第40話 直接対決

 しかし、さすがに出雲は底力を発揮する。長年日本を統治して実績を積んでいた出雲には、多くの味方がいた。ほとんどの国に出雲の息がかかってたものがおり、それらを崩すのは相手にとってよほどのうま味のある交渉が必要だった。

 ヤマトでも物部氏、尾張氏、海部氏は出雲系の豪族である。ヤマト以外の国にも多くの出雲系の氏族が入り込み、国の政治に少なからず関与していた。四道将軍の派遣は彼ら出雲系氏族の懐柔や排除を一つの目的としていたが、内政干渉の問題もありそう簡単でなく、逆に反撃をくらうこともあった。

 ヤマトですら物部氏に今まで以上に敬意をはらい、天皇家も物部氏に従属して出雲と敵対してもヤマトでの地位が揺らぐことはないと確約して真意も示した。記紀でも、物部氏は多くの宝物を氏神の石上神宮を納めている。百済王から献上された七支刀など対外関係の宝物を預かるのは王の役目である。

 石上神宮には、また多くの武器も納められた。武器は当時は力の象徴で収蔵するのは王の役目であった。

 このように考えると、物部氏などの出雲系は当時ヤマトの指導者であったと思われる。そして彼らに対して以前からヤマトに住んでいた臣と呼ばれる氏族は、少し事情が違っていた。

 彼らは対外関係に積極的で、大阪湾住吉から瀬戸内海の諸国などとさかんに交易や交渉をおこなっていた。天皇家も、元は日向や任那に住んでいた氏族である。すでに遠い先祖の話になっていたが、かつては瀬戸内海諸国と密貿易をおこなっていた。天皇家も、それらの諸国の反出雲派と連絡を取り出した。

 当時の山陰地方と加賀までの北陸が日本の中心だった。四道将軍の派遣はそれ以外の周辺国の諸国である。周辺国は中心とは差別され、少なからず不満をもっていた。四道将軍はその不満を上手く利用して地道に仲間を増やしていった。攻守は一気に逆転して出雲の銅鐸システムはこの時点で消滅する。こうした地道な活動が実を結び、ついに出雲との直接対決と発展していく。

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