。



 暫く穏やかな茶会を流して、やがて二人はそれぞれの部屋へと案内された。部屋は広く、机やベッド、クローゼットに化粧台、それに風呂トイレまで必要な物は揃っている。白の壁紙に暖かな橙色を灯すシャンデリアには蝋燭ではなく電球が使われていて、ここにも魔導具師の卓越した技術が垣間見える。


 ソフィアはヴィオラに礼を言って中に入ると、外套と上着をクローゼットに掛けて、身を投げるようにベッドへと倒れ込んだ。


 ヴィオラとの交流で分かったことは、バートリ・エルジェーベトの復活と、聖然教によって他の貴族も復活している可能性があることである。これは由々しき事態であった。貴族が復活するということは、あの魔王ドラキュラの復活もあり得るということに他ならないためだ。


 ソフィアは無意識に震える手を額に当てて、半ば死んだような目で暫く天井を眺めるともなく眺めていると、不意に脅されたような感覚に襲われて飛び起きる。


 そういえばまだ風呂に入っていない。


 彼女はするりと服を脱ぐと、重い足取りで風呂場へと向かうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る