【その名はビスマルク】 Act.7


 理解して見守ってくれる大人たちがいるって、とっても大事だ。

 マルクは今、一時預かりでロザリア家にいる。

 表情が少しずつ変わってきて、緊張も肩の力も抜けてきた。

 警察の取り調べ、お母さんは素直に自供した。

 その日のうちにマルクの親権一時停止。

 ブタ野郎は密売の仲介容疑で逮捕された。

 マルクのお父さんが密売に関与してたのは警察に知られちゃったけど、すでに亡くなった人は裁判に出られないし、資格も剥奪できない。

 あんまり重罪だと死後剥奪もあるけど、このケースは悪質じゃないから。

 子どもの将来に関わる大問題だから、警察も表沙汰にしないと決定したみたいだ。

 魔物に殺された。それだけが事実。

 1か月くらいでマルクのお母さんは親権を失って、子どもの権利に直結することなので裁判所は素早く対応してくれた。

 校長先生が未成年者後見人になってくれた。

 僕は意識になくて訊かなかったんだけど、出生届が出てなくて、ビスマルクを本名として登録できた幸運。

 もう大丈夫。

 体のことは、これからもっと大変になると思うけど、乗り越えられる、心配しないで。

 辛いことがあったら泣いてもいいし、僕に愚痴を言ってもいい。

 たぶん、そのために校長先生は僕を滞在させたんだろう。

 安心できる家、清潔な環境、美味しくて栄養がある食事、そして愛情。

 子どもがのびのび育つのに絶対必要な環境がここにある。

 それ以上に恵まれた環境だ。

 勉強し放題。教えてもらい放題。

 校長先生の奥さんが、以前、普通学校の先生だった。

 マルクの成績、どんどん上がる。

 凄いなー、ジルくらいすごい。

 この子も飛び級するな。

 とか思ってるうちに飛び級。

 本当にジルの時みたいだ。砂の山に水を流してる感じ。

 どんどん吸っていく。

 ひとつだけジルと違うのは、知識を増やすだけじゃなく、平行して教養も身についてきてること。

「お父さんとお母さんには絶対に恥をかかせたくないし、僕ももっといろんなことを知りたい。ここはいくらでも勉強できる。こんな世界があるなんて考えもしなかった」

 校長先生夫妻を、マルクは父母と喚ぶ。

 とっても大きな恩、伝えられる限りの親愛を込めて。

「少しは休みなよ、勉強しすぎだ、君は」

 ああ、久しぶりに言った、この言葉。

 ロランもそうだけど、アーサーなんかもう命がけみたいな勢いで、休ませるのに本当に苦労した。

 止めなきゃと思って、うっかりしゃべっちゃったよ。

「定時に休憩するようにって言ってるでしょ。視力落ちたら大好きな勉強に支障が出るよ」

「あともう2ページだけ」

 って言っておきながら、結局5ページ。

「もしかして、視力が落ちても僕が治すだろうとか甘ったれてる?」

「そんなことないよ、ルイ」

 絶対思ってる。

「君はこのまま普通校を続ける?」

「まさか。初等科の卒業見込みが出たら魔術学校の受験資格を取るよ」

「だよね。何科に行くつもりなの?」

「戦闘科」

「……君に昔話をしてあげるよ」


 ヴァルターシュタイン家が9代目の時。

 当主が名誉の戦死、残ったのは4才の長女と2才の長男。

 先代当主には男の兄弟がいなかった。

 年が離れた妹がいた。

 16才の少女、魔術学校の学生だった。8年生。

 先代に男の兄弟がいないから、次期当主の後見人になれる人がいない。

 再従兄弟が名乗り出た。

 でもそれはしきたり破り。

 やっぱり揉めたけど、それを解決したのは先代の妹だった。

 僕は肖像画を見たよ、それはもう、凛としてカッコよくて。

 最初は青年だと思った。女性になんて見えなかったし——思いもしなかった。

 とても端正な面立ちの人だった。

 青髪碧眼の彼女はカレン。

 魔術学校を卒業して魔術師になると、甥の後見に名乗りを挙げた。

 もちろん、女が何言ってんだって再従兄弟は文句言った。

 だけど親族会議でカレンが後見人になった。

 彼女の髪色と瞳がヴァルターシュタインブルーだったから。

 本来なら男子にしか遺伝しないはずの色。

 直系の証。

 女の子だけど、一族が〝直系男子〟とした。暫定的に。

 非常時だったからね。

 遠い分家より若くて優秀な直系の叔母の方が妥当な選択。

 さらに、カレンは強かった……猛烈に強かった。

 そして立派な人格者だった。

 もうカレンが当主でいいだろって周囲が言うほどだった。

 小さいけど、周囲が困ったことがひとつ。

 求婚の手紙が毎日束になって送りつけられてくるけど、封を切りもしなかった。

 束ごとゴミ箱に直行さ。

 それでたまに、重要な手紙も捨ててしまうことがある。

 だからハウスキーパーは彼女が捨てた手紙の束をいつも確認してた。

 誰が求婚したって関係ない。束のまま捨てるんだから。

 欠点はこれくらい。

 彼女が18才、甥は4才。

 後見人を務め上げる頃、彼女は30才を超えてる。

 だけどそんなの全然気にしなくて、ひたすら後見人で、当主代理。

 当主の代わりにバリバリ討伐する。

 大規模レイドでは、腕に大ケガしても離脱しないで指揮を執ったそうだ。

 私を治す魔力は他の負傷者に回せって。

 代理とはいえ、ヴァルターシュタインの歴史でたったひとり、当主を名乗れた女性。

 そして甥が17才で魔術師になると、彼女は鮮やかに身を退いた。

 魔術師は55才まで現役を続けた。年を重ねても、それはもう強かったって。

 家督を甥に返したら、ヴァルターシュタイン家の別邸に移った。

 ハウスキーパーさんがひとり、忙しいけど穏やかな日々。

 凛とした美貌は衰えず、60才を過ぎてもまだ求婚の手紙がきてた。

 生涯独身だった。


「カレンが君と同じだったかどうか、僕にはわからない。単なる面倒くさがりで、結婚に不向きな人だったのかもしれない」

 マルクはじっと僕の話を聞いてる。

「ただ、カレンには札が3枚あった。実力、人格、そして青髪碧眼。その気になれば、乗っ取れたのかもしれない。青髪碧眼はヴァルターシュタイン直系男子にしか遺伝しないんだけど、彼女はそれを持ってた。でもカードを切らなかった。幻の女性当主を選んだ」

 箱座りを崩してゴロンと寝転んだ。

「君に見習えばなんてバカなことは言わない。僕が言いたいのは、君には一番カッコいいって思える生き方をしてほしいんだ」

「カッコいい生き方、いいね、それ。うん」

「本当にカッコいい生き方してたら、理屈抜きで認めてくれる人がたくさんできる。それはとてもステキな人生だよ。もちろん君にもできる」

「いろいろ辛いことがないわけじゃないけどね、実際」

 女性特有の現象が始まっちゃったしねえ……それが一番辛いかな、この子には。

「痛かったら言って、ケアくらいしかできないけど」

 神聖魔法を込めたハンドタオル、1年かけて会得した。

 僕は戦闘魔獣だから、技術魔術はコツがつかめなくて。

「ありがとう。本当に助かってる、2、3日目の鈍痛が嘘みたいに消えて」

「さすがに出血は止めてあげられないんだけど」

「まあ、うん……女だなぁって、ちょっと切なくなるけど、仕方ないよ」

「でもペチャパイだからよかったじゃないか。真っ平らだ」

「確かにそうだけど、直球で言われるとすっごく嫌だ!」

 その真っ平らな胸は、きっと天主様のお慈悲だよ。

 君が苦しみながらも懸命に誠実に生きているから。

「まあ、ともあれ、急ぎすぎなくてもいいんじゃない? どういうわけかヴァルターシュタインの血筋の人はいろいろ急ぐんだ。生き急いだり死に急いだり」

「意味、変わらないよ」

「急がなくても大丈夫、ちゃんとその時が来れば」

 美少年顔のマルクは、微笑んで言った。

「機が熟せば、だね」

 今気づいたよ。

 君は、ほんの少しだけ、ロランに似てる——。

 面影や声の感じが、少年時代のロランに。

「いい言葉だよね、機が熟せばって。精一杯努力してその機会を迎えたいよ」

 もう子ども扱いできないな。

 マルクは腕を上げて伸びをして、立ち上がった。

「お風呂に入るから君もおいで」

 そうだった……こんな苦手な趣味、マルクも持ってた!

「やだ」

「やだじゃないよ、ちゃんと綺麗にしておかないとカッコよくない」

「——」

「毛繕いなんて、体の半分も綺麗にならないよ」

 うわ、言い方までロランっぽくなってきた。

「先に行くから、必ずおいで」

 そう言ってドアに向かって、少し開けたところで止まった。

「ねえ、ルイ」

「なあに?」

「これは、僕の勝手な気持ちなんだけど……僕が魔術師になれたら、バディになってくれな——あ、えっと、ごめん! 君はコールサルトだった、僕の手には余る、やっぱり取り消しっ」

 って、急いで逃げて行ったけど。


 大丈夫。

 1度つかんだ手は放すな。

 ちゃんと見守るよ、君の一生。

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