#001-5
漂ってきた肉の焼けるいい匂いに、ピアーズの集中力が切れた。時計を見ると、もうあれから30分ほど経っている。香りがピアーズの空腹をくすぐる。おいしい手料理にありつけるのももう近い。ピアーズはふと、窓の外を落ちていく雪に目をやった。クレイグがカーテンを開けたままにして行ったらしい。最近はよく夜に雪が降る。
背伸びをしてピアーズは立ち上がった。窓際に近づくと、ひんやりとした冷気が窓ガラスを伝ってくる。この寒さだと明日の朝まで雪は降り続けるだろう。
クレイグの部屋の窓辺には小さなスノードームが置いてある。明らかにクレイグの趣味ではないが、冬の雰囲気を醸し出すのに一役買っている。きっとシェリルが置いて行ったのだろう。ピアーズはそれを手にとった。
クレイグが女性の友だちをそばに置いておくことは珍しい。彼女も高校の頃からの付き合いだ。彼女以外にクレイグと仲のいい女性を見たことはないのに、何故か彼女だけはクレイグのテリトリー内に入ることを許されている。
いつだったか、クレイグに彼女は恋人なのかと聞いたことがあった。その時は違うと答えた。そして同時に、可哀想な女だ、とも。そのクレイグの発言の真意を聞くことは結局出来なかったが、2人の間に確実にピアーズの知らない何かがあったのは間違いないのだろう。
先の図書館での件もそうだ。文学科の彼女は、放課後の時間を図書館での司書補佐として過ごしている。そこで彼女を目にするたびに、居心地の悪さを感じていた。
彼女とクレイグの間にどんな"契約"があったのかは知らないが、クレイグに恋する彼女の存在がピアーズの不安を煽るのには違いなかった。
「ピアーズ、飯できたぞー」
クレイグが下階から呼ぶ声がする。この声を待ちわびていたはずなのに、スノードームから弾けた思考が、ピアーズの喜びを少し鈍化させた。
「ああ、今行く」
ピアーズは振り返って叫んだ。そしてカーテンを閉める。そして手の中のスノードームをじっと見つめた。シェリルと話したことは何度かあるが、とても気の利くいい女性だ。そして趣味もいい。
もしクレイグが彼女を恋人として迎える日がきたら、自分は素直に祝ってやるべきなのだろう。頭ではわかっていても、実際そうできるか、心が納得するかと聞かれたらまだ疑問のままだ。
(あいつの幸せとオレの幸せが、合致すればいいのに。)
ピアーズはため息をついた。暖炉の熱が頬をじんわりと暖めている。
「おーい、ピアーズ?」
なかなか来ないピアーズを不思議に思ったのだろう。クレイグの声が近づいてきているから、わざわざ心配して階段を上ってきてくれているに違いない。
「分かってる、すぐ行くよ」
ピアーズはスノードームを丁寧に元の場所へ戻すと、急いで部屋を出た。廊下にはいい香りが充満している。
「ほら、はやく、冷めちまう」
そこで階段を上ってきたクレイグと鉢合わせた。クレイグの瞳は優しく、素直にピアーズを待っていたという目をしている。
「うん」
「いい肉があったから、ローストビーフにした。自信作だぜ」
「期待してる」
考えることはいっぱいあるし、不安も尽きない。
それでもとりあえずいまは、目の前にある小さな幸せを取りこぼさぬようにしようか。
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