#015 09.10.24 - Craig side -



あれから半年……。


"率直に言うと、気持ちの整理がついていないときのほうが楽だった。

落ち着いて自分の余計な気持ちを片付けてみると、こんなにもピアーズが恋しい。"


久しぶりに日記を綴ろうと思ってしまったのは、きっと未だに引きずり続けている報われない恋の副作用だ。

クレイグはソファに腰掛けて、ハードカバーの日記を手に取った。




ドイツでの新生活は思ったより刺激がなくて、宙を漂っているような感覚だった。

勿論学問にはうってつけの環境で、仲間たちと切磋琢磨しながら毎日勉強する日々を、楽しいと感じていなかったかどうかと聞かれれば「楽しい」という感情のほうが近いのだろう。

知識を欲するままに得られるし、身体を動かしたければ二三人ピックアップしてバスケットコートに走ることもできる。


「クレイグ。今日の授業終わり、一緒に研究室行こうぜ」


昔ドイツにいた頃にできた、古い友人であるカスパルが手を上げてクレイグを誘う。

    

次の授業の始まる鐘は、2分後に鳴ろうと控えていた。次は1限分休みがあって、そのあとはずっと研究棟にこもりっぱなしだ。この1限のうちに食事と次の実習の準備を進めなくてはならないから時間は貴重だ。


「ああ、いいよ」


幼い頃祖母がドイツに連れてきてくれた際に、父親の友人だと言う男と会うことがあった。

その男の息子がカスパルで、ドイツに渡るたび、どのような形でかは会っていたし、よく遊んだ。

カスパルは学生としては真面目だったが、女は絶やさない男だった。その端正な作りの顔と、言葉たくみに女性の気持ちを煽れるトークスキルが、彼を彼たらしめている。まるでその存在自体が、恋愛のために生まれてきたようだ。1人と付き合う期間は短いけれど、その間は骨まで愛して終わればとことん燃え尽きる。失恋の後はしばらく家から出ないこともあるしい。

けれどそんな彼がまた恋をしようと思うのは、やっぱり愛がないと生きていけないと思うからだと、いつか夜のバーで語ってくれた。




"『人間は愛がないと生きていけない』という命題が成り立つのであれば、

もう俺は人間としての死を迎えたことになるのかもしれない。"




「お前がこっちに来て、もう半年も経つのか」

「そうだな。季節も春から秋に変わった」

「オレの愛する女性も2人変わった」

「……お前、いつか背後から刺されそうだな」

「そんなことないさ、みんな幸せだったって言ってくれる」


    

銀杏並木の下を並んで歩く。風が吹くと散ってくる銀杏を少しよけながら。

広大なキャンパスでは多くの学生たちが自転車を使用している。

クレイグもカスパルも例外でなく、2人は駐輪所へ向かっていた。


「オレ、相手のことを上手に、器用に愛する自信はないけど、一途にまっすぐ愛せる自信だけはあるんだ」

「それは結構だが、もう少し器用さを身に付けた方がいいんじゃないか?」

「その言葉、そっくりそのままお前に返すよ。高校の頃から聞いてた例の相手に思いを伝えずに来ちまうなんてさ。オレだったら帰ってくるまで待ってて、って約束して毎日でも電話するね」


赤いコンパクトな自転車のカゴにボストンバッグを載せながら、カスパルが答えた。

クレイグも隣の黒い自転車にまたがる。


「……俺は不器用なんじゃなくて臆病なんだ」

「どっちも似たようなもんさ」


ドイツの秋はクレイグたちのいたアメリカのあの州よりもずっと寒い。もうマフラーが必要なのだ。

だからこうしていても、人恋しくなるのだろう。




"この日記を読み返す時には、もう笑い話にできるようになっていればいい。

こんなにも苦しい気持ちを、いつまでも抱えていたくないよ。

毎日片方の肺だけを使って呼吸しているみたいだ。"


「あーでも、お前のはちょっと違うな。お前の臆病は優しさからくる臆病だ。自分可愛さからじゃない。だから余計、手に負えないのかもな」




"本当は、思春期だけの特別な感情だと思っていた。

未来への不安や、異性に対する感情の芽生えなどから、手近にいて親しい友人に対する好意を愛情と勘違いすることはよくある。

だから高校を卒業し、安定した大学生活を送れば、この感情は消えていくものだと思っていた。

それなのに、結局5年もこの思いを捨てられないでいる"


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