#008-2

―――クレイグの父親に紹介されて3ヶ月くらい経った頃からだろうか。

シェリルは自分で言った通り、クレイグに惚れてしまっていた。これまでにないほど、熱い思いを抱いていた。それなのにクレイグはいつまでもつれないで、シェリルに指一本も触れることがない。


高慢になるつもりはないが、これまで男性に好意を向けられることが多かったシェリルにとってはもどかしいばかりで、ついに自分の誕生日という口実を使って無理にでも前進する方法を思いついた。


「クレイグ、今日の夜家に行ってもいい?」

「ああ、いいよ」


昼休みに会いに行っては、夜の約束を取り付けた。クレイグが断ることはない。

クレイグの両親には、勉強という名目でいってあった。両親がいることは殆どない。だからシェリルも、気が楽だった。クレイグの両親に気に入られている自信はあったけれど、それでも会うとなれば緊張もする。


シェリルはいつも昼間とは違う格好でクレイグの家に行った。夜は少し大人っぽいクラシカルな雰囲気の服をよく着た。

クレイグがいつもそれを褒めてくれるのが、嬉しかった。

門扉のところでチャイムを二回鳴らすといつもクレイグが鍵を開けてくれる。


    

「クレイグ、今日ねケーキ買ってきたの」

「ケーキ? なんかいいことでもあったのか?」


クレイグは玄関でスプリングコートを脱ぐシェリルの荷物を預かってくれる。

そしてそのまま荷物を部屋まで持っていってくれるのだ、いつもそう。


「うん。……後で話すね」


そういってシェリルはその足でキッチンへ向かった。冷蔵庫にケーキを入れ、振り返るとクレイグが棚から二つマグカップを出しているところだった。


「私がやるわ。いつものでいい?」

「ああ、ありがとう」


いっそ任せてくれた方がいいのに。クレイグは先に部屋に戻ったりせず、シェリルがコーヒーや紅茶を淹れるのを手伝ってくれる。


「そっちは理系の授業クラスが、学力別になったのよね?」

「ああ。そっちも語学はそうだろ?」

「ええ。できればみんなの顔と名前も覚えたいんだけど……」

「そんなに人数多いのか?」

「いいえ、増えすぎて名前と顔が一致しないの。男の人ってみんな同じように見えちゃって」

「それは大変だな」


クレイグは軽く笑いながら聞いている。男性の話をしても、クレイグは一向に構わないという風に澄ましている。シェリルはこのままだと自分が不機嫌になってしまうのがわかっていたから、そのまま話をつづけた。


    

「私、今日の数学でわからないところがあったんだけど、教えてくれる?」

「勿論」

「ありがとう」


マグカップをシェリルが、シェリルの荷物をクレイグが持って二階へ上がる。広い家なのにいつも廊下まで暖房が効いているのは、クレイグの気遣いなのだろうか。


「いまどの辺りやってる?」


部屋に戻るとさっそくクレイグ数学の教科書を開いた。シェリルも自分のノートを持ちだして、今日消化不良になった問題の書いてあるページを見せる。


「今日やったのはこの問題なんだけど……」

「ああ、これか。これは前にやったな」


そういってクレイグは自分のノートを開いた。先生の解説を見せるつもりなのだろう。


「だいたいこのパターンは階差数列に帰着する。これ見てみて。わかんないところがあったら聞いて」

「ありがとう」

「いいえ」

「あのね、クレイグ」

「ん?」

「私、明日……誕生日なの」


シェリルは勢いに任せて言葉を放った。どうしても、今日クレイグに祝って欲しかった。


「……しまったな、何も用意できてない」

「うんん、いいの。知らなかったと思うから」

「ごめんな。今日の夜どこかに食べにでも行こうか」


シェリルはこういうとき、なおさらクレイグのことがわからなくなる。

同じ部屋で何時間過ごしても、上着を脱いでノースリーブになっても、ちっとも素肌や胸元に目をやらないのに。どうしてエスコートしようとしてくれるのだろう。まるで恋人であるかのように。


「うんん、いいの」


    

そんな風に毎日に刺激がなかったから、我慢の糸が切れたのだ。きっとそうだ。


「だから、……ねえ、今日だけは、私のことちゃんと見て」


そういって、ふいに向かい合ったクレイグの手を、自分の胸元へ置く。クレイグは少しの間何も言わなかった。しかしシェリルも、クレイグの返事をもらうつもりでいたからわざと何も言いださなかった。少しの間、沈黙が宿る。


「……うん」


クレイグがシェリルに優しく口付けた。そしてその頭をかばいながら、ゆっくりベッドにシェリルの体を倒す。

シェリルは初めてではなかったけれど、こんなにも緊張したことは、後にも先にもない。

クレイグの指先が、シェリルの肌を撫でる。そのたびにシェリルは、自分の思考が乱れていくのがわかった。一枚ずつ素肌を暴かれるような羞恥心と、禁忌を犯すような背徳感が同居して、それに耐えきれなった思考が、自ら秩序を手放していく。


「ねぇクレイグ、……キスして」


その声に応えて、クレイグがシェリルの唇に優しく唇で触れる。そしてシェリルが舌を出すと、それに誘われるようにしてクレイグが舌を絡めた。


「クレイグ……好きよ……」


クレイグはそっと、シェリルの唇に再度優しく口付けた。シェリルはそれが答えだと思った。

    

だが、それが答えではなく、むしろあの行為は丸ごと、クレイグの罪悪感からきたものだと気付いた。皮肉にも、クレイグのことが好きでいつも見つめていたから気付いたのだ。彼の視線はいつも、ピアーズに注がれていると。―――



回想に浸っていると、ドアがコンコンと叩かれた。内側からノックされたのを合図とみて、シェリルがゆっくりとドアを開ける。そこには部屋着に着替えて赤らんだ顔を晒すクレイグがいた。


「ごめん、待たせた」

「うんん、いいの。それより早く布団に入って」


クレイグはシェリルに促されるまま布団へと入った。そしてぐっと身体を丸め、シェリルの方を向く。


「……悪いな、シェリル」

「いいの、私があなたといたかっただけだから」

「……ありがとう」


弱っているクレイグの額に触れる。うっすらとかいた汗に気づき、タオルで優しく拭ってやる。クレイグが目を閉じた。ここまで我慢していたのだろう。

本当は、こんなときにピアーズがそばにいればよかったのにとクレイグは思うのかもしれない。それは承知の上だ。


けれどきっと、自分からピアーズを呼ぶことなど出来ないクレイグは、一人でこの広い家の中で風邪と格闘するのだろう。だから、そばにいる。

勿論そこには、自分勝手な思惑も十分に含まれてはいるけれど、こんなときくらいわがままを言っても、誰にも咎められないと思った。


「……ごめん、少し寝るな。好きに帰ってくれていいから」


シェリルは頷く。勿論帰るつもりはないけれど、このまま大人しく寝かせてやるなら、黙って頷くのが賢明だろう。クレイグが寝付いても、シェリルはその髪を撫でるのをやめなかった。



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