#006-2

―――あれは大学の入学式の日だった。式の後、入学パーティが執り行われたときのこと。


ピアーズはもとからそんなに酒が飲めるたちではない。学科も関係なく、新入生たちは教授や先輩たちと混ざって歓談を楽しんでいた。


「ピアーズ。楽しんでるか?」


高校生の時は講演会や社交パーティにいくときに少しみたくらいのスーツ姿。今日はいつにもましてスーツをまとったクレイグがまぶしく見える。

ポケットに突っ込んだ左手、右手を軽く上げて挨拶する姿に、見惚れないはずがなかった。


「クレイグ……」

「誰か、待ってんの?」

「……いや」


実のところ、話し相手をしてくれていた同じ学科の男が、飲み物を取りに行ってくれている。

しかし、今のピアーズにとって、それが大した意味を持たなくなってしまった。


「それなら、俺が一番乗りだな。あっちで飲まないか」

「うん」


ピアーズは視線だけでさっきの男を探した。お茶目な目元にブラウンの髪が可愛らしく、それでいて、身長だけならコンラッドくらいはあるだろう。愛嬌のある話し方をするが、その中にも頭の良さが滲み出ていた。

男は遠くで、ウエイターに話しかけていた。希望する飲み物がなかったのだろうか。申し訳ないと思いつつも、それを横目に見ながら、クレイグのあとをついて喧噪を抜けた。

そしていまもよく使う、医学棟のテラス席まで二人で歩いてきた。


「さっき教授に教えてもらった。良いところだろ?」

「ああ、街がきれいに見える」


春の夕暮れは水彩画のように繊細だ。そこに地上の光が集まって、ぼやけた紫色の空を飾る。


「友だちは出来そう?」

「うん、そっちは」

「……教授に俺の身の上は全部バレてたよ。社交パーティであったことのある人たちも何人かいた。まあ、当然だよな。でも、みんないい人たちばかりだ」

「そっか、良かったな。これからは、同じ志を持った人たちと過ごせるから、有意義な時間になると思うよ」


ピアーズの言葉を、クレイグは黙って受け止めた。二人の間に沈黙が落ちる。


「飲み物とってくるよ。何がいい? コーラでいいか?」

「うん、ありがと。お前はお酒飲んでいいよ」

「じゃ、お言葉に甘えて」


クレイグが席を立ち、喧噪のなかに戻っていく。ピアーズは春の夕方の空気を胸に吸い込んだ。桜の花の香りが鼻孔をくすぐり、パーティの明かりが漏れてくるのがなんとも言えない趣に感じる。


「おや、先客がいたかな」


ピアーズが少しの間空気に浸っていると、どこかの教授らしい身なりの初老の男性が笑いながら近づいてきた。


「あ、すいません……」

「ああ、いや結構。誰かと待ち合わせかな?」

「医学部の友人と、ここで」

「そうか、私は医学部の者だからね、医学部の学生が来るというならぜひともご一緒したいんだけれど、どうかな?」

「ええ、喜んで」


ピアーズは内心戸惑ったが、医学部の教授であればクレイグのためにもなるかと思い取り繕った。


「君は、どこの学科なのかね」

「自分は建築学科です」

「ああ、そうか。いいね、私は芸術のセンスを少しも授からなかったから、羨ましい限りだ」


教授が愉快そうに笑う。目元のしわが人の良さを表していた。


「そのセンスがないから、それを勉強しに来たんですよ」

「はは、そうとも言えるか。おっ、キミの待ち合わせの相手と言うのはクレイグ君かね?」


教授がそういうので振り返ると、少し驚いた表情のクレイグがこちらに歩いてきていた。その流れでピアーズにグラスを手渡し、二人の間に入る。


「どうされたんです? 教授」

「キミのご友人とは知らなかった。紹介してくれるかな?」

「ええ。こちらはピアーズ・エインワーズです」

「すいません、紹介が遅れまして」


ピアーズが立ち上がり握手を求める。


「いやいや。私こそ名乗らずに申し訳ないね。アリンガムだ」

「アリンガム教授。お会いできて光栄です」

「私もだよ、若き芸術家君」


しっかりと手を握って微笑みかけてくれる。ピアーズは教授の態度に感銘を受けた。

その二人の間へ、クレイグが柔らかな物腰で問いかけてくる。


「アリンガム教授、何かお飲みになりますか。お持ちします」

「いや、すぐに私の助手が来るから。そのときにきっと持ってきてくれるはずだ」


そうしていると、その助手らしい大学院生と助教たちの群れがやってきた。そしてもとは二人だけだったのが、七人へと増えていく。


「そうか、高校からの友人なのか」

「ええ」


なぜかピアーズは助教たちに気に入られてしまい、囲まれ、色んな事を聞かれた。

その中の大学院生に一人、建築学科に彼女がいるということで、なおさら興味がわいたらしい。クレイグと教授が自分たちの付き合いを話しながらこちらを眺めているのを、ピアーズもちらりと見やる。


「ほら、ピアーズ君、もっと飲んでいいんだよ」

「あ、いえ、自分は」

「ウエイター! こっちにボトルでウイスキーをくれないか」


さっき飲んでいたはずのコーラがどこかへいってしまった。

ピアーズは狼狽する。あまりたくさんのお酒を一度に飲んだことはないし、こういう雰囲気も実は初めてだ。ピアーズだけでなくエルバートもユージンも酒に弱いので、酒に強いクレイグとコンラッドも二人だけで楽しんでいた。


「それで、ピアーズ君はなんで建築学科に入りたいと思ったの?」

「幼いころからの夢でして」

「へえ。俺の彼女変り者でさ。世界中の高層建築を見て回るって休日のたびにどこかへ出かけるんだ。高層建築って言ったって、アメリカ全土でも一生で回り切れるかどうか。でもそれを本気にしてるんだ」


    

彼の話はとどまるところを知らない。そうしている間に、ウイスキーがピアーズの目の前に置かれた。こういうときだけ用意のいいウエイターが恨めしく思う。


正直、酒に酔うのは怖い。よく酒にのまれて記憶をなくしている大人たちがいるが、ああはなりたくないと思う。記憶のないところが人生の中に数時間でもあることが怖いのだ。いつかそんなことをクレイグにも話したことがあった。

それでも、ピアーズは目の前のロックグラスを握る。


「先輩の話も少しは聞かせてくださいよ」


その瞬間、隣にやってきたのはクレイグだった。そしてさりげなくピアーズの手からロックグラスを奪う。


「おお、クレイグ君。君とも語り合いたいと思っていたんだ」


楽しそうに笑う先輩の目の前で、クレイグはぐっとウイスキーを煽って見せた。グラスはいっきに空だ。


ピアーズはクレイグの横顔を見たけれど、クレイグは何も気にすることなく先輩との話を続けている。タイミングをみて酒を飲まされそうになっているのを救い出しにきてくれたのだとわかった。


ピアーズの胸が高鳴る。どうしてこんなにも優しく、寛大なのだろう。

しかしその優しさはピアーズ対してに限ったものではない。ユージンやエルバートがここに座っていても、クレイグはそうしただろう。

    

誰にも分け隔てなく、惜しみない愛情に満ちた人。それがピアーズの目に映るクレイグだった。―――



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