【その名はビスマルク】 Act.4
「俺、早く男になりたいんだ、すぐにでも」
ご飯食べてひと休み。
マルクは木の下に座って、幹を背もたれにして言う。
「どうしてそんなに急ぐんだい?」
「あいつが、2年くらいしたら完全に女になるって言ったんだ」
「……それは事実かもしれない」
「やっぱりそうなんだ! だったら学校に行ってる時間なんかない!」
「君、全然覚えてないな、さっきの話」
「——男に生まれ変わる魔法、やっぱりないのかな」
「残念ながら」
マルク、しおれてる。
君にとっては命がかかるほど切実な問題。
うかつなことは言えないなあ、わからないんだから。
「可能性として、もしかしたら他の国でそういうことが可能だったりするかもしれない。可能性は常にゼロじゃないから。でも仮に方法があったとしても、君にひとり旅は推奨できない。危険すぎるし、2年でたどり着けるかわからないし」
「……やっぱり無理なんだ。俺は女で生きてくしかないんだ……耐えらんないよ」
マルクのかたわらで僕は丸くなった。
「僕に魔法の使い方を教えてくれた師匠は女性だった。とっても綺麗で、笑顔がステキで、微笑むととても優しい人。微笑みのクレアっていう呼び名があった」
「俺は女なんかになりたくねえ」
「このあだ名を口にする時、歴戦の冒険者たちも身構える。彼女の微笑みがステキだったからじゃなく、恐れられてついたあだ名だから」
「女だろ」
「結婚する前は戦闘魔術師で、彼女が通った後には溺れて死んだ魔物の死体しかない、って言われるくらい、ものすごい魔術師だったんだ。戦闘中も微笑んでたから、そういう二つ名がついた。実際にほんの少しの笑みを浮かべて、とんでもない魔法を放つ人だった」
「でも女じゃん」
「もしも体を変えられなかったら、生き方を考えなきゃならないよ」
「いいよ、女になる前に死ぬから」
せっかく美味しいご飯食べさせてあげたのに、短絡思考から離れなよ。
「産んでもらっただけでもありがたいから死ぬなとか、自殺したら地獄に堕ちるから死ぬなとか、そういうつまんないことは言わない。でもね、この先ずっと可能性は続くのに、それを投げ捨てて簡単に死ぬとかいう臆病者は尊敬できない」
「おれは臆病なんかじゃねえ!」
「十分臆病者だ。どうして女になる前に無理やり対策しなくちゃいけないの? 論理的根拠は何? 女になってからでも戻れる方法があるかもって考えたことないの? それなら自分で魔法を研究しようとか、そういう考え方はできないの?」
「それは…………」
「今は無理っていうのは、今がその時じゃないからだ。君は今、幼児みたいに駄々をこねてるだけ。今できないことに執着したって、できないものはできないの。その現実をしっかり認めた上で、じゃあ未来に向けてどうするかって考えるのが勇気がある生き方」
「できないんだ、な……」
「じゃ、未来について考える前に、僕はひと眠りさせてもらうよ」
少し寝て起きて、お日様を見る。
1時間くらい寝てたかな。
マルクはまだ隣にいて、起き上がって伸びをしてる僕に大声をかけてきた。
「あのさっ!!」
「よせよっ、寝起きのあくびが中途半端になっちゃったじゃないか!」
「あ、悪ぃ」
「いったい何だよ、起き抜けに」
マルクは元気はつらつ。
何かいいことを思いついたんだな、よかった。
「神聖魔法って何でも治せるんだよなっ?!」
ぬか喜びだった。
「……治せません」
「知ってるみたいに言うな!」
「はーい、持ってるよー、11の魔法のうちのひとつでーす」
「持ってるのか!? じゃあできるだろ!?」
「500年魔獣やってて、そんな芸当できたことないし、そもそもできない」
「何でも治るんだろ!?」
「みんな〝何でも〟って口にするけど、死体は生き返らせられないし、ないものを創ることもできない。それは神々の領域だから、生者は関与できません」
「やっぱりダメなのか……」
「魔物に噛みちぎられた脚は治せるけど、食べられちゃった脚は生やせない。ないもの、なくなったものに対しては無力」
ガッカリ度が可哀想なくらいなんだけど、どうしてあげることもできない。
いや、それ以前の問題だ。
「君は僕が昼寝してる間、そんなこと考えてたの? 昼寝の邪魔をしなかったのは嬉しいけど、もっと別の方向性を探っていてほしかった」
やっぱり無理かな。
男のようになりたいんじゃなくて、男になりたいっていうんだもん。
無理だー、何だかもう逃げたいよほんと。
ここを渓谷沿いにずっと神足で進んだら、半日ちょっとで町があるのに。
ああ、美味しいヘッジホッグ食べたい。
「俺、そろそろ帰る」
マルクが立ち上がりかけた時、人が近づいてくる気配がした。
まず酒臭さ。お酒そのものじゃなくて、息。
それと、お盛んなのはどうでもいいけど、出歩く前に水浴びくらいしたら?
せめてアレだけでも洗いなよ。
混ざって臭うから吐き気がするよ。
姿が見えた。
シャツに革の前閉じベスト、ヨレヨレのズボン、薄汚いブーツ。
「アリア! 今日の獲物は!?」
耳障りな声で怒鳴らないでよ、まるで紙やすりみたいだ。
ズカズカ近づいて来て、11才女子の胸ぐらをつかむ中年の男。
今ここでレザークローで殺しても、放っておけば誰かが食べるよね。
……現実には、そうはいかないのがもどかしいな。
人間を傷つけたら僕は魔物になってしまう。
「獲物はと訊いてるんだよ!!」
「と……獲れてない……」
胸ぐらをつかんだ手を思いっきり下に振ったから、マルクは顔から地面に叩きつけられた。
そして、臭い男は酒で濁った目を僕に向けた。
「こんなガキ猫、スープのダシにもなりゃしねえ!」
そう吠えて僕をつかもうとした。
オ ロ カ モ ノ メ。
かけた力と同等の反発力を食らって、男は吹っ飛んで木の幹に背中から当たって、地面に前のめりに倒れて動かなくなった。
ほっとこう。事故だ。
それよりこっちだよ。
マルクは頑張って起き上がったけど、額に赤いアザ。
ほっとくと青黒い内出血になる。
鼻を打って鼻血がダラダラ。
これ、鼻軟骨折れてるかもな。
「じっとしてて、治すから」
神聖魔法を飛ばした。フワッと光って傷が消えた。
「……痛くなくなった」
「神聖魔法だよ。もともとないものと失ったもの以外はすぐ治る」
「ありがと……」
初めてお礼を言われた。
「狩りは君が担当なの? あいつは何もしないの?」
「母ちゃんが渡した金で遊んでる……父さんが遺した金……本当は俺の学費にするつもりだったんだ。父さんは俺を町に降ろして学校に行かせるつもりだったんだ。でもまだ小さいから寄宿舎に入れる年まで待つって」
やっぱり殺そうかな、あいつ。
本当に、ものすごく殺したい。
でも我慢我慢……魔物になっちゃダメだ。
「君は学校に行きたかった?」
「……怖いから嫌だ……だって俺の体、男じゃない……町に入ったら、俺は女の子にならなきゃダメなんだろ? 母ちゃんがしつこく言う、女の子らしくしろって」
うーん……うかつなことは言えない状況。
「無理だ、無理なもんは無理だ。学校なんか行かなくても食っていけるんだ」
「——何にしても、僕から提案できることはただひとつ。町に行くよ」
「だ、だから俺は」
「問答無用だ! こんな腐ったオークみたいなのと一緒にいて、今まで無事だったのが奇跡だよ! このままいたら本当に女にされるぞ!!」
真っ青になって息を呑んだマルクに言った。
「持ってくるものがあるなら持って来て。こいつの動きを止めるから」
拘束。半日もすれば解けるように。
一応、僕もマルクについて行った。
まあ、森の中の一軒家の典型的な造作。
少しばかり中で揉めたみたいだけど、マルクは肩掛けカバンを持って飛び出して来た。
いきなり積極的に、かつ全力で逃げる姿勢。
「中で何があったの」
「ブッ叩いてきた!」
「お母さん? 何で」
「あいつが帰ってくるまで裸で座ってろとかバカなこと言った! 本気で!」
母親? 娼館の遣り手じゃないか。
「君のお父さんはひどい女性に引っかかったな!」
「いいとこのお坊ちゃんで世間知らずだったんだってさ、あいつが言ってた」
あー、もー、こんなんじゃ距離稼げないな。
「マルク、腹ばいに寝て」
「何言ってんだ、逃げなきゃ!」
「猛スピードで逃げるんだよ!」
腹ばいに寝たマルクに反重力の魔法。
「滑り心地は保証するけど、本当に速いから覚悟して」
あとは神足で一気に飛ばす!
後ろで何か悲鳴上げてるけど気にしない。
とにかく逃げる、少しでも遠くに引き離す。
捕まったら、マルクは終わりだ。
あるいは僕が魔物に堕落するかもね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます