【現人神の国】 其の一


 ん…………。

 あれ?

 何か首の皮掴まれてぶら下げられてる……。

 走らないでよ、いくら痛くなくたって揺れたら嫌だよ。

「船長、船長!!」

 誰なのか知らないけど、ものすごく狼狽して、ドアを開けて駆け込んだ。

 呼びかけられて振り向いたのは、立派な体格の男の人だった。

 口ひげを綺麗に整えた、ちょっと無骨な感じ。

「何だ、騒が……それは何だ?」

「はっ、黒猫の子であります!」

「密航者か?」

「食料調達の引き網に入っておりまして」

「……この辺りの海域は猫が獲れるのか?」

「自分はあり得ないと思います!」

「……私に貸したまえ」

 僕は首をつかんでた奴の手から、おじさんの手に。

 みんな同じようなおそろいの服を着てる。

 警察みたいな感じ。

「ん? お前、目が青いのか。見たことがないな、青目の黒猫とは」

 おじさん、少し微笑んだ。

「海で釣れて生きているなど、化け物としか思えません。自分は海へ帰すことを具申致します」

「バカ者。よくそんなことが言えるな。海の女神の落とし子かもしれぬだろう」

 豊穣の女神です。

 えーっと……僕は確か、ヤマトに行ってみようと思って適当な船にこっそり乗ったら……衝突して沈んだんだ。

 さすがに泳げないし、大海原相手じゃ反重力とかも歯が立たないし、そのまんま沈んで寝ちゃったんだった。

 どれくらい時間が経ったのか全然わからないや。

 やっぱり世界にはまだまだ知らない体験がたくさんある。

「それに黒猫ではないか。吉兆かもしれん」

 ほんとにこの世界の人にとって、黒猫は幸運の証なんだな。

「では放し飼いにしてネズミ退治を」

「ああ、飯は私のを分けてやる。任務に戻れ、下がってよし!」

 僕の首の皮をつかんでた奴は、敬礼して出て行った。

 ん?

 ってことは、やっぱりここは警察の船なのかな?

 軍隊だったら鎧とか剣とか装備してるし。

 全然情報がないぞ、外国。

 それも海外旅行の楽しみなのかもしれないね。

「しかし、魚獲りの網に黒猫がかかるとは。不可思議なこともあるものだ」

 とか言いながら、左腕で僕をずっと抱っこしてる。

 さては、君はものすごい猫好きだな?

 嗅覚でわかる。半端ない猫好きだ。

 一見黙って前を見て立ってるっぽいけど、口の中で何か呟いてる。

 僕に名前をつけるつもりらしい。

 ほんとに猫好きだなっ、海から釣り上げられた猫を怪しいと思わないのがすでにおかしい。

 猫好き? 違う、このおじさんは猫バカだ。

 何時間もじーっと立ったきり。

 部下の報告がちょくちょく飛び交ってて、うなずいたり短く指示を出したりするけど、ほんっとにまったく動かない。

 立ってて返事をするのが、おじさんの仕事らしい。

 ものすごい忍耐力だ。これは立派な人だぞ。

 その後、副船長? が交代に来た。

「黒猫ですか? どちらから」

「網にかかったそうだ」

「ご冗談を」

「報告を受けている」

「まさか。ここは浜の水際ではありませんぞ船長」

「目が青い、海の女神の落とし子かもしれんと思ってな。案ずるな、貴重な食料を猫に与えたりはせん。私の食事を分け与える」

「でしたら是非自分の分も」

「貴官も好きだな」

 船長のおじさんと副船長のお兄さん、苦笑。

「幼少期より、猫がいる生活は当然でしたので」

「では私と貴官で養おう」

「了解であります」

 おじさんは副船長と敬礼しあって、ドアを開けて廊下に出た。

 何だかものすごく大勢の人の気配がある。

 血の臭い……腐肉の臭いも。

 これは警察の船じゃない。

「ここは、何だ……?」

 おじさんの脚がピタッと止まった。

 まずい、うっかりしゃべった……!

 でも、船長のおじさん黙って立ってる。

 何かすごい。雰囲気からけっこう動揺してるみたいなんだけど、他の人が見てもわからないと思う。

 しばらく動かなかった船長おじさんが、右手で僕の頭をなでた。

「海軍の病院船だ。傷ついた兵士を港まで送り届ける」

 ただ者じゃない、すごい胆力。

 ああ、海にも軍があるんだ。

 だったら甲冑着けてたら泳げないから、装備が軽いんだ。

「済まぬな、猫には生臭かろう。できるだけの手当はしているのだが、傷痍兵の数に物資が追いついていない」

「じゃあ僕が治すよ。でも廊下に臭いが充満してるから、どの部屋かわからない」

 船長おじさんは「何だ?」ってなってる。

「ケガや病気を治せるんだ。女神様の大いなるご加護で」

「まさかお前、本当に女神の落とし」

「正確には眷族。でも愛しい子って呼んでくれるから似たようなものかな」

 船長おじさん、かなり怪訝そうな顔してるけど、回れ右して歩き出した。

「船の後方のほとんどが病室だ」

「適当なところに案内してくれる?」

 進むごとに少しずつ臭いの濃度が増えてく。

「そうだ、助けてくれてありがとう。僕はルイ。君は?」

「私か、エダ島独立軍大佐、ムタだ。この船を預かっている」

 大佐……ギルドランクだとBくらいかな。

「ケガ人かなりいそうだし、大変だね」

「軍医から痛み止めが底をつきそうだと報告が上がっているが、どうにもできん。こちらは離島の反乱軍、もともと物資は多くない」

「だったらよけい早く治してあげないと! 死んでなければ治せるから、早く連れて行って、死んじゃう前に! 死は神様の領域だから手を出せないんだ」

 ムタは早足になって、部屋のドアを開けた。

 うわ……昔、大規模レイドで負けた人たちを助けに行った時みたいだ。

 ひどい臭い、古くなった血と腐り始めてる肉の臭い。

 蠅が飛び回ってる。

 ベッドがない。床に敷いた布の上に並んで寝てる。

 弱いうめき声。大きな声を出せないほどの衰弱。

 ムタの腕から床に降りた。

「もう助からんかもしれんと軍医が言った兵士の部屋だ」

 巻かれた包帯が臭い。

「傷口にウジが湧いてる、逆によかった、完全に腐っちゃったものは治せないけど、なるべく綺麗にして。傷を整えて閉じてあげられるよ」

 ウジは腐肉をすするから、腐敗の進行を遅らせる。

 ムタは看護の人をおおぜい呼んで、虫を除けるように指示した。

 そして自分も取り始めた。

「船長! あなたはこんなことをなさってはいけません!」

「何を言う、手が汚れるくらい何だ、腐臭がつくくらい何だ、ひとりでも多く掬わねばならん。無駄口をきくな、ウジを取れ」

 ムタはその後ひたすら黙々と、腐肉ごとウジを拭い取り続けた。

 この人は立派な人だ。信頼して間違いない。

 看護の人とかおおぜいいるけど、もうどうでもいいや。

 人命救助が先!

 爪の先で薄く傷を削いで綺麗な切り口にした。

 そして順番に神聖魔法をかけた。

 死にかけてたはずのケガ人がすぐ治るから、みんな驚いてる。

「半分の人は他のケガ人も調べて、虫がついてたら除けておいて。それと、病気の人もいるなら重症順にまとめて。とにかく危ない人を最優先! 僕は死人は助けられないけど、死の淵なら引っ張ってあげられる」

 大騒ぎになった。

 ケガ人多数、病人たくさん。

 猫はしゃべるし傷は治るし。

 ケガがないと見た目無事そうだけど、この人、炎症で腸が破れてる。ほんと死ぬ寸前じゃないか。

 この治療地獄いつ終わるんだ、永遠に続く気さえする。

 悪夢の大規模レイド救助再び。

 全員助けたら、助けてた側の方が倒れちゃった。

 ——最後の一人、脚を複雑骨折してた人を治して、やっとひと息ついた。

 軍人かあ……冒険者とあんまり変わらないな。

 国が養うか自己責任かって違いだけ。

 あの人は肩から左腕がない。

 あの人は右足の膝下を失った。

 あの人はもう目が見えない。

 あの人も、あの人も、あの人も。

 共済、あるのかな……。

 だけど救いはある。

 治った人たちの笑い声と泣き声。

 よかった、間に合って。

「何ということだ……全員治ってしまった」

「君は僕の恩人だからね。出し惜しみはしないよ」

「膝を折って感謝せねばならん。傷痍兵の中に私の弟もいたのだ」

「えっ?! 言ってくれたらすぐ治したのに」

「順番は守らねばな」

「だってたいした手間じゃないのに」

「私がそうであるように、誰とて戦死者の遺族になどなりたくなかろう」

「尊敬するよ、ムタ。手伝えそうなことがあったら言って」

「尊敬などしなくていい。我々は互いに殺し合っているのだ。陸と島で」

「……それでも、君は人として公正で立派だ」

 ムタは僕を抱え上げて、少し笑顔になった。

「よくやってくれた。改めて礼を言う」

「僕を助けてくれてご飯もくれる人だから、気にしないで」

「それなら副船長のヤマサキとも話してやってくれ。あいつは猫バカだ」

 自分のことは棚上げか。

「しかし……さすがに臭うな、風呂に入るぞ」

「うわ! 嫌だっ、濡れるの嫌だー!」

「ダメだ、臭うぞお前」

「ムタだって臭いよ!」

「だから風呂に入るのだろうが」

「嫌だあああぁ」

 狭い風呂に連行されて、洗われてしまった……。

 何でみんなそんなに僕を洗いたがるんだ。

「お風呂、ちょっと塩辛かった」

「船の中で真水は貴重だ。これでも薄めてあるだけましだ」

「初めて入ったよ、海水のお風呂なんて」

「体が温まるし汚れもよく落ちる」

 そして食堂みたいなとこに行った。

「交代だったのに看病したから、遅くなっちゃったね」

 料理役の人に「小さめの皿をくれ」って言って、食事のトレーを取り、お皿を受け取った。

「さっき船室にお運びしたら不在でいらしたので」

「済まんな、所用で外していた」

「猫ですか? いったいどこから?」

「海の女神の愛し子だ」

「あっ、目が青い。本当に海の女神の子どもかな」

「ああ……この船の守護神だ」

 そう言いながらムタは2本の細い枝? で器用にご飯を皿に分けた。

 席に着いて、自分の足と並べてお皿を置いた。

「しかし、あれはどういう術だ?」

「魔法だよ。神聖魔法っていって、なくなったものとなかったもの以外はほぼ治せる」

「魔法、お前、となりのバヤバ——ではない、去年政変があって王家が変わったのだったな。今はレーモント王国か、あそこから来たのか?」

「え? 王家変わったの? 僕、適当に乗った船が事故で沈んじゃって、海の底で寝てたから。っていうか、バヤバって……僕が海に出る前に政争起こしてた奴だったと思うけど」

「……お前、何年生きておるのだ」

「えっと、バヤバ王国って何年続いたの?」

「ん……他国の歴史には明るくないが、100年程度だったと思う」

「じゃあ900年くらいだね。さすがに数えていられないから、大まかに」

 ムタ、黙っちゃったよ。

 ご飯、もぐもぐ食べて、飲み込んだ。

「密航はいかんぞ、よいな?」

 あ、話題変えた。

「猫ってそういうのが不便なんだ。切符の窓口に飛び乗って係の人に話しかけたら、間違いなく大騒ぎさ。馬車なら愛嬌みせれば乗せてもらえるけど、さすがに船はね」

「陸路は使わなかったのか」

「陸路だと目的地まで遠くて。海路の方が近かったんだよ」

「どこに行くのだ?」

「ヤマトの、ツバメってとこ」

「私の父の出身地だ」

「偶然だ! 君のお父さんもカタナ作ってるの?」

「刀? いや、父は帝国軍人だ。伯父は刀鍛冶だが」

「僕が持ってるカタナを造った人、わからないかなあ……」

「刀を持っているだと?」

「うん。木箱にナギ、ナミって書かれて、2振り。たぶん800年前くらい。人間は寿命が短いから、誤差が大きくて」

「800年前の刀?」

「ご飯が終わったら見せてあげるよ」

 国が変わると食事も変わるんだなあ。

 この白い粒、肉食動物には手強い。丸飲みしかない。

 やっぱり猫は動物性タンパク一択だよ。

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