#007 09.03.05 - Craig side -


―――ピアーズが遅くなったあの日。

クレイグは講義中にあったピアーズからの不在着信になんとなく嫌な予感がして、ピアーズがいつも通る校門の前で待っていた。家にも行ったが電気はついていなかったし、何より几帳面なピアーズが、クレイグの折り返しに応じなかったことが不自然だった。


もうかれこれ、3回はピアーズの携帯を鳴らしたがどれも留守電で途切れてしまう。ピアーズからきた着信は3時間前。クレイグが最後に電話をかけたのは1時間も前になる。

今日は別に放課後、約束をしていたわけでもないし、他に用事があるのかもしれない。しかしそれならやはり、ピアーズはクレイグの着信に気付いた時点でcall backを寄越すだろう。

医学部の学生にだけ課された春期休暇特別講義を恨めしく思う。


(ピアーズ、どこで何してる……?)


この日図書館で助手として働いていたシェリルが、建築学科棟の方向へ一人で向かうピアーズを見たという。それを聞いてからずっと、ここでこうして待っているのだった。


「そこの学生」


見回りにきた守衛に声をかけられる。


「誰かを待っているのか? ここはもう閉めるぞ」


懐中電灯でこちらを照らしながら聞いてくる。恰幅良く、立派なヒゲを蓄えた初老の男性だった。


「すみません、……もう少しだけここを開けておいてくれませんか? 鍵を締めたいなら俺が締めて守衛室まで持っていきます」


クレイグの真剣な声音に、守衛は少し困った表情を浮かべた。


「いや。いくらなんでも学生に鍵を渡すわけにはいかん」

「……俺の学生証をお渡します。それでもダメですか?」

「いいかい、私のクビがかかってるんだぞ? そんなことをするわけがないだろう」

「財布も荷物も丸ごとお渡ししてもいい。なんだって差し上げます。だから、もう少しだけ待ってくれませんか?」


クレイグは必死に訴えた。かつてないほど必死で、愚直になった。その思いが通じたのか


「……わかった。学生証だけ預かるよ。だが、必ず来るんだよ、いいね?」

「ええ、勿論」


守衛が投げた鍵を走り出したクレイグが受け取る。そのままクレイグはまっすぐ建築学科棟の方角へと向かった。




泣いているピアーズを見た瞬間。白状すると、怖いと思った。

何かに打ちひしがれて悲しみの底の住人となったピアーズに、どんな言葉をかければ心のドアを開けてくれるのか? これを考えたとき、学部の問題集を何冊やっても味わえないほど、頭のなかでたくさんの可能性についての演算を繰り返した。

ニアピンでもない、まっすぐ心のまんなかに差し込まれた鍵でないと、この扉が開かれることは二度となくなると直感で知った。


―――「俺は、たぶんお前が何をしても味方でいてやれるから。だから、……俺にだけは遠慮するな」―――


この言葉が、正解だったとは思わない。しかし、クレイグには他になすすべもなかった。あと自分が出来ることといえば、ピアーズの部屋に行った後、たくさんの生クリームを使ってクリームシチューを作って振る舞うくらいだった。そしてピアーズが「帰っていいよ」というので、それに素直に従ってきたのである。自分なりの配慮のつもりだった。


それでも、心の中に残るこのしこりは何だろう。もしかしたら自分は、弱っている時こそそばにいたいと伝えて拒否されるのが嫌だったのではないだろうか。


以前ピアーズに言ったように、ピアーズの将来への障壁になるつもりはない。ピアーズが生きていくために自分の存在が邪魔になるのであれば、自分の感情を差し置いてでも身を引くつもりだ。逆もまた然り。自分の存在をピアーズが必要としているのであれば何が何でもそばにいる。


あの日―……ピアーズのことが好きになったその日からクレイグは、ピアーズのために生き、ピアーズのことを思って死のうと決めたのだ。絶対や永遠を信じないクレイグが唯一心に決めたことだった。―――


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