#013-2
……この日から1週間後、大学のカフェテリアであのとき撮った写真を見せてもらったとき、ピアーズはひどく後悔した。
秋の紅葉は目に鮮やかで、見せてくれた写真はどれも美しく、クレイグがどんな表情でモノを見ているかが少しわかった気がするいいものばかりだった。
けれど、テーブルに並べられたどの写真よりも、真っ先に目が行ったのは例のツーショット写真。
「なあこれ……」
「ん? よく撮れてるだろ?」
そういってクレイグがニコニコと笑う。
「ダメだ、やっぱ没収」
「ほしいならやるけど、ネガはこっちにあるんでね。現像して思い出として部屋に飾っておくよ」
そういってピアーズをからかうように笑う。ピアーズはすぐさま写真を手に取り見つめた。
(だってこんなに、クレイグが好きだって顔に書いてある)
(こんなのが一生こいつの手元にも残るなんて)
(……道が離れて忘れようと願っても、忘れられなくなるに決まってる)
クレイグの最大の過失は、こんな写真をピアーズの手元に残してしまったことだ。
きっとこの先何歳になってもこの写真は捨てられない。隣で笑うクレイグの表情は、自分が世界で一番愛するそのものだから。
だからこのままずっと、手元に残して、そして忘れられなくなる。引き出しにしまっては大事に見つめなおすだろう。そしてそのたびにこの写真の中の瞬間同様、この男が好きだと強く思うのだろう。
目の前で写真を満足げに眺めるクレイグを、このとき以上に恨めしく思ったことはない。―――
そのときのことを鮮明に思い出して、つい写真に見入ってしまった。
しっかり通った鼻筋、青い瞳、まっすぐ見つめる視線、少し上がった口角、柔らかそうな色素の薄い髪、そのどれもが、ピアーズの愛するものだ。
そしてその隣にいる自分は、慌てていて、クレイグの横顔を見てしまったばかりにこんな間抜けにも恋をする青年の横顔そのもの。
写真を見つめていたピアーズを現実世界に呼び戻したのは、デスクの端に置いてあった携帯の着信だった。
呼び出し者の名前は「Craig Barraclough」。
自分の欲望が液晶画面に映っているのではないかとピアーズは疑って、二度画面を見直した。けれど、名前の表示は変わらない。そっと通話ボタンを押して画面を耳に押し当てた。
「もしもし」
『あ、ピアーズか? いま大丈夫?』
珍しく強引さはない。落ち着いたトーンでクレイグが尋ねる。
「うん、大丈夫だよ」
『ならよかった。あー、えっと……来週のさ、火曜日ってお前空いてるか?』
「来週の火曜日? あ、待ってまずいかも……」
卓上カレンダーを目で追う。もう来週の後半は3月末にかかる。
来週の月曜日から始まるツアーに行こうとしていたから、火曜日にはすでにコロラドにいるだろう。
「ごめん、オレ来週の月曜日から旅行に行こうと思っててさ」
『そうか、ならいい』
いつもは用意周到にこちらの予定がないのを確かめてから誘ってくるくせに。
ピアーズは急にもどかしくなって、勇気を振り絞った。
「あのさ、お前ももし予定がなければなんだけど」
『ん?』
「月曜日からコロラドに行く予定を立ててるところでさ。学校も始まるから期間は1週間くらい。よかったら、一緒に行かない?」
少し落ちた沈黙が怖かった。断られても急だったから仕方ないと自分に言い聞かせる。
『あー、ごめん。俺来週予定があるんだ、悪いな。気持ちだけ頂いておくよ。楽しんで』
「こっちこそ急にごめん」
『いや、先週誘われてたら絶対行ってた。お前とのお泊りデートだろ?』
「……からかうなよ」
クレイグは電話口で笑っている。ピアーズは少しむくれながら、それでもこうしてからかわれるのを嬉しく思っている自分がいる。
つい1週間前に泊まりに行ったばかりなのに、この1週間全くといっていいほど連絡がなかったのが寂しかったのかもしれない。
だからこんなにも、電話1本で胸が締まるのだ、きっとそうだ。
『今そのプラン練ってんのか?』
「うん」
『そっか。それなら邪魔しちゃ悪いかな』
「ん?」
『いや、最近お前と話してなかったからさ。少しくらい電話に付き合ってもらおうと思ってたんだけど』
「別にいいよ。でもなんか……変な感じだな」
いつもしているはずの電話なのに、耳がくすぐったく感じる。
クレイグの低くまろやかで艶のある声は、体の芯まで届く気がする。
『まあ、いつもなら会って話すからな。わざわざ電話なんて、カップルかよって話だ』
「ホントだよ。お前は最近何してんの? また講演会とか?」
『そうだな、いまは父親の助手でフランスに飛んでる。あとは大学の教授にも付き合って色んなところに行ってるよ』
「そっか、教授と親父さん、仲良いんだっけ?」
『そう。おかげで使いっぱしりにされまくってる』
クレイグがわざと呆れた風にため息をついた。それでもフットワークは軽いし、そういうことを嫌だと思っていないから引き受けているのだろう。
以前クレイグの家に行ったとき、ずいぶん母親に優しく接するようになっていたことから推察するに、父親との距離も同じように埋まっているのだろう。
「そっか、なんか充実してるな」
『ああ。こういうのは嫌じゃないし、勉強になる。他にも近隣の国はいくつか回ったから、また写真送るよ。見てほしい』
「ありがとう、楽しみにしてる」
こんなやりとりもかけがえなくて、時間が有限であるという理をすら恨みたくなる自分がいることに気づく。
「……そっか、海外か。だからここ1週間連絡なかったんだな」
『心配してくれたのか?』
「……別にそういうんじゃない」
泊まりに行った最終日、クレイグから「これから少し連絡がつかなくなる」と言われたことを思い出して出た言葉だった。
こういうことを言うとクレイグはたちまちからかってくる。
『ピアーズ君は俺がいないと寂しいか?』
「だから別にそういうんじゃないって言ってんだろ」
『……そうか。まあでも、それなら安心したわ』
少しの沈黙が気になったけれど、その真意を聞くことはできなかった。
『まあ、また落ち着いたら連絡するよ。あ、そうだ、お前の住所って前から変わってないよな?』
「住所? うん、変わってないけど」
『ならいい。じゃあ、また。旅行楽しんで来い』
「ありがとう、じゃあ」
ぷつりと切れた通話に、寂しさを感じるのはきっと自分だけだ。
毎日充実した日々を送っているらしいクレイグにはこの寂しさとは無縁だろう。
ピアーズはツアー雑誌の付箋をつけたページを開いて、来週の月曜日から始まる旅行に期待を膨らませていた。
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