【危機】 Act.5


 ジル・ヴァルターシュタイン、24才。

 1年飛び級して魔術学校の4年生。

 周囲はほとんど年下だ。10代前半で入って来る子が大半だから。

 でも大人だからって飛び級できるわけじゃない。

 ちゃんと成績がよくないと。

 周りの子たちや先生たちともうまくつき合えてるみたいで、そこそこ市民さんたちにも受け入れられてきてる。

 とりあえず、ヴァルターシュタイン家に入ってからは問題起こしてない。

 もちろん懐疑的な人だっている。

 兵法知ってる人たちね。

 ときどきギルドに簡単な書類とかのお遣いに行くと、ホールにたむろしてる冒険者や魔術師が僕をなでたり抱っこしたりして話してる。

 ジルが次期当主になるかどうか、賭けをしてるんだ。

 オッズはまあ……なるって賭けてる人は、いわゆる逆張りってやつ。

 大穴狙い。

 討伐関係者の7割くらいが無理だろって言ってる。

「あんなヘラヘラしたのが次期当主とか、ねえだろ」

「強けりゃいいって問題じゃねえしな、あの家は」

「いざって時に頼れる、それがヴァルターシュタインだ」

「信用も込みでな」

「当たり前だ、どんなに強くたって信頼できねえ奴と討伐に行けるか!」

「ギリギリこれ無理だヤバい、ってくらいの状況にならない限り、逃げねえような気がするんだよな」

「え? お前あいつ信じてんの?」

「いや……あいつ、ちょっと承認欲求強すぎる気がするんでな。いいとこ見せて褒めてもらってさ、そういうの欲しくて必死なふうに見える」

「確かに押しが強いとこあるって次女が言ってたな……俺すごい? みてえな」

「だが、無理ヤバいとなったら、ものすげえ逃げ足発揮しそう」

「そこが一緒に討伐やりたくねえと思うところなんだ。俺の嗅覚がそう言ってる」

 一廉の冒険者の言葉には重みがある。

 嗅覚、大事。閃きとか、そういうの。

 本当に命を左右することがあるから。

 ジルに関しては、僕だって情け無用ってわけじゃない。

 境遇が不幸すぎた。

 家を出されてしまったお母さん。

 悪いことに手を染めて廃業で、子どもがいて。

 子どもがいなくてひとりだったら、暮らしていけたかも。

 手っ取り早かったのに。

 理由は不明だけど、そうしなかった。

 ひとりになれば楽。

 でももうその頃には、レスタは婚約者のライザと結婚してたはず。

 そこで躊躇しちゃったのかもしれないな、ジルを手放すのを。

 いっそ乗り込んでって戦争起こすくらいの気概があったら、ふたりともそれなりに生活できてたかもしれなかった。

 としても絶対揉める、ジルと、その後に生まれてくるだろう男の子との間。

 事実上の長男と法的長男。

 ところが蓋を開けてみたら子どもはできなかった。

 もしも……無駄なことだけど、もしもジルが物心つく前にヴァルターシュタイン家に託してくれていたら。

 立派な次期当主に育ったかもしれなかった。

 お妾さんの子ども、お父さんを知らなかったジル。

 学校で虐められて行きたくなくなったのかも。

 不良のグループ、もしかしたらみんな境遇が似てた?

 自分の居場所になって、悪いこともたくさんして、仲間の間では認められても社会からは拒まれる。

 どんなに認めてもらえても、少年グループ。成人になったらいられない。

 認めてほしい、居場所がほしい……さまざまなものに飢えてる、彼は。

 まるで子どもみたいにレスタやライザに甘えるのも。

 ……だけど、同情はしてもそこまでだ。

 真面目にやれば魔術師にはなれる。君はとても優秀。

 成績はね。だから魔術師にはなれる。

 それが次期当主になれるのかっていうのは、話が別。

 そして、また面倒な展開になった。

 ジルが魔法結界の適性持ってた——。

 青髪碧眼だし、学校では大魔術師の再来かとか言われて、レスタは泣いて喜ぶし、ジルはこれで俺も歴史に名が残る大魔術師になれる、と。

 いや、そうじゃなくて……。

 魔法でも物理でも、結界っていうのは本当に死ぬ覚悟がある人でないと依頼してこないの。

 死にたくない人は結界が必要な討伐には行かない。

 覚悟を決めて、自分の命を託せるだけの信頼を置いた術士でなきゃ、怖くて頼めないんだよ。

 ロランにはそれだけの器があった。

 鮮明に思い出すよ、最初のティアマト討伐。

 死ぬのが前提みたいな無謀な戦い。

 初等部の子かってくらい小柄なロランに、みんな命を預けた。

 こいつなら必ずやってくれるって、絶対の信頼。

 ダメだったらしょうがないさ、あっはっはー……みんなの笑い声。

 それがないんだ、君には……。

 一緒に討伐やるの嫌だっていう人が、ギルドの7割。

 仮に、ひょっとして、万一、君が結界を会得しても、依頼がくる保証はない。

 フォワードの冒険者が動かなかったら結界なんてあっても無意味なの。

 魔法結界を持ってたから歴史に名が残ったんじゃなくて、優れた人格と実力の上に魔法結界があったから依頼がどんどんあって、ランクがSSオーバーまで上がって、歴史に名を刻んだ。

 順番が逆なんだよ。魔法結界ありきじゃなくて、人格が先なの!

 何でこいつに適性が出たんだろ?

 フレイヤ様はこいつを祝福なんてしてないのに。

 ……ため息。

 まぁね……うん……わかるよレスタ、我が子可愛さ。

 自分の息子が大魔術師になれるかもしれない嬉しさ。

 だけど、それはジルに言っちゃいけなかったんだ。

 ロランが書き残した魔法結界の研究書があるなんて!

 そのありかに鍵をかけたのが僕だなんて!

 地獄が始まった。

 ジルは諦めが悪い。

 しつこい。

 うざい。

 家にいる間は追いかけ回されっぱなしだし、捕まるの嫌だからレスタの部屋にも行きたくない。

 どうせレスタだって、研究書を出してくれって言うに決まってる。

 ヴァルターシュタイン家、魔法結界狂想曲が流れっぱなし。

 たぶん「母ちゃんからも頼んで」とか言われたんだろう、ライザにまで手招きされる。

 ——切実に、家出したい……。

 どうして自力で取り組もうとしないの!?

 まずはやってみようと思わないの?!

 やるだけやったけどどうしてもダメだとかいうなら、僕も少しは考える。

 でも!

 何でみんな最初から楽をしようと思うわけ?!

 ロランがどれだけ頑張って会得したか。

 ご先祖が不屈の魂で得た能力の記録をあてにして、初っぱなから研究書頼みってどうなの!!

 断言する。

 ヴァルターシュタイン家、なくなる。

『ルイ、悪いことは言わんから、しばらく身を隠せ』

 同僚のシェパードのバンに言われた。

『憐れで目も当てられん。俺は見なかった、大丈夫だ』

 その言葉に背中を押されて家を出た。

 家出してホッとしてる自分が悲しい。

 レスタの親友の家に行った。

 バディのダルメシアンのリルとは親友。

 ごくわずかだけどリザの血を引いてるんだ。

『お前、大丈夫か?』

 ああ……やっぱり噂広まってるんだね……。

『大魔術師の研究書の封印がお前にしか解けないんだって?』

 絶対ジルだ。片っ端からお願い探してとか言って回ってるんだな。

 あのバカ、口が軽いにもほどがある。

『そうだよ、何かあってなくしたら大変だから、あるところに納めて、僕がロックした。本当に大切なものなんだ』

 ロランのお葬式の後、初めて自分から魔法をくださいってフレイヤ様にお願いした。

 僕にしかかけられない、僕にしか解けない鍵の魔法を。

 鍵を持ってからは、当主の遺言書に必ず魔法をかけてスミスさんに預ける。

 僕が魔法を解いたら遺言書を開封できる。

『渡してしまえば楽になるんだろう、さっさと出してやれよ』

『嫌だ。自分でゼロから努力しようっていう姿勢がまったくない』

『そんなこと言ったってよ』

『あのレスタまで舞い上がってるんだ。以前ならそんなことありえなかったよ』

『人間の心は変わるんだよ。状況が状況だし』

 確かに、ジルが来てから6年、レスタは変わった。ライザも。

 ステラやマリスの頃からずっと、レスタのお父さんの代までを思い起こす。

 レスタ夫婦と決定的な違いがある。

 子どもを育てたことがない。

 そしてジルが家に来たのは成人してから

 その子には才能があって……舞い上がるか。

 どうしてそうなるんだ、なんて問いの方が愚かだ。

 リルのバディも事情を知ってて、唇に指を当ててウインクして言った。

「俺は何も気づかなかったんだ。だろ?」

 そう言って僕を数日匿ってくれた。

 長居するとバレる確率上がるから、フットワークは軽く。

「まったく、自分まで踊ってどうするんだ。あのバカ。ここは手綱引くところだぞ」

 って、親友も呆れてる。

 約束があった治療には訪ねていったけど、それ以外は休業。

 10日くらい家出してた。

 正直、落ち込むなあ……200年以上間魔獣やってて、契約者とギスギスするのは初めてだ。

 バディと仲違い、かぁ……。

 僕が意地張ってないで研究書を出してあげればいいのかな?

 もしかして今の僕は意地悪で嫌な猫?

 ……でも嫌だ。

 僕はロランの努力を、全力でまっすぐな努力を見てきたから、安易に研究書を扱われるのは嫌だ。

 ものすごい努力と研究心で身につけた魔法結界の、理論と実践の集大成。

 硬く強い意志がない奴には絶対に渡さない。

 書き残すのに5年かかったんだ。

 会得するまでの期間より長い時間をかけて、精査して、書いたんだ。

 僕はずっとそばで見てた。

 いいおじいちゃんになって、でもステラみたいにシャンとしたロラン。

 怒鳴ったりはしなかったけどね。

 校長先生を辞めてから、やっと集中できるって言って、真剣に机に向かってた。一心に書き続けてた。

 そんな大切なもの、簡単になんか出してやらない!

 家に帰ったらキーパーさんに抱えられちゃって、レスタのところに連行された。

「どこに行っていたんだお前は!」

 キーパーさんが部屋を出た。

「彼女ができたからデートだよ」

「みんなでどれだけ探したか……!」

 やっぱり今の僕は意地悪みたいだ。

「僕を縛るの?」

 一拍おいて、空気が止まった。

「それは守り猫がいないと困るから? 研究書が欲しいから? 両方?」

 僕を見てたレスタの視線が少し泳いで、下を見た。

「すまん、許してくれ……お前はフレイヤ様の御名において自由な猫だ」

「ひとつだけ言ってもいい?」

「ああ」

「今の僕がおかしいのか、君がおかしいのか、両方おかしいのか不明。でも今の僕らはまったく噛み合ってない。この状態はバディとは呼べない。200年以上この家にいて、家出したのなんて初めてだ」

「——おそらく、私がおかしいのだ……そうだ、確かにそうだな、大魔術師がどれほど一心不乱に研究と訓練を重ねたか、私も伝記を読んでいたというのに……」

 伝記を書くのはハウスキーパー長の仕事。

 遊びに来た友達に話を聞いたりして取材することもある。

 あの頃、友達は口を揃えて言った。

 彼は勤勉で優秀な学者であり体現者だ、って。

「……第1次ティアマト討伐の話、聞く?」

 レスタは顔を上げて笑顔で僕を見た。

「ああ、久しぶりだ、是非頼む! 伝記は伝記、お前の話は戦記、血が騒いで胸が躍ってたまらん」

 アーサーの頃から繰り返し、繰り返し、僕は自分がバディを務めた討伐の話を次期当主に話してきた。

 子どもの頃には楽しめて喜ぶように、易しく。

 次期当主の自覚がきちんと出てきたら、教育としてリアルに。

 最初から絶望的で、限界ギリギリだったこと。

 それでも誰も退かずに戦ったこと。

 レスタはこのエピソードが大好きで、何度話したか覚えてない。

 お腹の上に乗って箱座りして話すんだ。

 何度も、何度も。

 討伐に出られなくなってからも、何度も、何度も。

 何だかんだっていっても、やっぱり僕らはバディだよね。

 楽しそうに目を閉じて話を聞いてたレスタ。

 聞き終わって、ゆったりと余韻を味わって。

「ルイ……親バカは承知の願いだ。頼む」

「君は昔からそうだ、言いだしたら退かない。そう考えるとジルは間違いなく君の息子だね。彼のしぶとさは桁外れだけどさ」

 ロランも言ってたし。

 適性がある子が指導を受けられなくて困っていたら読ませてあげなさい、って。

「ジルを呼んで。案内するから」

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