第10話 瞼の裏のメスガキ
『くすくす……』
『キャハハハ──』
一度夜中に起きてしまったせいだろうか。
意識が薄ぼんやりとしたレム睡眠の最中──暗闇の先から、どこか舌っ足らずな甘い囁き声が僅かに聞こえた気がした。
『もーサイアク! また負けたんだけどー!』
『ぷぷぷ、雑魚乙。リソースごちで~す』
置きっぱなしにしていたリバーシの盤を引っくり返すメスガキと、それを見て嘲笑うメスガキ。
様々なメスガキがやいのやいのとテーブルを囲み、次は自分の番だと息巻いている。
『ねぇもう止めてよぉ……。勝手に使っちゃ駄目って言ってるのに~……』
隅の方には、癇癪によって飛び散った駒をせっせと集める気弱そうなメスガキも居る。
『そんなの知らないもーん。次はアタシたちの番なんだから、さっさと準備しなさいよねっ!』
まるでスクールの昼休みだ。にも関わらず、このかしましさ溢れる様子に不思議と騒がしさは感じなかった。
不審者や異常事態どころか──むしろ当たり前の光景ですらあるような。そんな奇妙な感覚を抱いている。
……何だ夢か。
日々レンリさんのつよつよなアプローチに晒されているお陰で、脳が疲れてるんだな。さ、寝よ寝よ。
「メスガキが一匹、メスガキが二匹……」
俺は視界の端でウロチョロする知らないメスガキの幻をむにゃむにゃと数えつつ、慌てて戻って来たコンビニ帰りの睡魔(ダサジャージ)に意識を委ねるのであった。スヤァ……。
▼
「そーれ、どーん! 起っきろ~♡」
俺、起床。そして新しい一日の始まりを促すのは、カーテンから差し込む麗らかな日差し──ではなく。腹部に押し付けられたメスガキの尻であった。
「おっはよ~! もう朝だよ、おにーさん♡ 起きて一番最初に見られるのがドラゴン的に可愛いお嫁さんの顔だなんて、おにーさんの癖にナマイキ~♡」
「……おはようレンリさん。起こしてくれるのは大変ありがたいんだが、最後のはキス顔で待ち構えてる奴の台詞じゃないんだよな……。第一、公爵様にも粘膜接触はステイって言われたばかりだろ」
「でもでも~、寝坊助おにーさんが身体を起こした弾みでうっかりちゅーしちゃったら、それっておにーさんの有責事故でしょ?」
故意かよ。いや恋竜だったわ。
どうやらお国の事情で挙式が先送りになり、色々とお預けを食らっているせいでフラストレーションが溜まっているらしい。
王国法において、レンリさんの扱いはれっきとした成竜──つまり合法のメスガキなのだが、これでも公爵家のお嬢様だ。さしものドラゴン界隈といえど、貴族令嬢の婚前交渉は褒められた行為とは言い難い。
……もしくは単に彼女が誘い受けタイプのメスガキで、俺が必死に積み上げた理性をドミノ倒しにする瞬間を手ぐすね引いて待っているだけという説もある。
「あいにくと、俺は無事故無違反が自慢のゴールド転生者なんだ。メスガキの当たり屋になんて絶対に引っ掛かったりしない……!」
「ふーん……。ざぁ~こ♡ ヘタレ♡ こ~んな小さな女の子のお尻に踏まれて、反撃する気も起きないんですか~? ……あっ、えっちな目でおっぱい見てる~! やんやん♡ このままじゃレンリ、初夜の前にケダモノおにーさんに食べられちゃう~♡ がお~♡」
「くっ……今朝のところはパイチラを拝むだけで勘弁してやる……! 覚えてろ!」
「待て待て~! 既成事実置いてけ~♡ 噛み跡付けさせろ~♡」
前傾姿勢で浮いた寝巻きの隙間からツンと顔を覗かせる控えめな果実を前に、形勢不利を悟った俺はうつ伏せになってヘコヘコと芋虫の如く逃げ回るのであった。いつもの。
「……あれ? 昨夜は対戦してそのまま寝たと思ったけど、気の所為だったかな……?」
ふと視界に入ったテーブルの上には、綺麗に整頓されたリバーシが置かれていた──。
▼
冒険者ギルドの朝は早い。
商業ギルドと違いこちらには閉館時間の概念が存在せず、深夜帯などは職員のワンオペ営業も珍しくはないのがこの世界。
最初こそ漂うブラック臭を前に殺意の波動に目覚めそうになったものだが……冷静に考えてみると、有事の際に『今日はもう遅いから依頼は明日にしてね!』って方が洒落にならんわ。夜型の魔物とか普通にいるし。
大抵のギルドに酒場が併設されているのもそれが理由だ。まあそれはそれとして、稼いだ金を落としていけって意図が多分に含まれている気はするが。
そんな冒険者ギルドであるが、とりわけ朝は新人たちの時間となる。
いわゆる採取クエストというやつだ。
定番の薬草や茸なんかは駆け出し冒険者の大切な収入源。加えて魔力の影響を受けた素材はその辺の畑で育てた物よりも上質で、おまけに
あくまで自生の植物だから早い者勝ちになるし、同じようにスクスク育った魔物がぽこじゃか湧いてくるから、どうしても危険は付き物だけどな。
……さて、今の話を聞いて、単に農業技術が未発達なだけじゃね? 魔法チートで解決や! なーんてことを考えた未来の転生者諸君。
いいかね、君たち程度が思い付く『これまで誰もやらなかったこと』っていうのは、先人が『思い付いたけどあえてやらなかったこと』が大半だぞ!(一敗)
なんならこの世界には、過去に大儲けを目論み土魔法で野菜を育てようとした人間が、育てた野菜に逆に食われた──みたいなブラックジョークじみた魔法現象がいくつも残っていたりするからな。
そういった諸々の背景もあってか、中堅冒険者の間にはあまり新人の仕事を奪ってやるなとの暗黙の了解が存在する。
流石に自分で使う目的で採る分にはとやかく言われるようなこともないが……ギルドじゃいい歳して昼間っから酒場で飲んだくれているよりも、それなりのベテランが朝からせっせと薬草摘んでる方が白い目で見られたりするぞ。主に受付嬢とかに(二敗)
ともあれ俺はこの街──どころかこの国での活動は初めてだから、周辺の狩り場や魔物の傾向から調べなきゃならんし、追放者制度を利用しての独立だから諸々の手続きなんかも必要だ。
ギルドの職員も同じ人間……いや王国に限ってはドラゴンの可能性も否めないが、混雑時よりも暇な時間帯の方が丁寧な対応をしてくれるってのは異世界においてもさして変わらんのである。
「──だから朝はまったり過ごして、ほどほどの時間に顔を出す。これが賢い冒険者ライフってわけよ」
「なるほどのう。……つまり冒険者ギルドとは、明るい内から酒を飲んでいても叱られぬ夢のような職場なのじゃな!?」
「俺の話聞いてた?」
なので俺もそれに則り、急いで朝飯を腹に入れたらせかせかとギルドに向かう……なんてことはせず。午前中はこうしてまったりとリバーシに興じている。相手はミコトだ。
お約束と言えばその通りなのだが……このリバーシ、公爵家で爆速的に流行した。
シンプルかつ奥深いゲーム性もさることながら、これならつよつよなドラゴン様とよわよわな人間さんが対等に勝負出来るぞ! と頂点捕食者共に大人気である。着目点が独特過ぎる。
──なので早々に公爵家へ権利ごと売っ払うことにした。
と言ってもこの世界に著作権なんてものがあるわけないので、正確には俺がアイデアを献上してご褒美を頂戴するって流れだ。
元より世に出そうとしたところで、貴族が首を突っ込んで来た時点で詰むっつー悲しい事情もあるが……貴族って要はインフルエンサーだからな。
コミュニティで勝手に広めてくれる上に、一緒にオニキス君の株も上がるって寸法よ。王国に貢献してますよーって実績作りには丁度良かろう。
そんなわけで公爵家に備え付けられたリバーシのセットは日々奪い合いの様相を呈しているのだが、実は知る人ぞ知る例外があったりする。
オリジナルの盤と駒──即ち俺の私物である。
主な利用者はミコトとジルティアだ。
そもそも王国までの移動中に何度か遊んだ経験のあるこの二人は、フリーの盤と対戦相手が両方手に入る穴場の存在にいち早く気付き……その結果、俺の部屋は定期的にサボり魔共が訪れる魔窟と化した。
『こらぁ~……わたしを今すぐここから出せ~!』
ちなみに大人を弄ぶ悪いメスガキは、お高そうなシルクのシーツで巻き寿司にしてやった。
『ほらほらおにーさん♡ 出~せっ♡ さっさと出せっ♡ 出せ出せ~♡ ……出しちゃえ♡』
いかん、このまま放って置くと耳舐めFA◯ZAドラゴンが召喚されてしまう……!
フィールドからハメゴンを手札(膝上)に戻し、盤面の黒をひっくり返してターンエンドだ。……うーむ、やっぱりレンリさんと一緒だと、靴を脱げる家ってか部屋の必要性を大いに感じる今日この頃。
「ってか俺が言うのもなんだけど、ミコっさん仕事は?」
「ふむ……では給仕として、婿殿にはこのわしが手ずから一杯馳走して進ぜよう」
言うや否や、ミコトが持参したティーポットの中身を優雅な所作でカップへと注ぎ、俺に差し出した。いかにも差し入れをお持ちしましたよ風を装って部屋を開けさせ、そのままダラダラと居座るのが彼女の手口なのだ。
つーか色は赤いけどこの匂い、まさかと思うが……。
「──ささ、まずは一献」
「やっぱり酒じゃねえか!」
しかも紛らわしいことに、ホットワインだこれ。
ミコトが信じられないといった表情で慄く。
「なんじゃ婿殿、よもやこのかわゆいメイドの酒が飲めぬと申すか!?」
「これから右も左も分からない完全初見の狩り場に行くんだっつの!」
あと、なんでお前らドラゴンはどいつも自分を形容する際の自己主張がこうも激しいの……?
今日のミコトは短いスカートのメイド服だ。
自己紹介では食客と聞いていたが、どうやら公爵の個人的な友人でもあるらしく……。普段の彼女は家事手伝いの自宅警備員と大差なかった。
「そういや今日はまだジルを見てないんだが、ミコっさんは何か知ってる?」
いつもなら警護と称して、しれっと遊びに来る時間だと思うんだが……。
「あやつなら今日は非番じゃ。何やら朝からそそくさと出掛けて行ったが、まあ休日はいつもそんな感じであるしな」
「ほーん、やっぱり彼女とデートとか? ドラゴンってモテそうだし」
いや、だとしても朝からは気合いが入りすぎか。遠征して狩りとか鍛錬って方が普通に有りそうだ。
そんなことを考えていると、竜が聖剣を食らったようなポカンとした表情でミコトが見ていた。
「……婿殿、まさかとは思うがお主──ああいや、そうか。そういえば婿殿はあやつの中身を知らんのか……。うむ、こんな面白そうな話は黙っておくしかあるまいて!」
「え、何よ? なんなん?」
「いやいや、全然なーんでもないのじゃ! ……まあアレじゃな、あやつの婚期なぞ向こう百年は遅れて来ることじゃろうて。もし違っておったら、その時はわしが婿殿の専属メイドにでもなってやろうかの?」
「気の長い話だなぁ。……よし、そろそろギルドも空いてきた頃だろ。今更なんだが、レンリさんは俺が冒険者を続けることに反対だったりしないのか?」
なんせ義父となるジョナサン少年には半泣きで縋り付かれたからな。
『家を探す……? ははは、変なことを言うね。君はもう我が家の一員なんだ。否、むしろここが君の家と言っても過言じゃないよ。そ、そうだ! 試しに僕の仕事を手伝ってみないかい!? 運営している施設の半分を君にあげよう!』
俺が残ったところで別に負担が減るわけじゃないんだけどな……。あ、もちろん彼は興奮した公爵様に無事寝室まで連れて行かれたぞ。
んー……、と小さな唇に指を添えて思考を巡らせたレンリさんが、ハートの浮かぶ瞳をこちらに向けて言った。
「だってわたしがおにーさんと出会えたのって、おにーさんが冒険者になったからだもん! ……くすくす、そんな簡単な乙女心も察せないんだ~♡ やーい、にぶちん♡ 未来のメスガキハーレム王~♡」
「レンリさん……!」
いや待て──不覚にもキュンってなったが、最後の不吉な予言は何だ!?
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