第3話

「魔女」

 チヒロは彼女の言った言葉をそのまま繰り返した。

「あんた達がどう呼んでるかは知らないけど。私達はそう名乗る。エーテルと共に暮らす者の名よ」

 宙に浮かぶ少女は、その高度をゆっくりと低くしながら、やがてチヒロの前にふわりと足を着けた。

「それで。答えてもらってないわよ、人間。何の用事があって、こんな辺鄙な場所で死にかけてるわけ」

 まるで自分は人間ではないと言い切るような語り口に、チヒロは目を細めた。彼女はここが禁域と呼ばれていることをどうも知らない様子だ。

「教えてやってもいいが、別にあんたの断りを得なきゃここに居ちゃいけない……なんて決まりはないだろ」

「喋らせてくれと懇願するまであんたを丸焦げにしてあげてもいいのに、私はそうしてない。分かってないみたいだから言うけど、人間は魔女に逆らわない方がいいわよ」

「ああ、金儲けのために来た」

「ずいぶん素直だこと……私が脅したみたいじゃない」

「脅しじゃなきゃ何なんだ、今のは」

「だけど、嘘くさいわね。金のために死んだら本末転倒だってことくらい人間でもわかるでしょう」

 彼女はチヒロの文句を無視して続けた。

「全くもって仰るとおりなんだが、こっちは金がなくて死ぬところなんでな。それに、ここがあんな危ない場所だとは聞いてなかったんだ」

「ふうん」

 光輪を頭上に携えた少女は、疑るような視線をチヒロに向けた。

「まあ、そうだって言うなら、一旦はそうとしておきましょう」

「そうしてくれるとありがたい」

「だけどそうなると、私はあんたを追い返さないといけない――」

「そんな」

 少女の言葉を聞いたチヒロは前のめりになる。あんな不可思議な力を持った存在に立ち向かえる状態ではない。自慢のエーテル銃ですら、正面から立ち向かえるかは定かではないのだ。

 そうやって憔悴するチヒロとは違い、少女はのんきに続けた。

「――いや、追い返さないといけない、ってことはないのか」

「どっちだよ!」思わず叫ぶ。

「うるさいわね。そうする必要も、義務も、責任も、今の私には存在しないの。そのことに感謝しなさい」

 彼女は組んだ腕の上で指をとんとんと叩きながらそう言った。チヒロは思案する。本来は自分のような存在を排除する責任があった、ということだろうか。どういう都合かは知らないが、少なくともその力が今の自分に降りかからないというのは幸いだ。

「……ところで、その慈悲深い魔女サマのお名前を伺っても? 俺はチヒロ、金目のものを漁るのが趣味のしがない人間だ」

「そこまで露骨に媚びられると逆に不快よ。私のことはアオイと呼べばいいわ」

 ようやくまともに会話が成立したような気分になって、チヒロは胸をなで下ろす。

「差し支えなければ、この辺のことについて色々聞きたいんだが」

 アオイは口元に手を当て黙考した。チヒロは何かまずいことを聞いてしまったのかと汗をかいたが、少しして彼女は口を開いた。

「……構わないわ。ただし、何でもかんでも喋ってあげられるわけじゃないから、あまり期待しないこと」

「それでも十分だよ、ありがとう」


 彼女――アオイの言う分には、この巨樹の森の奥まった場所に魔女の集落があるらしい。場所は教えられないと念を押されたが、チヒロはそこまで彼女たちの集落について関心を抱いてはいなかった。あるいは、そこまで行くような危険を冒す必要を感じていなかった、とも言えるだろう。なにせ自分と同じ年頃の少女があれだけの力を振うことができるのだ、そんな存在が何人も何十人も住み着いているような場所に、進んで足を踏み入れるような判断はしなかった。

 そしてアオイは、そんな魔女の集落を飛び出して旅に出たばかりなのだ、と言う。チヒロは直感で嘘だと思ったが、余計な追求は避けることにした。

「この辺りの建物を探っていいのなら、それだけでも相当の稼ぎになる」

「ずいぶんな自信ね。ゴミしか転がってないことだって有り得るじゃない」

「直感と願望だよ。それに、ゴミにだって値はつくこともある」

「ふうん。そういうものかしら」

 どうでもいいけど、とアオイは話題を切り上げた。

「そういえば、あんたの持ってる銃だけど。それって壊れてるの?」

「まさか。これでも毎日メンテナンスしてるんだぞ」

「本当に? なんだかエーテルの流れがうるさいのよね。さっきもそれを聞きつけて来たんだから」

「な、流れ?」

「ああ、人間には聞こえないんだっけ」

 彼女が言うには、エーテルは常に流れを持って存在しているらしく、魔女たちはそれを自身の感覚器で直接見聞きできるのだという。

「それがあんたの場合は聴覚だってことか。ここみたいにエーテルの濃い場所はうるさいんじゃないのか?」

「エーテルが……変質する、って言うのが正しいのかしら。何かしらの力で性質が変わるときに音が聞こえるの。だから空間のエーテルが多い少ないでは特に何も感じないわ」

 それで、とアオイは一言置いた。

「あんたの銃貸してよ。魔女流のメンテナンスってやつを見せてあげるわ」

 チヒロは一度眉をひそめたが、諦めたように溜息を吐くと、エーテル銃の薬室が空であることを確かめた。

「それならお願いしてみますかね、魔女サマに」

 銃を受け取ったアオイは、興味深そうに隅々までそれをじろじろと眺め、見た目だけでは分からないであろうエーテル機関部を的確にとんとんと指で叩いた。

「はい、終わり」

「終わり!?」

「川の流れをせき止める葉っぱをどかしたようなものよ。大したことはしてないわ。性能が良くなりすぎててもびっくりしないこと」

「驚いてばかりだな、あんたと話してると……」

 突き返された銃に、チヒロは疑るような視線を向けながらも受け取った。

「試し撃ちだけさせてくれ」

 懐から取り出した弾丸を一発装填する。ちょうど遠くの方で散った葉に狙いを定め、エーテル機関を駆動させる。本来であれば数秒ほどを要した熱充填は、機関部のレバーを引いた瞬間にはそれを終えていた。

 銃声が響く。

 穴の開いた葉がひらひらと舞い、やがて地に落ちた。

「いい音ね。それに射撃の腕も」

「自慢できるのはこれくらいだ。しかし、いや、それにしても。メンテナンスなんてもんじゃない、大改造もいいところだ。あんた、このスキルさえあれば食っていけるだろ」

「そうなの? 魔女ならこのくらいは簡単だけどね」

 言葉とは裏腹に、アオイは嬉しそうに微笑んだ。こうしてみると、彼女は本当にただの年頃の少女にしか見えない。その頭上に浮かぶ光輪を除いては。なんでも、魔女といえど高濃度のエーテルに曝露しつづけるのはうまくないらしく、余分なエーテルを光輪として取り込み、浮遊能力に転用しているらしい。便利なものだ、とチヒロは思った。

「もっとも、うちのコロニーでは厳しいかもしれないけどな。魔法使いは嫌われてる。居るかどうかも知らない癖にな」

「居るかも知らないものをどうやって嫌うのよ」

「それは……まあ、確かにその通りだ――はは、案外しれっと入り込んでもバレないのかもな」

 堂々とコロニーをアオイが闊歩する様子を想像して、チヒロはくすりと笑った。

 そして、思いついた。

「……アオイ。あんた、金稼ぎに興味はないか?」

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